19.




「右腕―――ないですよね」


どこからともなく吹く風。

バタバタと重い音を立ててはためく外套。

コトーさんは答えない。


「コトーさん、言いましたよね。俺にはチカラを霧として見れるって」

俺は背もたれに寄りかかり上を見たまま話す。

「俺はあの日コトーさんの右腕に霧がかかっているのを見た。最初は違うと思った。ヒューゴとかいう奴みたいにアーツによるものだと思った。でもそれは間違いだった。その腕は既に食われてる。そうですよね?」

「…………」

「俺にはどうやって侵食を防いでるかは分からない。だけどあんたがDUDSだってことは分かる」

今の先生はアイツと同じだ。俺を串刺しにしたアイツ。

「…………なんでだよ、コトーさん。いつからそうなっちゃたんだよ」

コトーさんがこっちを向いた気がした。


「3年前」

コトーさんが口を開いたことに俺は少し驚いた。

「前に言ったよね。ここは3年前にもホールができたって」

「だからこんな短期間にホールができるはずがないって言ってましたよね」

「僕はその時に右腕を失った。侵食は全くないわけじゃない。ただ僕にはこれがある」

そう言って、右腕のコートの裾を上げた。

「腕が……ない?」

「ないわけじゃない。“隔離”してるんだ。できるだけ隔離することによって侵食の速度を落としてるというわけだ。一時的とはいえ、借金はチャラにできるからね」

そう言うと、また裾を戻す。

「でも驚いたよ。まさかこのコートの上から見やぶるとはね。やっぱり君の能力は変わってる」

そんなことはどうでもよかった。

俺の力なんてどうでもいい。

俺には聞くことがあった。

「コトーさん、今起きてる右腕のない死体はコトーさんがやったんですか?」

「そうだよ」

感情のない声で答える。


嘘だって言ってほしかった。

俺はコトーさんといた日々は本当に楽しかったから、嘘だって言ってほしかった。

嘘でもいいから。


「なんで……!なんで関係のない人を殺せるんだ!」

思わず俺は体を起こし、コトーさんを睨みつける。

「自分が生きるためだよ。誰だってそうだ。自然権って言葉を知ってるかい?」

コトーさんは良くも悪くもいつも通りだった。

怒っているわけでも責めているわけでもない。

俺はそれが……いつもと同じ声でそんなことを言うのが許せなかった。

「違う!あんたは理由も無く人を殺せるような人じゃない!」

「殺せるさ。やって見せようか」

「ちっ!」

俺は飛び出すように走り出す。

振り返ると馴染み深いナイフが5,6本俺の居たところに刺さっていた。

「なんでだよ。シャルはあんたのことを知ってるのか!」

「知らないだろうね」

その手にはいつの間にか西洋剣が握られていた。

「シャルは絶対あんたのことを信じてるぞ!嘘だって言ってくれ!あんたは人を殺さない!」



「亮伍君―――。」



ゆらりと剣を掲げる。




「失う覚悟はあるかい?」




俺はそいつがコトーさんと同じ姿で


同じ声で


同じ言葉を






ただ、それが許せなかった。









20.




