.60
ハンドルを握りながら、しっかりと左腕の感覚を確かめる。
DIP計画。ボクはそんなものはしらない。やりたいヤツがやればいい。
これはもうボクの腕だ。他のヤツには渡さない。
これでボクは自由になる。
+
ボクはツイている。運というものは何に由来するのだろうか。肉体、精神、魂。鍛えることができず、強く願っても変えられない。そう考えると生まれつきの魂ということになるのだろうか。魂という単語自体非常にナンセンスだが、ボクだけにある強運が彼等にないのだとしたら、魂なのかもしれない。最も魂というものがあればの話だが。
同じ肉体、同じ思考。それは量産されたプラモデルみたいに代えの利く便利な人形だった。無くなったなら他のものに代えればいい。単純で簡単な答え。
ボクは人と同じなのが嫌だった。それは他人にボクという人間を知られているようで共有しているようで気持ちが悪かった。皮肉なことにボクにはそういう人間が周りにたくさんいた。どいつも馬鹿みたいなツラをしている。
チャンスは突然やってきた。そのときボクは当然ながら喜んだ。そのチャンスの内容如何もあるが、彼等にはなくボクだけにそのチャンスが巡ってきたこと、他と違うことにボクは快感を覚えた。ボクはそういう性質(タチ)なのだ。他と違うことが気持ちいい。だからだろうか、ボクは次第に周りとズレ始めた。少しずつ少しずつ。
彼等は外の世界が見たいと言う。ボクには理解できなかった。ボクらには外も中もないんじゃないか?ボクらには裏も表も中も外もありはしない。ボクらの持っているものは全て中から着たものだ。外の世界が知りたいなら自分の体を覗き込めばいい。ボクはそう思って愚かな彼等と一緒なのがより一層嫌になった。
いつからだろうか。ボクは外に出たくなった。別に外の世界が知りたくなったわけじゃない。ボクは気づいただけだ。
ここにいたままではどうしたって限界がある。ボクはどうしたって彼等と同じだ。どう足掻いたって彼等とは違うと思うだけでは彼等と同じなのだ。これを変えるには外に出るしかない。彼等と違うものになるためには違う世界に生きるしかない。同じに見られるのはもうたくさんだ。ボクはお前らとは違う。ボクは―――。
問題はたくさんあった。そもそもボクはここを出て行ったら生きられない。だって目的の無いものは生きているとは言わないだろ?だらだらと生きられる風にできてないんだからしょうがない。ボクは既に回り始めた歯車の一部だ。歯のひとつかもしれないし、ネジのひとつかもしれない。当然ここから出て行ったら一人で回れるわけも無く、生きていけない。魚が水の中でしか生きられないように、ボクもこの施設の中でしか生きられない。ボクは必死に考えた。外に出る方法。ここから出る方法。
回れないなら回れるようにすればいい。
運は引き寄せるものなのかもしれない。ボクの行動がそれを引き寄せたのは間違いない。ボクは週一で監察官のデスクを覗くようになった。新しい情報は常にそこに入ってくる。危険なんてほとんどない。鍵なんてかかってないし、無用心にもよくここは留守になる。それもそうだろう、なにせここには見ようとする人なんていないんだから。ボクみたいにズレたりしない限り。
ある日、そこに入っていたものがボクに与えられたチャンスになった。内容は小難しいことを抜きにすれば実験体の回収だ。なんでも実験体の置かれた場所に問題が起こったらしく、緊急に移動することになったらしい。計画にも支障が出たとか。
実験体は回収された後、ここに戻ってくるらしい。よってここにいる監察官が回収に向かうことになった。ボクはその車のトランクに潜り込んだ。安易な隠れ場所だし、見つからないという保障はないが、今のボクにはそれ以上の確信がある。ボクはツイている。絶対にうまくいく。
案の定、ヤツラはロクに調べることもなく、さっさと車を走らせた。黒塗りのベンツ。トランクの乗り心地は最悪だった。縦揺れ横揺れ、両の手足を踏ん張って必死に耐えた。あれだ、地震に備える衝立に似てる。耳を澄ますとエンジン音に隠れて車の中の会話が聞こえる。内容はDIP計画の先行きを杞憂したものだった。これからどうなるのか、また失敗に終わるのか。ボクにとってはどうでもいい、だけど忌むべき計画だった。
