13.




試験には必ず難しい問題がある。

それは歴史みたいに知らなきゃ解けないものだったり、数学みたいに分かってても解けないもだったりする。

つまりは記憶に頼る。

同じ問題を解いたことはないだろうか。この問いに該当する答えはないだろうか。

そうするとだいたい思い当たるものがあって、うまくいったりいかなかったり。それが問題というものだろう。


では自分の記憶について聞かれた場合はどうすればいいのか。


昨日の朝は何を食べた?とかそういうんじゃない。



今までに何回瞬きをしたか?

こういうのが本当の難問。


掘り返す記憶には期待できない。

白紙のデータベースを抱える俺にはぴったり当てはまる。












「記憶ですか……」

すっかり忘れていた。

俺は記憶喪失だったんだっけ。それすらも忘れてしまうとは俺が記憶を失くすのも分かる気がする。

「君は記憶がないんだろ?」

「はい。目が醒めてからの記憶しかないです。戻る気配もないですし」


気づけば記憶喪失なんてどうでもよくなっていた。

今いる俺は前の俺と同じ服を着てるけど、やっぱり別物だった。

俺はアイツを知らないし、アイツも俺を知らないだろう。

まあ二人を区別すること自体がおかしいのだが、前の自分の記憶が全くないのだ。嫌でもアイツを意識してしまう。

そしてアイツと俺は違うから結果として九堂亮伍は二人いる。今の俺とそれまでの俺。いや、その前に俺は九堂亮伍なのだろうか。


「前にも話したよね。君の記憶喪失原因については」

「はい。でも……」

「そうだね。はっきりとは分からなかった。事故のショック。そう結論付けたんだったね」

事故による頭部の強打。それによる記憶喪失。それが今までの結論だった。

「僕は君のことを一から考えてみたんだよ。あの時はまだ君をよく知らなかった。君は気づいてないかもしれないけど、君の持つ力は異常だよ。アーツの無効化。アーツを止める能力。僕の知らないものばかりさ」

コトーさんはちょっとだけ俺の方を向いた。

「君は霧が視えると言ったね」

「白い霧のことですか?」

「そうだよ。僕の仮定ではそれはきっと世界のチカラだろう。恐ろしい仮定だけど、今はそれが一番しっくりくる」

白い霧。

思えば初めてこの世界に足を踏み込んだ日も雨の上がったあの日。

晴れ時々霧。

「じゃあ仮に君が世界のチカラを視ているとしよう。だとしたら、君はチカラを視認できているとなる。分かるかい?」

「俺はチカラを霧として認識しているというわけですか?」

「そう。信じられない話だけどね。分かりやすく言えば空気を見ているようなものだよ」

空気を見るか……。

たしかに信じられない。

「さて、もう一つの君の不思議。君の使うアーツの停止」

自然とコトーさんの言葉に強さが出る。

「アーツを止める方法はいくつかある。例えば相手のとの実力差があれば自分のセカイを強く持てば相手のアーツは届かない。他にもセカイ自体を上書きしてしまうということもあるね。でも君には両方とも無理だ。君はアーティストじゃない」

「ん?それじゃ俺はアーツが使えないんですか?」

「そうだね。アーツを使う人は見ればすぐに分かる。自分の周りに展開させてるセカイが違うんだよ。人は常に自分のセカイを自分の周りに無意識のうちに創りだす。これは誰だってできるんだよ。でもアーティストの場合はそれに慣れちゃってるからそれが強いんだ。そうだな、アーティストがアーティストを見れば夏場の陽炎みたいにそこが歪んでいることが分かる」

「つまり俺にはその歪みがないんですか?」

「そうだね。君は至って普通の人間に近い。君ぐらいの歪みなら一般人レベルさ。誰でもそれくらいは持ってる。誰だって思うだろ?『もしこうだったらいいな』って。だけどそうはいかない。それは本人の願いが曖昧だったり、無謀なものだったりというのが原因なんだけどね。僕達アーティストならある程度はなんとかなる。例えば、あそこに落ちてる空き缶をここから動かずに拾いたい」

コトーさんは6mほど先に落ちている空き缶に目をやる。

「あの空き缶が手元にあるのをイメージする。それは可能なんだ。絶対に手元に来る。そうイメージする」

次の瞬間、コトーさんの手には落ちていたはずの空き缶が握られていた。

それを俺に見せると右の方に置いてあるゴミ箱に投げる。

「つまり僕達にはそれができる」

カランカラン。

いい音を立てて空き缶はゴミ箱に入る。うまい。

「つまり俺に歪みがないって言うのには語弊があって、正確にいうと一般人並みの歪みはあるんですね」

「そういうこと。だから君はアーティストじゃない」

「でも俺の使ったのは……」

そうだ。あのアーツの無効化はアーツではないのだろうか。

「君はアーツは使えない。君の事情を知る僕達がかろうじで君がDUDSだと分かるぐらいなんだよ。そうなると不思議だね。なぜ君には不思議な力があるのか」

「不思議ってそれが分かったんじゃないんですか?」

「あれ?そんなこと言ったかい?」

「いや、言ってないけど……」

会話の流れからそう取ってもおかしくないような……。


「一応答えは出たけどね」


「え!?じゃあなんなんですか!俺の力っていうのは!」

襲い掛からんばかりの勢いで迫る。

「まあ落ち着いて。これは話すと長くなるけど、結論からいうと」

珍しい。この人がいきなり結論から言うとは……。

まあ後から山盛りの理論付けが待っているだろうが。


「DUDSっていうのは何かを失って、失ったものを世界から借り受けて、それを返済するために略奪をする」

もう聞き飽きたDUDS講義。


「簡単なことだった。君が失ったものは記憶だったということさ」


分からない。俺が失ったのは肋骨やら内臓やらじゃなかったのか。

あの日、男に貫かれた胸の話じゃないのか。


コト−さんの言うことは俺の頭には大きすぎた。










14.




