第六話 嘘つき/Standard








39.




「先生も来るんですか?」

「ダメかい?」

「ダメとかじゃなくて……」

言葉に詰まる。

ダメとかじゃなくて、なんでできるんだろうという疑問のが強いのだ。

たしかに試験官とは別に原則として一人の生徒に一人ずつ教官の同行が許可されている。

ただ生徒の数の方が圧倒的に多い為、現状ではあまり同行する教官は少ない。

いや、それ以上に教官の仕事には試験生の引率なんて含まれていない。

教官は教える仕事。試験は生徒が受けるもの。

だから先生が来ると言ったことに驚いたのだ。

でもそれ以上に先生と一緒にいられることのが嬉しくて、ついついこういう微妙な反応になってしまうのだ。











珍しいことが起こると雨が降るというが、その日は雨上がりの晴れた日。

前払いということだろうか。


「君の試験は2週間後だったっけ?」

唐突な切り出し。

珍しいこともあるものだ。

先生は私がエージェントの選抜試験を受けることに対して否定的だった。

だからだろうか。先生はあまり試験の話をしなかった。

「4週間後です。場所は日本……ですね」

「そりゃまた遠いね」

午前中の授業が終わり、慌しく他の生徒が廊下へ出てくる。

その喧騒を先生の部屋で聞きながら、私は再び深く椅子に腰を掛けた。

「じゃあ君が出るのは……1週間後くらい?」

「遅すぎます。本当なら今日出てもいいくらいです」

2週間もあればゆっくり飛行機を乗り継いでもおつりが来るが、試験はそんな簡単なものじゃない。

試験自体のスタートは4週間後だが、会場入りは2週間前から許可されている。

そして現地の試験官に報告し、それぞればらけて指示を待つ。

やはり早く入った方が会場の下見もできるし、メリットは多い。だからできることならそろそろ出発したい。

だけどそれを遅らせるのは……。


「君は今年も受けるのかい?」

「……ええ」

なかなか出発できない理由。

それは単純なことで、私自身決心がついてないのだ。

もうこの試験は4回目。後がないというわけではないが、貯金は尽きた。

天才と言われた私も――もっともそれは私にとっては不本意なものだったが――これで4回目の試験。もうほとんど普通の生徒と変わらない。

私は試験を受けるべきかどうか迷った。

毎日考えて、毎日迷った。

一昨日は絶対に受かろうと思ったし、昨日は受けるのはやめようと思った。

考えるたびに私の考えは万華鏡のようにコロコロと変わった。……そんな綺麗なものじゃないけれど。


「先生……。ひとつ聞いていいですか?」

「なんだい?」

上着の裾で眼鏡を拭きながら、先生が答える。

「先生は自分がもしエージェントだったらどうしますか?」

「僕が? どうするって何をだい?」

それは少しいじわるな質問だった。

私は先生がエージェントであることを知っているのだ。それを知りながら知らない振りをして聞いてみた。

先生ならどうするのか。

「先生は任務の途中でどうしても関係のない人を巻き込んでしまったらどうしますか?」

「たしか規則では……」

「知っています。秘密の保持ですよね。目撃者は殺す」

「そうだよ」

先生は私と視線を合わせない。もうすっかりピカピカになった眼鏡を磨く。

「先生は殺せますか?」

私にはできなかった。

私は筋が通らないことが嫌いなタチなのだ。

理由が無いこと、納得できないことは嫌いだった。

なぜ関係のない人、罪のない人を殺さなければならないのだろうか。

秘密の保持?人の命は一つの秘密に劣るというのだろうか。

「関係のない人を殺せるか、か」

先生は悩む素振りすら見せず話を続ける。

「それは根底が違うね。エージェントが殺せるかどうかというのは違うよ。それを殺せるのがエージェントと呼ばれるんだろう」

少しだけ私を見て眼鏡を掛けなおした。

「それじゃもしも、もしも先生が……」

「いいかい」

私の言葉を遮るように先生は切り出した。

「もしも、どうしてもエージェントになりたくて、でも関係のない人は殺せない。それは無理だ」

「無理って……なんでですか?」

「パンを焼きたくなかったらパン屋になれない」

「…………」


先生はコートの裾を直し、席を立つ。

そのまま私の後ろにあるドアに向かって歩き出す。

昼食はいつも先生と一緒に外で取る。

食堂で何か買って、外で食べるのだ。

「さてと、そろそろサンドウィッチでも買いに行こうか」

先生はいつもの笑顔に戻り、ドアの前で振り返る。

でも私は……


「パンが焼けないパン屋はどうしたらいいんですか?」

私は聞いてしまうのだ。

先生なら答えを持っていそうだから。

先生は少しだけ俯いて、ドアに向かいノブに手を掛ける。

「それじゃしょうがない。パンを焼きたいと言い聞かせながら焼くしかないさ」

言いづらそうにそれだけ言うと、先生は部屋を出る。

私はそれにつられる様に席を立ち、急いで部屋を出る。


靴音を立てながら、それすらかき消すような騒がしい廊下を歩く。

先生は何も話さない。

私も何も言わずに隣を歩く。

「だけどね、それは辛いことだよ。自分に嘘をつくってことは辛いよ」

そんなことは分かっていた。

だけどそれでも私は………。











そして私が出発するという今日、先生は大きな荷物を持って見送りに来た。

大きな荷物。

そして私に同行すると言い出した。

嬉しかった。

どんな強がりを言っても、どんな理由を並べてもやっぱり嬉しかった。

漠然とした期待は段々と形を帯び、私の気持ちは軽くなった。