3時間ほど走っただろうか車は止まりドアが開く音がし、後部座席にいた2人が降りていくのが分かった。話し声から察するに、前に2人後ろに2人で計4人の監察官が回収に派遣されたことになる。4人ともただの職員だ。本当に連れ帰るためだけに派遣されたみたいで、どうやら危険性は低いらしい。本当にそうなのだろうか。彼が暴走したら手がつけられない気がするけど。
10分と経つことなく、2人が戻ってきた。それと一緒に車輪の回るような音もしたからきっと彼も一緒なんだろう。おそらく車椅子に乗っていると思われる。どうやら彼は左半身が動かないらしい。そして二人は彼を真ん中に挟むようにして車に乗り込んだ。それを確認するとすぐに車は走り出す。
カシャンといくつかの金属の音が重なった。聞き覚えのある音。あれはきっと拘束具の音だ。ゴムと金属を足して二で割ったような材質で、伸縮する鉄というのが一番よく表している。彼が抵抗した様子はなかった。それもそうだ。彼は自由を持っている。あんな拘束具なんかじゃ抑えきれないほどの自由を。
車の中は静かだった。彼はあまりしゃべらない方なのだろうか。できれば彼の声が聞きたい。彼は唯一同じじゃない人だ。ボクは彼のようになりたい。いや、それだけじゃな足りない。ボクは彼の数倍の時間を耐えてきたんだ。彼より自由になる権利がある。
だがボクは非力だ。チャンスが巡ってきても彼を奪うことはできない。そんなことをしても楽々と押さえつけられてしまうだろう。ボクは待つことしかできなかった。
違うな違うだろボク。待つだけでいいんだ。ボクはツイているんだ。黙っていても全てはボクに傾く。
強い衝撃が起きてノロノロと進んでいた車は突然破裂したかのように飛び跳ねた。いくつかの男の悲鳴が聞こえた後、車のドアが吹っ飛ばされ、路面を叩き勢いよくシャッターを閉めたような音がした。見なくても分かった。彼が起きたのだ。ボクとって脅威である男達も今の彼にとってはなんて小さな存在なのか。
彼が車を出て行き、後ろの方から多くの悲鳴が木霊した。ボクは待った。ひたすら狭いトランクの中でチャンスを待った。まだだ。まだ待つんだ。
ボクには彼の位置が分かる。それは正確な言い方じゃないのかもしれない。ボクにはボクしか分からない。ボクと彼は違うから全部は分からないけど、出っ張った釘に服の裾が引っかかったみたいに少しだけ重なっている。そのお陰で彼の位置ぐらいは掴めるのだ。
後ろへ歩いていった彼はいつの間にかずっと前方にいた。そろそろ待つのも限界なのかもしれない。せめて彼の近くにいないと、寄ってきたチャンスに手が届かないなんて馬鹿なことはしたくない。ボクはトランクから出て近くにある使えそうな車に飛び乗った。その車も窓ガラスは割れてるし、ボロボロだったけど他のよりはいくらかマシだった。ノロノロと進む車の間を縫いながらボクは彼を追った。ボクは自分の手が自由を掴みつつあることを感じた。もうじきボクは違う存在になる。
少し走ると彼の姿が見えてきた。彼は美しかった。放たれることは美しい。彼の醜悪な肉体も、内臓がむき出しになったような身体も全てがボクを惹きつける。美しく路面を走る彼の姿に見とれた。堂々とつながれない走りに憧れた。
ところが目の眩むような閃光が彼を浚っていった。それはあまりにも突然で、ボクの頭はついていけなかった。閃光の色と同じ透明に近い白でいっぱい。
彼は消えてしまった。彼は消えて、消えて……。なんてことだ。これじゃボクはボクのままだ。掴みかけた希望が突然打ち砕かれた。なんの前触れも無く、なんの警告もなく。許さないぞ。許さない。誰だボクの邪魔をするのは。
しかしボクの怒りは一瞬のものだった。
「はっ、ははははは……」
なんだ、ボクはツイているんだった。思わず笑いがこぼれた。腹のそこから湧き上がるような笑い。可笑しい、なんて可笑しな話だ。
