44.




「貴方には何も分からない、か。……分かんないよな、俺には」

半ば追い出されるような形で俺は公園に来ていた。

昨日のベンチに腰を下ろし、どっぷりと頼りない背もたれに寄りかかり普段使わない頭を使っていた。

目の前の風景にはまだ昨日の爪跡が生々しく残っていて、折れた木は撤去されたようだが、割れた石畳にはまだカラーコーンが置いてあるだけで修繕工事はまだ先のようだ。


シャルは明日帰ると言っていた。

シャルの性格から言って本当に帰るだろう。

俺に止める気はない。いや、止められないだろう。

シャルはあれでいてかなり頑固なのだ。それに加えて今はコトーさんの死が捻じ曲がった形でシャルの考えに楔を打っている。

だけどシャルは間違っている。

それは俺が唯一言えることだろう。彼女だって気づいているはずだ。


彼女はエージェントになるための試験のためにここへ来たと言った。

それは間違いないと思う。

でもコトーさんが死んだことでシャルの考えは変わったようだ。コトーさんと何か約束でもあったのだろうか。新人の俺にはその辺は分からない。

そして彼女は試験を受けないから帰ると言い出した。

俺はそれは違うと思った。

少なくともコトーさんなら違うと言うだろう。

試験とかエージェントになるためとかそういうのを一番に持ってくるのがおかしいのだ。

今この街は危険な状態にあって、それをなんとかしなくちゃいけない。そのためにシャル達は来たんじゃないのか。

少なくとも俺はそう思って行動を共にしてきた。

それを試験だのなんだの勝手な理由で途中で投げ出すのはどうだろうか。

ああ、エージェントとしての選択は俺には分からないよ。

でもヒーローとしては放っておけないんじゃないか?

人はお人よしというかもしれない。

それでもきっとあの人ならそういう選択をするはずだろう。

そして彼女もそれは分かっているだろう。

なら、俺にそれ以上言うことはない。



「んーー」

ベンチから立ち上がると同時に大きな伸びをして、背骨を伸ばす。

俺は俺で動こう。

まだこの街では何も終わっていない。

ホールの原因も分かっていない。

ヒューゴの奴だっている。

それに……



いつかヒューゴが俺に言ったことがある。

あれは初めて会ったときだったろう。




―――今残ってるのはのは右腕と左腕だな。お前はどっちだ?




たしか奴はこんなことを言っていた。

あの時はちんぷんかんぷんだったが、今だから分かる。

右腕はコトーさんのことだろう。

なら、左腕は?

もう奴が消したのだろうか。

それなら何も心配はないのだが……



嫌な予感がする。

俺にできることは限られている。

それでも何かをしなくてはならない。



最悪、俺一人でなんとかしなければならないだろう。



「あー、重いな……」

突然負わされたヒーローの重さ。

それをいつも背負っていたあの人の辛さが少しだけ分かった。




あの人は……やっぱりシャルにとって大きかったんだよな。

消えて尚大きく影を残す。



―――先生は……先生は貴方のせいで死んだんだから!



耳を塞いでも聞こえてくる彼女の叫び。それは山彦のように俺の頭で反芻される。

いや、耳を塞ぐわけにはいかないだろう。これは俺の罪。

でも俺は中途半端に手を出したことを後悔なんてしていない。どっちにしろこれ以上彼女に負担はかけられない。背負えるものは俺が背負う。


彼女は弱かった。

ただ気がつかなかっただけ。


思えばあれが彼女の初めて見せた弱さだった。










45.




誰も居なくなった部屋。

コポコポとお湯を注ぐ音だけが何もない部屋に漂う。

溜息をつきながら私はそっとソファーに浅く腰をかける。

一人でいると部屋が一層広く感じた。

ふと、真正面の先生の椅子が目に入る。

この部屋にいると何を見ても先生を思い出す。

ここにいた時間はそんなに長くないけど、私にとっては先生と過ごす時間は全てだった。

それを思い出すだけで、今を受け止めきれなくなって胸が押しつぶされそうになる。

そして何度も自分に問いかけるのだ。

あの人は本当に死んだのだろうか?