「先生!!」

「やあ、シャル君。久しぶり」

「久しぶりじゃないです!怪我は!怪我はどうなんですか!!」

「ははは、僕は丈夫だからね。この通り、全然平気さ」

ぶんぶんと先生は包帯でぐるぐる巻きの右腕を回す。

「何やってるんですか!大人しくしててください!」

「だから大丈夫なんだって」




私がその知らせを聞いたのは先生が出て行って、三回目の試験に落ちて、先生の帰りを待っているときだった。

色々あったけど、何にもなかった。

私は先生がいないと空っぽになってしまうらしい。


先生が大怪我をして入院したと聞いたときは一瞬心臓が止まると思った。

いや、止まった。

腰から下の力が抜けて、床にへたりこんだ。

まるで骨が無くなってしまったみたい。

私の体は活動を停止する。


頭は真っ白。

何も考えられなくなった。


そう、私は知っている。先生がナンバーレスであることを。

だから心配だった。

ナンバーレスに回ってくるのはどれもこれも無茶な任務ばかりだと聞く。

だからいつかこうなるんじゃないかと思った。

そこまで考えていたときには病院の前まで来ていた。




でも病室のベッドで横になっている先生はいつもの先生だった。

「いやー、今度の旅行はちょっと色々あってね。巨人族って知ってるかい?あれと真正面からぶつかったんだよ」

先生は私を見ていつもの嘘のような冒険譚を話し出す。

身体中が傷だらけ。

無事なところなんてありはしない。

ミイラみたいに全身に包帯が巻いてあって、その中で先生の見せる白い歯と輝く目だけが浮いていた。

先生は私に話してくれなかった。

自分がエージェントであることを。

戦うことは嫌いだと言っていた。

私にもエージェントになってほしくないと言っていた。

先生は私に嘘をついている。


「巨人族っていうのはすごく大きいんだ!うちのアカデミーの校舎があるだろ。あれと同じかそれ以上で、僕は最初はお城かと思ったんだよ」

はっはっは、と病室に懐かしい笑い声が木霊する。


先生は嘘をついている。

先生は旅になんて行ってなくて、妖精の国にも行ってないし、ドワーフの洞窟にも行ってないし、ドラゴンと戦っているわけでもない。

スーパーマンなんかでもなかった。

先生はエージェントだった。


「僕は何も気づかずに入り口を探したんだ。山のように大きい体をあっちこっち歩きまわってね。そして入り口だと思ったのは口だったんだよ。いやーまいった、まいった」


でも私は笑ってしまうだろう。

何もかも遅かったのだ。

今更、先生がエージェントでもそうでなくても私には関係ないのだ。

先生は嘘をつくけど、私を傷つけるような嘘はつかない。

先生の嘘にはいつも夢があった。

どれも嘘みたいな冒険話で、いつも私を笑わせる。



だからどっちでもよかった。



「それで、その後どうしたんですか?」

「おっ!それはね!――――」


先生は窓から入る日差しをスポットライトに楽しそうに話をする。

先生といるとそこはいつでも晴れていて、いつもそこは暖かい。


私は先生を信じている。

私には先生が必要なのだ。

空っぽの私を埋めてくれたのは先生だったから。


私は先生と会って、色んなことを学んだ。

くだらないものもたくさんあったけど、いろんなことを教えてくれた。

太陽の光はポカポカとして温かいし、木陰で昼寝をするのは気持ちいい。

校舎の裏には綺麗な花が咲くし、屋上には気持ちいい風が吹く。

そして私に笑顔を教えてくれた。




「それは辛い戦いだった。でも僕は村を守るために戦った!何度も何度も剣を振ったんだ!」



だから私は笑ってしまうのだろう。



「スーパーマンだからですよね」

「分かって来たじゃないか」


「私は先生の生徒ですから」


先生は満面の笑みで頷いた。

私もそれが嬉しくて笑ってしまう。




私には答えは分からない。

だけど先生がいればいつか見つかる。

そんな気がして、少しだけ楽になった。










21.




「なんでだよ。なんでだよ……」

無限に出る疑問の言葉。

分からなかった。

俺の知ってる先生は……。


「君は言ったね。何も失わない、と」

いつしか俺が言った言葉。

答えに辿り着けない途中式。

だけどそれは……。

「分かるかい?だから僕は君に聞いた。失う覚悟があるか、と」

「…………」

「何も失えない者は何も選べない。何も守ることはできないし、結局は全てを失う」

先生の言うことはいつも正しかった。

俺にだって分かっていた。

何も失わないなんてことはできない。

当然だ。

失ったものは失ってから気づくもの。だから失う前には分からない。

俺が言っていることは子供みたいな理想で、失うことが嫌だから失うことを認めないだけだった。

でも現実はそう甘くないんだろう。

全てを落とさずに前には進めない。

一歩進めば一つ落とし、二歩進めば二つ落とす。

そうやってみんな前に進んでいる。


「戦場とは失う場所だ。だから君は戦えない。君は未だに僕を助けようとしているだろ?僕を助けて街の人を守ってシャル君も助ける。でもそれは無駄さ。僕は君を殺すよ。今正体がバレるのは困る」