目の前には彼の左腕があった。彼にはいくら感謝しても足りない。あの閃光の中、彼は自分の左腕を切り離したんだ。理由は分からない。じゃあいいやボクの想像で構わないだろ?きっとボクに彼が分かるように、彼にもボクが分かるんだ。いいぞ、そうだボクにはお前以上に自由になる権利があるんだ。
ボクは車のフロントガラスを左腕で思いっきり割った。割れた断面が腕に突き刺さり、腕を引き抜くと綺麗に肉が削がれていく。痛さなんてない。ボクはためらうことなく、一番大きなガラスの破片を右手で掴み、左腕の根元に突き刺した。グリグリとアリの巣を木の枝でほじくるように、ゆっくりとそれを楽しむ。骨と骨の間に自分の身体じゃないものが入ってゴリゴリと音を立てる。そこに何度もガラスを打ち付けた。
2,3度繰り返したところでガラスが割れた。もっと硬いものがいい。硬いもの……といっても周りには何もない。人間の骨は意外に硬いのだ。ガラスなんてもんじゃ砕けない。ああ、そうだ。歯はもっと硬いだろう。食いちぎればいい。
太い水道管のパイプを落としたような鈍い音を立てて、左腕が落ちていく。なかなか手こずった。無理にやったから顎も歯も砕けてる。だがボクの心はこれから始まる自由への儀式を待ちきれない。さあ、早くそれを、彼の左腕を、ボクはお前らとは違う。ボクはボクだ。
+
いつの間にか渋滞は無くなっていた。車の通りも減り、スムーズに進む。ボクは鼻歌を歌いながら(もちろんボクのオリジナルだ)新たな景色を楽しんだ。
どこへ行こう。どこへでも行ける。ボクは自由になった。もう誰もボクを縛れない。そうだな、でも当面の目的が欲しい。自由であるから何か自分で目的を決めたいのだ。
そうだ、アイツら殺そう。一瞬とはいえボクから自由を奪い取った罪は重い。ボクはボクに敵対する者は殺す。ボクから自由を奪おうとする者も殺す。ボクに命令しようとする者も殺す。それがいい。分かりやすくて面白そうだ。
「ん?」
おかしい。今チラっと、バックミラーに人が映ったような……。いや、ここは走っている車の中だ。そんなはずはないだろう。
そう思いながらも自然と車の速度を上げている自分がいた。嫌気がした。舌打ちする。それにまた嫌気がした。ボクの意識とは無関係にボクに干渉してくる何かに嫌気がした。
誰だボクを強制したのは。誰だボクから自由を奪うのは。誰だボクを追いかけてくるのは。
ボクは何をしても自由になる。ボクにはその権利がある。
.61
弾丸だ……。それが私の率直な感想だったと思う。その速さもさることながら、初速からトップスピードに乗せていくのは生物の走りではなかった。それは銃口から飛び出した弾丸というのがぴったりな機械的な走り。速度だけが上がっていく。ランドルという長身の男は一瞬にして視界から消えていった。
「追うぞ」
そう言って、ミネワという男が乗ろうとした時には既に金髪の女性も、黒人の男も黒いワゴンに乗り込んでいた。一方、白髪の男はワゴンの外でそわそわと落ち着かない。
「隊長、こいつどうしますか?」
「そのDUDSは消しておけ」
「あいよ」
白髪の男がバイビーと言って手を振って、箱に入った肉の塊のようなDUDSに向かって右手を上げる。そして開いた掌を閉じると押しつぶされるように異形の化け物は小さくなって消えてしまった。手品のように跡形も無く。断末魔の残響だけが、耳の底に沈殿するようにいつまでも耳に残った。
「ジェイク、早く乗れ!」
「隊長ー、こいつらはどうします?」
気の無い声と共に私達の方に視線を向ける。当然『こいつら』とは私達のことを指している。正直、この人たちから逃げられる気がしない。ここで「よし、本部まで連行しよう」なんて言われたらお終いだ。逃げようにも、そもそもリョーゴは『箱』の中なので連れ出すことすらできない。そして厄介なことに彼等は確実に私達を疑っている。特にリョーゴの存在はまずい。
だが、返ってきた答えは意外なものだった。
「放っておけ」