彼が嘘を言うとは思えない。だけど、だけど万が一ということもあるのではないだろうか。

このままここで待っていればひょっこりと帰ってくるんじゃないのだろうか。

そんな期待がより一層私を脆くする。


先生は大嘘つきだった。

旅に出て困っている人を助けて世界を回ったなんて嘘っぱちだった。

戦うことが嫌いで人にはエージェントになるなと言いながら、あの人はエージェントだった。

そして……先生は右腕がなかった。

何一つ私に話してくれなかった。

何一つ私に相談してくれなかった。

あの人は嘘つきだった。

私にはいつも嘘ばかり話していたのだ。

もうどこまでが嘘でどこからが本当だかなんて分からないくらい嘘をついていたと思う。

エージェントなのにエージェントを嫌ったり、右腕なんてないのにある振りをする。


あの人の数え切れないくらいの嘘話の中にスーパーマンの話があった。

旅に出るたびに人助けをして世界を回るという話。

ドラゴンと戦ったり、洞窟を探検したり、妖精の森に行ったり。

私だってもう子供じゃない。そんな話を本気で信じると思っているのだろうか。

でもあの人の話はどうも嘘だと分かっていても、嘘だと言えないのだ。

そんな嘘もいいんじゃないか。

その嘘に期待してしまう。

そういう嘘をつけていけたらきっと楽しいと思う。

要はつまらない本当より、楽しい嘘に惹かれているのだろう。


そしてあの人になんでエージェントにならないのか。なんでエージェントはだめなのか。私は幾度と無くこの問いを投げかけた。

返ってくる答えはいつも同じ。

スーパーマンは救いたいものを救って、守りたいものを守れるからね。

私も先生みたいになりたかった。

でも私はエージェントにならなくちゃいけない。証明するために。

私はパンを焼けないパン屋。

先生は好きなパンが焼きたいからパン屋にならなかった。

私も好きなパンが焼きたい。

何にも縛られることがなく、自分に正直にいられる場所。

それでいてあの人を証明するのにふさわしい場所。

それが見つからない。

見つかるわけ無いんだ。そんな場所はないんだから。

暑くて寒い場所なんてあるわけない。矛盾した二つは一つになれない。



先生はそういうのができるのだろう。

あの人は嘘つきだから嘘をつくのが上手い。焼きたくないパンだって笑顔で焼けるだろう。

でも私には無理だ。

私はどうやっても自分を騙せない。

その場その場を凌げても、いつか積み上げたものの上で見下ろしたときに気づくのだ。


この塔は空っぽだ。

そうしてそれに気づいたら積み上げたものは崩れてしまう。


私は良くも悪くも自分に正直なのだ。

どうやっても自分を騙しきれない。

だからこそ分かる。


私は間違っている。



それは分かっているのだ。きっと彼が言おうとしたことは正しい。先生だってそう言うだろう。

でも分かっていてもできないのだ。

私はもうこれ以上ここに居たくなかった。

ここにいると思い出してしまうから。

何もかも忘れて楽になりたかった。

待つことも別れを言うことも耐えられなかった。

だから私は逃げるのだ。

何も考えない逃避行。

このままアカデミーに帰って何もかも忘れてやり直したい。

何もかも忘れて……




忘れるか……。慣れない嘘。

私は良くも悪くも正直なのだ。

どうやっても自分を騙しきれない。

でも、それでも私はこの嘘にしがみ付かなければ歩いていけないと思った。







眠れなかった。

昼間寝すぎたせいだろうか。

眠りたかった。

もう今日はこれ以上考えられない。

私は帰りたい。だけど彼は残るだろう。

彼は正直だった。私以上に嘘をつくのが下手。

だから彼は信じたものにまっすぐにしか走れない。

彼には記憶がない。

しがみつくものなんてない。

だけど、それでも彼は自分の足で歩いていける。


私は―――私には無理だ。

私は崩れかかった虚塔にしがみつくしかない。

それは間違っている。

嘘なんだから間違っている。

だけど私の望む本当なんてないんだからしょうがないじゃないか。


私は不出来な嘘にしがみつく。

いつか崩れると分かっていても。









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