コトーさんは剣を前に構える。


俺は甘かった。

全てを守って歩けるほど俺は強くなかった。

俺は初めて失うことを知った。

失うことっていうのはやっぱり失ってから気づくもので、失う前にどうにかできるもんじゃなかった。

気づいたときには手遅れで、拾おうとしたときには遠かった。


失ったものは返ってこない。

だから俺は前に進もう。

これ以上何も失わないように。

そう信じて進むしかなかった。

振り返れば立ち止まってしまうから。


悲しい前進。



「俺は――――」

ベンチに刺さったナイフを手にする。


「あんたを止める。あんたを止めなきゃ犠牲者は増えるし、シャルも危ない。だから俺はあんたを――――」

「正解だ。それが戦場だよ。何かをあきらめて何かを守る。失うことは守ることだ」



俺は決めた。



俺があんたを止めるよ。










22.




彼女は帰って行った。

僕は結局、何一つ言えなかった。

自分がエージェントであることも、この身がDUDSであることも。




あの後、僕はすぐに右腕を隔離した。

ホールの領域を出れば侵食のスピードは落ちる。

それまで世界を騙しきる。


結果は成功だった。

完全とはいえないまでも、ほとんど侵食は止まった。

次にホールに入らない限り、この腕はもつだろう。

言うなれば世界との契約が繋がる段階を引き伸ばしているよなもの。これなら腕を戻したところで、急にDUDSになるということはない。

それにこのコートもある。

解析屈折を起こす外套。

これなら誰も腕の異常には気づかない。


ナンバーレスの方は解雇された。

結果が散々だったから。

重傷1名。死者2名。


いや、それでよかったのかもしれない。

どちらにしろ僕はもう戦えない。

チカラを使おうものなら僕は世界に飲み込まれる。

それに僕はもう戦うことに意味を見出せなかった。

戦って戦って戦って

その結果がこれなんて……ちょっとあんまりじゃないのか。

僕は何も失わないために戦った。

そうしていれば何も失わないと思った。

全部を守って、全部を助けて、全部を落とさずに進めたらそれはどんなにすばらしいことだろう。


でもそれは違った。

何かを落とさないと進めない。

双六のように僕達はサイコロを振りながらじゃないと進めない。

振ったサイコロは使い捨て。

何かを捨てないと前には進めない。

だから最初から何も失わないなんて無理だった。



これからどうするか。

僕の処置はあくまで応急処置だった。

5年先までは大丈夫だろうけど、10年先は分からない。

DUDSとして生き残るには代わりの腕を探さなければいけない。

それは誰かから奪うということ。

ただ、奪うだけではだめだろう。

その腕が持つ履歴を少しでも綺麗にするために、殺さなくてはならない。

僕にそれができるだろうか。


僕はそんなのまっぴらだ。

誰かを殺して自分が生きるなんて間違っている。

それならさっさと死んでしまおう。




数年前までの僕ならきっとそう思っていただろう。

でも僕は死ねない。

僕はもう死ねないんだ。


僕は大事な人をたくさん失った。

失うことは辛いことだ。

身を切られる思い。

もうあんな思いはしたくない。



彼女は一人だった。

親とか、友達とか、そういう当たり前のものが無かったんだ。

だから僕が全部埋めてあげた。

今までの寂しさが帳消しになるくらい、彼女を笑わせた。

僕が死んだら、きっと彼女は笑えない。

きっと答えを探せない。




僕は死ねない。

僕は先生だから。





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