「は?」
「放っておけと言ったんだ。早く乗れ」
少し苛立った様子でミネワという男が早く車に乗るように言う。
「だって隊長ー」
「任務には関係のないことだ。いつも言うだろ」
「知らなくていいことは知らなくていい……でしょ。もう聞き飽きましたよ」
「そういうことだ」
「でもそれならランドルの追ってる奴も関係ないっしょ」
「ふむ。だがあれはこれから関わってくる」
「は?なんでですか?」
ミネワという男はその問いに一拍置いて「勘だ」とニヤリと口元を歪めて答えた。白髪の男はやれやれと肩を竦めてワゴンに乗り込んだ。
「それじゃ、嬢ちゃん。コトーによろしくな」
白髪の男はニヤニヤとした笑顔を浮かべながら手を振る。それに重なるようにスライド式のドアが勢いよく閉まり、すぐにワゴンは180度ターンして分離帯を乗り越えてランドルという男が向かった方向に走っていった。
助かった……のだろうか。私はゆっくりと路肩の側壁にもたれ掛かるように腰を下ろした。すぐ横にはまだ気を失ったままのリョーゴの頭がある。目の前にはぶんぶんと唸りを上げて次々に車が流れていく。それを眺めるでもなくぼんやりと見ていると本当に今日はツイていたんだなと思う。半分はリョーゴのせいで半分はリョーゴのお陰だ。でも悪くない日だったと思う。
彼はきっとあの後も自分一人で左腕を追っていたのだろう。そして偶然私の少し前の車にそのターゲットがいて、あんなタイミングで登場したわけだ。おかしな話だ。彼は被害者なのだ。それに彼はDUDSでもある。DUDSがDUDSを狩るのだ。ミイラ取りがミイラになるどころではない。ミイラがミイラを取りに行くのだ。
DUDS同士が群れるのは珍しくない。それは協会などから自分の身を守るためであり、当然といえば当然の自衛手段である。個でいるより郡でいた方がいい。ただDUDSの場合、通常は身体と同時に精神も傷ついているためあまり他人と協調できる者はいない。理由は様々だが、一言で言えば自分の目的に特化するあまり他が見えなくなるのだ。その点でも彼は変だ。自分はホールが無ければ生きていけないのにホールを止めようとしている。矛盾。
つまるところ彼は同族狩りということになる。それは辛い。協会からも追われてDUDSも敵に回すというならば一体誰が彼の味方になるのだろう。
彼はこれから追われる立場になる。いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。そしていつまでも逃げ切れるものでもない。彼がDUDSでいる限り、どうあってもホールにいなければ生きていけない。だがそこは協会の狩場だ。個でいる新参者のDUDSなどわけも無く殺される。普通ならば協会から逃れるため、世界からの侵食を防ぐため、欠けた部分を求めるのだが彼はそんなことはしないと思う。だがそれでは長く生きられない。彼はどういうわけか世界から侵食を受けてないようだが、それもいつまでだか分からない。
「ふぅ……」
思わずお腹の底から溜息が出た。彼はそういうことを考えているのだろうか。彼はいつも考えが足りない。目の前のことに馬鹿正直に突っ込んでいくのだ。ある意味では周りが見えてない。自分のことさえ視界にないのだろう。馬鹿な奴は長生きしない。正直な奴は利用されるだけ。歪んだ人ばかりの場所で彼のような異分子は目立つ。そういう人は私達の世界では生きていけない。曲がった人か、自分を曲げられる人。そういう人だけが生きられる世界。
彼の左腕を自分の首に回し、右腕を引き上げるようにして担ぐ。と言っても彼の方が大きいので半ば引きずるような形なのだが。このまま担いでいくわけには行かないだろう。私も大分消耗している。適当な非常階段で降りてどこかで休んでいった方がいい。
そう思って歩き出したときだった。遥か後方で爆発音のようなものがした。彼等がDUDSを追っていった方角。何かの始まりのような轟音。
それは持たざる者の反撃の狼煙。
.62
なんだよ。なんなんだよ!わからない!わからない!
