41.




静かな部屋。

規則正しい彼女の寝息だけが、辺りに動きを与えていた。

その顔はまだ少し紅潮していて、涙の痕もうっすらと線を引くように残っている。

俺は一つ溜息をついて、お茶でも淹れることにした。

ものを考えるときにはお茶を入れる。

それは誰の癖だったか。











意外とあっさりとしたものだった。

こういうのを実感がないというのかもしれない。

コトーさんは本当に消えてしまった。

死ぬとかそういうんじゃなくて、血の跡も自慢の外套も全て消えてしまった。

だからだろうか。死んだという感じはしない。

どちらかといえばどこかに行ってしまったという風に感じる。

帰ってきそうな分だけこっちのがタチが悪い。

俺はしばらく呆然としていた。

これからどうするとか、そういうことも考えていたけど薄かったと思う。

現実を受け止めるとか受け止めないとかじゃなくて、もう一度そこに戻って考えるのが恐かった。


「シャル……連れてかないと」

やっとそれだけのことを思い出した。

それまでが30分だったか3時間だったか、時計を持ってないから分からないけど。時計くらい買わないとな。

さっき必死で駆け抜けた林道を逆に辿る。

道を逆に辿るように、このまま時間が戻ればどんなにいいことか。

シャルは何も変わっていなかった。

さっきと同じようにそこに横たわっている。

あの人がいなくなる前と何も変わらない寝顔。

こうしているとさっきまでのことが全部嘘だったみたいに思える。


「よいしょ……と」

シャルを背中に担いで、歩き出す。

どっちの出口から出るか迷ったけど、近い方から出よう。

そっちはさっきの場所。あの人が消えた場所。

「すう……すう……」

背中に背負った誰かは靴音と同じように呼吸も乱れることがない。

そして公園の出口が見えてくる。

辺りにはまだ抉れた芝生や、傷ついた石畳が生々しく残っている。

こういう証拠隠滅も仕事なんだとコトーさんは言っていたが、今はそれをする人はいない。


出口を出て、坂道を下る。

俺にとってはあまりいいことのない坂道。

上りより下りのが楽だとよく言うが、そんなことはないだろう。こんなにも体が重いんだから。

「なあ、シャル…」

しばらく起きそうにない彼女に話しかける。

当然返事はない。

「悪いな。約束守れなかった。先生は連れて帰れなかった」

「すう……すう……」

俺には彼女に事実を告げる義務があった。

ただそれを今の彼女に言って義務を果たしたというのは卑怯かもしれないが。

「赤毛のなんだっけ……ヒューゴは逃げた。でもしばらくは出てこれないと思う」

背中に背負った彼女に向かって話を続ける。

「コトーさんはたぶん死んだ。世界にのまれたっていうのか俺にはよく分からないけど」

長い坂道。

上ったときにあったものが今はない。

来たときは三人だった。一人足りない。

坂道を下り終える。

気がつけば俺の意識も朦朧としていた。

頭が重くてクラクラする。体中がヒビが入ったみたいに悲鳴をあげる。

ただ、今はそんなことより彼女の寝息の方が大きかった。

「あのさ、やっぱコトーさんは強かったよ。最期まで負けなかった」

相槌を打つように彼女の寝息が頷く。


「悪かったなシャル……。約束守れなかった」

謝ることしか俺にはできなかった。

明日は彼女にしっかりと謝ろう。

それで許してもらえるとは思えない。


だけど俺には謝ることしかできないから。










42.