私はそれでも試験を受けようと思った。

私の答えはまだ返ってこない。

でも答えを出さないと進めない。

でも先生と一緒なら歩いていける。

先生と一緒なら答えだって見つけられる。







「そうですよね。先生………」


もうあの教室は無くなってしまった。

狭いけど暖かくて、笑い声がよく響く。

しばらくは休講にすると先生は言った。

旅に出るから、また帰ってくるから……そう言っていた。

今度は小人の国に行くらしい。

きっとまた嘘のような土産話をしてくれるだろう。

私はそれをあの教室で待つしかない。

先生はまたそのうちひょっこりと帰ってくるだろう。

だからその時まで授業は休講なのだ。







そうして記憶は色を取り戻し始める。

うっすらと明かりを感じる。

この夢が醒めたら私は……。

私は―――。








40.




ぼんやりと薄汚れた天井が目に入る。

ウトウトとしながらもう一度寝ようと目をつぶる。

ゴロゴロと右へ左へ体を転がしながら寝やすい場所を探し、再び眠りに入る。

そうすると意外なほどあっさりともう一度眠りに就くことができるのだ。

懐かしい匂い。

ずっとこのままでいたいという心地よさと共に私は眠りに落ちて……


「先生!!」


何をしているんだ私は!

バッと勢いよく、暖かい布団を跳ね除けベッドを飛び降りる。

目の前のドアに駆け寄り、ノブを握るが早いか突き破らん勢いで部屋を出る。

先生は!?先生はどうしたの!!先生は……。


「ここは……?」

出たところは見慣れた部屋で、先生の事務所だった。

たぶん私が寝ていたのは先生の寝室で……

「先生!先生!」

私は大きな声を出しながら、広くもない部屋を歩き回る。

先生は無事なのだろうか。

絶対無事だ。先生は絶対に……。

言いようのない不安に押しつぶされそうになりながらキッチンの方へ足を向ける。

その時、先生のデスクの椅子が少し動いた気がした。

あの椅子は先生のお気に入りで、フカフカで社長気分になれるとわざわざ本国からここに運び込んだのだ。

大きな背もたれはデスクの方――私の方に向いていて、それは少しだけど動いた気がした。

「先生!」

私はそういいながら、デスクを回り込むように椅子の正面に走り寄った。



椅子は空だった。

誰も座っていない。



この部屋には誰もいない。

先生は?先生はどうしたの?

自然と体が震えだす。

カタカタと勝手に震えだして、それを止めようと両手でしっかりと自分を抱きしめる。

「そんなはずはない。きっと今先生は外に出てて……」

そういいながらも私の震えは止まらない。



カンカンカンカン……!!

懐かしい靴音が階段を上ってくる。

世話しない靴音。

いつもあの人はギリギリで駆け込んでくるのだ。

今日の授業はないのかもと不安に思ったころにやってくる。

安堵の溜息が自然と出て、それと一緒に体の震えも収まってきた。

そうだ。先生は強いんだから。

なんたってスーパーマンなのだ。

正義の味方が負けるはずがない。



バタン!



部屋中に響き渡るような音を立ててドアが開かれる。

「先生―――……」

私はドアに駆け寄り……

「ん?シャル起きたのか?」


誰か知らない人が大きな袋をいくつも抱えてそこに立っていた。

誰だったか。そうだ、リョーゴだ。


「リョーゴ!先生は?先生はどうしたんですか!」

一刻も早く、この不安を吹き飛ばしたかった。

恐くて恐くて、私は耐えられない。


「コトーさんは……」

彼は言葉を濁す。

「先生はどこにいるんですか!?先生は……」

きっと私は情けない顔をしているのだろう。

不安でビクビクと怯える情けない顔。


彼は少しだけ目を逸らして、呟くように言った。

「………コトーさんはもう帰って来ないよ」

「そうでした!旅に出ると言ってましたよね。小人の国でしたっけ……やっぱりしばらく帰ってこれないのですか?」

「…………シャル――」

「先生はいつも旅に出るんですよ!珍しくもなんともないんです!一ヶ月も二ヶ月も帰って来ないことだってありました!」

「……シャル、コト−さんは――」

彼は困った顔をする。

そんな顔をしないで欲しい。だって先生は帰ってくるんだから。

「リョーゴは知らないかもしれませんが、先生はヒーローなんですよ!巨人から村を守ったり、ドワーフの洞窟を探検したり、スーパーマンだから頼まれると断れなくていつも引き受けちゃうんです!あっ、ドラゴンと戦ったことだってあるんですよ!」

「シャル聞け!コトーさんは――!」

「だから先生は今もあっちこっちをふら付いてるんです!先生はっ……先生っ……は……!」

「コトーさんは死んだ」

「嘘です!先生は……先生はスーパーマンで絶対に負けないんです!先生は強くて……」

「それでも―――」

「聞きたくない!聞きたくないっ!貴方は嘘をついてます!先生が死ぬわけない……死ぬわけないんだから!」


私の体から力が抜ける。

何度も目の前が真っ白に反転して、意識が遠くなっていく。

倒れそうになる私を誰かが抱えて……


「だって先生は……先生は帰ってくるって……言ったんだから」



あの人は嘘はつくけど、約束は破らない人だった。

だから先生は帰ってくるんだ。




私の意識は遠くなる。

最後に彼の困った顔が見えた。

だからそういう困った顔をするのはやめて欲しい。



だって、先生は帰ってくるんだから






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