ボクはアクセルをいっぱいに踏んだ。メーターは既に振り切っている。信じられない光景。人が……追いかけてくる。バックミラーで人影を確認する。綺麗な走りだった。無駄のないフォーム。左右にブレることもなく、上下に揺れることもなく、氷上を滑るように路面を駆ける。走るというより滑る、疾走というより滑走。怖いくらい無表情な痩せた男。
ソイツはほどなく隣に並ぶ。何度も振り切ろうとしたが、むこうの方が小回りが利くのだ。同じ速度で走る以上自動車というアドバンテージはない。ソイツはコンコンとワザとらしくボクのすぐ横のサイドミラーを叩いた。ボクは気にすることなく速度を上げる。
「止まれ。5秒以内に止まれ」
無駄のない警告。こんな高速で走っているっていうのにソイツは息一つ切らせていなかった。ボクは左右に車を揺らしながら必死に振り切ろうとする。
「3,2……」
ソイツはこの車に張り付くように並走する。カウント付きで。もちろんボクには止まるつもりなんてない。ボクが止まるのは構わないが誰かに止まれと言われて止まるのは絶対嫌だ。
「1……終わりだ」
ソイツはそう呟くとボクの視界から消えていった……違うか、ボクの方がソイツの視界から消えたんだ。視界は反転し、大きな衝撃と共に世界は逆さまになった。シートベルトだっけ……しとくんだった。体は上下に激しく打ち付けられて、それが何度も繰り返されてボクは鉄の箱の中でボロボロになっていた。車は幾度となく横転を繰り返した。
「出て来い。5秒以内に出て来い」
また命令だ。誰かに指図されること――ボクが一番嫌いなことだ。
車内は逆さになったままだった。体が痛む。ドアと座席の間に右腕が挟まって、ドアが地面に打ち付けられ凹んでいくのと同じようにボクの右腕は砕けていった。無事な箇所なんてなかった。醜く変形した車内は鉄の檻のようで、あちこちボクの体に食い込んで……。
「グアッ……!」
5秒経ったということなんだろう。ボクの体は見えない大きな手で引きずり出されたように、ドアと一緒に乱暴に車外に放り投げられた。何回も硬い路面を転がって仰向けになって止まった。
「何者だ。5秒以内に答えろ。嘘は許さない」
何者?いい質問だ。それはまだ決めていなかった。ボクは何者なんだろう。ボクは―――。
「ィッ!?」
「5秒だ」
車のドアが……ギロチンのように……ボクの両足を……セツダンして……。脛の辺りに鉄塊が叩き落された。
「最後の質問だ」
最後……?ボクの体をこんなにしておいて、ボクの足をこんなにしておいて、このまま去ろうというのか。はっ・・はは、ははは、可笑しいよ、オマエ。
「何か……」
「言い残すことはあるか?」
ボクの声がソイツの質問を遮った。
「……無いようだな」
ソイツはボクの言葉もたいして意に介することなく、小さく腕を振り下ろした。ボクの上にさっきまでボクが乗っていた車の残骸が入道雲のように広がった。そしてそれは落ちて……いや、落ちるんじゃないな。落としたんだ。だからそれは落下じゃなくて投下。投げ下ろし。馬鹿になんないくらい速い。
こんなの食らったらペシャンコだ。
隕石みたいなもんだ。速度を持った物体の落下。あれは鉄で硬いから、あれとアスファルトにはさまれてペシャンコだ。車に轢かれた猫みたいに、あちこちはみ出てサヨウナラ。
きっと痛いだろう。全身の骨が砕け、頭蓋骨だって粉々になって、脳漿が飛び出て、内臓が放射状に飛び散って―――。
「痛かった?」
答えはない。轟々と黒煙が立ち上る。赤とオレンジのゆらゆらと形を得ない炎。何台も積み重なるピラミッドのような車。
「ボクも痛かったんだよ……足」
両足を切断した車の破片を取り除いて、両足を付け根に接着する。事も無げに足には元通り感覚が戻る。
さて、こうしてはいられない。代わりの車を探さないと……と言っても、この辺りの車はさっきので全部ペシャンコになっちゃったんだけど。
仕方なくボクは歩くことにした。もう少し歩けばまだ使える車が残っているだろう。
誰もボクを邪魔できない。ボクはすごくつよいから。
.63
「隊長〜」
気だるそうにジェイクが言う。その顔は買って欲しかった玩具を買ってもらえなかった子供のようでどこか不満そうだ。
「なんだ?」
すぐ隣に座っている険しい表情をした男が答えた。
「なんでアイツ追うんですか?」
「ジェイク、嫌なら降りてもいいぞ」
助手席に座った黒人の男―――マーカスが冗談めかして言う。
「嫌とかじゃなくてだな、任務に関係のないことは極力避けるべきじゃないかと思っただけだ」
ジェイクが少しムッとして答えた。
「俺はなジェイク……」