俺が淹れたお茶はあの人が淹れるより少し渋かった。

シャルは目の前のソファーで小さな寝息を立てて眠っている。


シャルは意外と弱かった。

話し方が堅苦しかったり、何かときっちりとしてたり自分より年上な気さえしてしまうが、2人掛けのソファーに横たわるほど彼女の体は小さかった。

俺はシャルがあんなに騒ぐとは思わなかった。

シャルのことだから淡々と事実を受け止め、その詳細を聞いてきて、すぐに次の行動に移るだろうなと思っていた。

だけどそんなのは大きな勘違いだった。

シャルにとってコトーさんという存在はすごく大きなものだったのだろう。

それは薄々感じていた。

コトーさんだって、自分が死ねばこうなることは分かっていたはずだ。だからあの人は死のうとはしなかった。

俺も分かっていた。

分かっていたけど止められなかった。

もし俺がコトーさんに腕のことを言わなかったら、こんなことにはならなかった。


ずずず、と残っていたお茶を飲み干す。

「さてと……」


でも俺が考えるのはそういうことじゃなかった。

俺はいつも自分の出した答えに自信がもてなかった。

だから何度も振り返って、それが少しでも悪い方に傾くと引き返さずにはいられないのだ。

でもあの人は言った。

俺の答えは負けはしない、と。

俺は間違っていない。

たとえ何を失っても、誰を失っても。


俺がやるべきこと。

それは死者を悼むことではないはずだ。

まだこの街のホールは何も解決していない。



俺はあの人の作れなかった結末を作る。









43.




「シャル、起きろ」

何度目か分からないくらい起こされてやっと私は体を起こした。

ここは……ソファーの上。そうかあのまま私は気を失って……。

「今は夜の11時だ。そろそろ見回りの時間だろ?」

私はぼーっとした頭で彼の言葉を理解しようとする。

夜の11時……見回り……。

「まだこの街のホールは何にも解決してないじゃないか。だから……おい、シャル聞いてるか?」

そう言って、私の顔の前で手をひらひらとさせる。

やっと目が覚めてきた。

「リョーゴ……それはもういいです」

見回りとかそういうのは私の中では急速に意味を失いつつあった。

「いいってなんだよ。シャルはそれをなんとかするために来たんじゃないのかよ」

彼は不思議そうに首を傾げながら抗議する。きっとまだ私が寝ぼけてると思っているのだろう。

「もう私は……エージェントにはならない」

「え?」

私がエージェントになりたかったのは先生がいたからだった。

先生の言葉を証明するために、そのために私はエージェントになりたかったのだ。

でももう褒めてくれる人はいない。

私が合格したって聞いてくれる人はいないのだ。

だったら私にはもう意味がない。

エージェントになる気もない、試験も受ける気もない、明日にでもアカデミーに帰ろう。

「私は明日帰ります」

「帰るってどこに?」

「本国の方です。もう試験を受ける意味は無くなりましたから」

「は?なんだよそれ。シャルはエージェントになるために来たんじゃないのか?」

「そうでした。でももう……」


もうそれもいいのだ。

私はエージェントになんてなりたくなかった。

どうやっても私の答えは見つからないのだ。

それならやめてしまえばいい。

先生だって私がエージェントになることに否定的だった。

だったらやめたって……



「シャル……本気で言ってるのか?」

彼の語調が少しだけ強くなる。

「本気です。私は明日帰ります」

「コトーさんのことか?」

間髪おかず彼は聞く。

その名前を聞いた瞬間、私の心臓は直接電流を流されたかのように飛び跳ねた。

まだ……まだ慣れない。

「先生はもう帰って来ないから……それに先生は私がエージェントになることに反対でした…」

私は自分に言い聞かせるように言った。

私だってそれくらい分かってる。

もうちゃんとそれを受け止められる。


それなのに彼は、

「シャル……コトーさんはそういうことを言いたかったんじゃないと思うよ」

と、よく分からないことを言う。


その言葉にはカチンときた。

昨日今日会ったような貴方に何が分かるというのか。

貴方に何が分かると言うのだ。

何も知らない貴方に。

貴方には何も分からない!


「コトーさんが言いたかったのは―――」

「貴方には分からない!」

「シャル……」

「貴方に何が分かるんですか!何も知らないくせに偉そうなことを言わないでください!」

「でもシャルは間違ってる」

彼はまっすぐに私を見つめる。

今はその視線が鬱陶しい。

「分かったようなことを言わないでください!何も知らないくせに、何も分かってないくせに!……」

彼は呆然として私の方を見ている。

その姿も捩れたレンズのようにぐにゃりと曲がって見えてくる。


「シャル……」

「リョーゴには分からない!!…………分からないよ……リョーゴには」

涙が頬を伝う。

悔しくて、悔しくて……何に当たればいいのか分からないくらい悔しくて……


「出て行ってください!二度と私の前に現れないで!先生は……先生は貴方のせいで死んだんだから!」



私は彼に当たってしまうのだ。



自分の情けなさに気づいて顔をあげたときには、もう部屋には誰も居なかった。

また一人ぼっち。

いつからこんなに一人が辛くなったんだろう。





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