岩のような険しい表情をしたミネワが口を開いた。
「偶然はあると思う。奇跡もあるかもしれないし、万が一もあるだろう。全てないとは言い切れない」顔は正面に向いたまま、前の座席に座る二人も振り返る様子はない。誰一人姿勢を崩さないで行われる会話。「だが、その中には在るべきして在る偶然がある。起こりえない必然、嘘みたいな確率の必然だ。まあそこまでいくと普通は偶然と呼ぶんだがな。……そういう有りふれた事象の中で必要なものだけを追っていくのが俺達の仕事だ。目印なんてない。どれとどれを結びつけるかは自分次第だ」
「それじゃ、どうやって見分けるんですか?」
それじゃ偶然と必然、用と無用の境があやふやだ。どちらも発生する以上それは程度によって分けなくては境界が定まらない。
ミネワという男は口の端に笑みを浮かべて言う。
「勘だ」
「へいへい。俺も隊長の勘を信じますよ」
不満はあるが、自分の意見があるわけでもないので黙る。
「でも隊長の勘は本当に当たるわよ」
猛スピードで車を運転しながら、金髪の女性―――シシリーが言った。
「じゃあ占い師にでもなったらどうですか?今ブームだから売れますよ」
ジェイクは笑いながら言った。ミネワは引退したら考えるさ、と言って小さな笑みを浮かべた。
「さて、これも勘なんだが……些か良くない事態になりそうだ」
眉間にしわを寄せながらミネワが言う。
「なんすか?良くない事態って」
「さあな。何が起こるのかは分からないが、雲行きが怪しくなってきた。まあこれも勘だがな」
「やめてくださいよ。隊長の勘は変にっ―――!?」
その時だった。衝撃が波だと実感させられるような、空間が揺さぶられるような大きな振動が車内に走った。車内に走った衝撃は物理的な衝撃半分、世界自体の揺れが半分―――それから判断されるのは大規模なアーツによる爆発だった。
「隊長はやっぱり占い師は向いてないですね」
ジェイクが口を開いた。その顔からはさっきまでの笑顔は消えている。車内全体がピリピリとした雰囲気に包まれる。もうミネワでなくとも誰もが嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「そうだろうな。占い師には向いてないだろう。……俺の勘は悪い方にばかり当たるみたいだからな」
おっしゃるとおり、と言ってジェイクは前部座席の間から身を乗り出して、前方に目を凝らす。
「車が止まったらジェイクとマーカスは俺について来い。すぐに車を降りる。シシリーはここで待っていてくれ」
ミネワが言い終わるのと同時に車は勢いよく止まった。そして3人は弾き出されたように車を降りる。目の前には鉄の車が何の脈絡もなく、ただ積まれていた。整合性も効率も何一つとして考えられずに、7mほどに高々詰まれた自動車。それは20台とも30台とも言えず、どれも半分の大きさほどに潰されて機械的に炎と煙を吹いていた。
「ジェイク―――」
「分かってますよ。見つけたら囲います」
ジェイクが一歩前に出て、ゆっくりと車の山に近づく。
「隊長……その、ランドルがいないんですけど……そんなはずないですよね」
「……」
辺りを見回してマーカスが言った。“そんなはず”―――最悪の事態が脳裏を過ぎる。
「隊長……やっぱ占い師は向いてないですよ。……最悪です」
「……だろうな」
二人の視線は轟々と燃え上がる車の山―――の麓に注がれていた。車の下から腕が出ていた。見覚えのある細い腕が。
「……これは何かの間違いでしょう。ランドルかどうかなんて見分けがつかないですよ。全く関係ない奴かもしれないじゃないですか」
マーカスにも分かっている。否、見間違えるはずがない。もう嫌になるくらいずっと一緒に仕事をこなしてきた仲間だ。中でもマーカスとランドルが同期である。入隊当初からずっと一緒だったのだ。他人の体と見分けがつかないはずがない。
だがミネワはそんな微かな期待をもかき消すように言った。
「十中八九ランドルだろう。そもそもここにランドルがいないということがおかしい」
「それは奴が逃げて、それを追っているのかも……しれないじゃないですか」
マーカスの声はだんだん言葉をつなげるにつれて小さくなっていった。分かっているのだ。そんなはずはないことを。ただ、そう言わないと救われないのだ。自分も彼も。
「ランドルだったら、相手がこれだけの車を積み上げるような奴だと分かったら、それを追ったりはしない。追うとしても俺達の到着を待ってから追うだろう。俺達の戒律(ルール)は“生き残ること”だからな。戦闘、追跡は諜報の仕事じゃない」
分かっていた。
分かっていた。
彼もそんなことは分かっていたはずなのだ。だからこの腕はほぼ間違いなく彼のだ。それも分かっていたのだ。だけど……あまりにも呆気なさ過ぎた。過程がすっぽりと抜かれて結果だけが目の前に横たわっている。
「奴は無傷……ですかねぇ」
今まで無口だったジェイクがミネワに言う。
「ランドルが無傷で済ましたとは考えにくいが、この辺りにいない以上あったとしても行動には差し支えないレベルの負傷だろう」それに―――もう一度車の山に目を向ける。「それにランドルは強い。ランドルを本気で仕留めようとするのはちょっと名の知れた実力者でも簡単にはいかないだろう。なんせ俺達にしてみれば戦う必要はないからな。逃げること、情報を持ち帰ることが戦いだ。その点諜報においては、“生き残ること”においてはあいつのは如何なく力を発揮する。“速度記憶”(バレット・ログ)―――さて、厄介なことになってきたな」
少し考え込むようにミネワは腕を組んだ。
「どうしますか?これから」
周辺を警戒していたジェイクが以前と変わらぬ調子で声をかける。すると黙って車の山を見ていたマーカスが強い語調で言った。
「奴を追いましょう。探し出してランドルと同じ目に合わせてやります。いや、それでも足りない。そいつを―――」
「奴は追わない」
ミネワの言葉がすっぱりとマーカスの発言を打ち消した。
「なんでですか!隊長は悔しくないんですか!ランドルをこんなにしておいて、奴は一人のうのうと生きてやがるんですよ!オレは我慢なりません。隊長がなんて言っても追います。そして―――」
「落ち着け、マーカス」
再度、ミネワが静かにマーカスを宥めた。
「いいか、俺達の目的はなんだ?」
「目的?復讐に決まってるじゃないですか!今すぐにでも奴を捕まえて―――」
「マーカス!」
厳しい声。それは熱された路面に染み渡るように辺りに響いた。
「俺達の目的はなんだ?」
再度同じことを訊ねる。
「新たに観測されたホールの確認……です」
「そうだよな。だったら俺達がこれからするべきことも分かっているはずだ」
「でも隊長も言ったじゃないですか。奴もどこかで任務に関わってくると。だったら奴を追いかけてもいいはずです」
幾らか落ち着きを取り戻したマーカスが言う。
「ああ、言ったな。奴を追いかけさせてランドルを失ったのは俺の責任だ。甘く見すぎてた。だからこそ俺は追いかけない」
「なんでですか!だからこそ追いかけるべきです!ここで奴を追いかけないとしたら、ここで奴を見逃すのだとしたら、一体ランドルは何のために死んだんですか!」
「任務のためだろ」
そう答えたのはジェイクだった。
「何のため?任務のためだ。オシゴトのためだろ。別にアンタのために死んだわけでもない、隊長のために死んだわけでもない。仲間意識と仕事をごっちゃにするのはよくないだろ」
「ジェイク……てめえ!」
「やめろ」
マーカスが掴みかかろうとするのをミネワが制した。
「ランドルが死んだのはアンタの責任でもない、ましてや隊長の責任でもない。変に責任感じて任務の方向まで変えるつもりか?隊長が追わないのはそういうことだ。ここで感情に任せて追うのは簡単だ。むしろそっちのが何のわだかまりもなく没頭できる。そうすることで自分の責任が少しでも減ると思えるから気も楽になる。でも隊長はそうしない。そっちのが辛いってのが分からないわけじゃないだろ」
「……」
マーカスは答えない。あまりにもやもやとした心の中の核心をつくような正論で反論などできなかった。それが正しいということも分かる。自分だって分からない振りをしていただけなのだから。
「さあ、それじゃ早いとこココを離れましょ。後は処理班の連中がやってくれますよ。余計な時間使っちゃいましたからね。急がないと手遅れになりかねませんよ」
ジェイクはびらびらとだらしなく着たコートを翻して、ワゴンに向かう。
「ほら、マーカスもいつまで突っ立ってるんだ?さっさと乗れよ!」
ワゴンの中から顔だけ出して、ジェイクが叫ぶ。
「お前に言われなくても分かってるよ!」
大声を出しながら、ずかずかと大股でワゴンに歩いていく。
「本当に分かってんのか?黒人は耳が遠いというもっぱらの噂だぞ」
「そんなわけねえだろ!この似非白人が!」
「似非じゃねぇ!ただのハーフだっつうの!」
二人の声はやがて遠くなっていった。
弱まることのない炎。空を覆い隠さんばかりの黒煙。天を突くような鉄の山が墓標のようで―――。
男は、いつまでも空を見上げていた。
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