試験を受けた後も私はコトーさんの授業をとり続けた。

普通、試験に落ちれば苦手科目を取ったりしてアカデミーに居続けることになる。

私が取ったのは一科目だけ。先生の教える戦闘戦術。

他に教わるようなことも無かったし、よく考えれば私がその科目を取らないと先生は教官ではなくなってしまうんじゃないだろうか。


その日もいつものように時間通りに先生の部屋に向かった。

お馴染みとなった古い教室。

狭くて汚いけど、暖かい場所。

これでも私が毎日掃除しているから綺麗になった方なのだ。

何度開けたか分からない部屋のドアを開けて、中に入る。

「失礼します」

返事はない。

私が来るときに先生がいないことは珍しくない。よく部屋を留守にする。

だから私は特に気にも留めず、小さな椅子に腰掛け待つことにした。


席につき、黒板を見上げているとある物に気づいた。

先生のデスクの上に無造作に詰まれた本の間に黒い封筒が挟まっているのに気づいたのだ。

黒板は先生のデスクの後ろに位置しているため、デスクの上のものが自然に目に入る。

黒い封筒?

たしかエージェントへの指令は直接下されるものと書簡に依るものがあると聞いたことがある。

封筒には色がついていて、それぞれの身分階級に応じた腕章の色に順ずるという。

教官の腕章は黄色。先生も左腕に向日葵のように明るい黄色の腕章をつけている。

だから先生への指令令状だったとしたら、それは黄色い封筒のはずだった。

気になった私は50cmほど積みあがった本の隙間に入り込んだ封筒をゆっくりと引き抜いた。

名前は書いてなかった。

令状であるなら、差出人と宛先が書いてあって中に任務内容を記した手紙が入ってる筈だ。

封は切ってあった。私は少しだけ開けてみた。

白い手紙が入っている。

一度ドアの方へ向き直り、辺りを確認する。

人のものを勝手に見るのは気が引けたが、何かこれは見なければいけない気がした。

何か大事な重さのある手紙。

二つに折られた手紙を小さく広げて見る。



私はすぐにそれを折りたたみ、黒い封筒に戻した。

ドタバタと積み重なった本をどけ、元あった場所に挟みなおす。

何事も無かったかのように席につく。



「あー!また遅れちゃったよ。ごめんごめん」

ドアを開ける音と同時になだれ込んでくる先生。

「遅いですよ、もう10分も過ぎてます」

「明日からはちゃんと来るって」


今日も教室は暖かい。

天気は雨だけど部屋の中は関係ない。

先生はデスクの前に立ち、今日もくだらない話をする。

私は笑いながら続きを求める。




先生は戦うことは嫌だと言った。

だから教官になったと言った。

私は先生なら答えてくれると思った。

正しいこととは何なのか。

先生は答えなかった。

僕の答えは君とは違うと言った。





“コトー・クラムスコイ

明日9:00に深石像裏に集まれたし”



聞いたことがある。

このアカデミーの七不思議のひとつ。黒い封筒。

ここにはナンバーのないエージェントがいると言う。

彼らは黒い腕章をつけた名無しのエージェント。


“黒い封筒に触ってはいけないよ。

それは熱くて冷たい鉄の黒。

彼らは黒い印を負った殺し屋。

百じゃ足りない、千じゃ足りない。

だから彼らは数字を負わない”








授業の最後に先生は言った。


「ああ、そうだった。僕、明日から少し出かけるからね。自習ってことでお願いね」




ナンバーレス。











15.




「記憶?」

それはおかしい。だって失ったものはレンタルできるんじゃないのだろうか。

「君が失ったのは記憶だよ。言うなれば、君は目を覚ました瞬間に失っていたことになるね」

「でもそれだったら何で俺の記憶は戻らないんですか?一時的に借りることはできるんじゃないんですか?」

「ああ、返って来てるさ」

「え?」

コトーさんの話は回り道。

いつも相手に道を探させる。

「君は記憶を失ってなんかいない。君は最初の診断は器質性健忘ということだった。だけど脳に異常はないのに記憶は戻らない。だから心因性健忘だと診断された。だけど僕は違うと思った。もっと根本的なものが違う。君は自分で記憶を封印したんだじゃないのかい?」

「自分で!?」

「よく聞くだろう。思い出したくない出来事を忘れるために記憶を封印するんだ。たしかにこれなら脳に異常があるはずがない。あるとしたら君自身だろうだからね」

「でも俺は思い出したい!記憶を戻したいんですよ」

「今の君はそう思うかもしれない。だけど失う前の君がどう思っていたのか分からない」

「あ……」

そうか。俺がどんなに記憶を望んでも、アイツが望まなければ返ってこない。金庫の鍵は二つ必要なのだ。

「つまり君は精神的なものが原因で記憶を失ったわけだけど、そこが複雑なんだ。ちなみに失う前の君が記憶を望んだとしても、返って来ないだろうね」

「え?だって俺は自分で封印してるって……」

「ああ。だから一種の無意識下の防衛機能だろうね。ここで、レンタルされたのにない記憶と君の使う力の正体が関わってくる」

「防衛機能ってことは俺が自分を守るために封印したんですか?」

「そういうことだよ。だから記憶を取り戻すというのはあきらめた方がいい。自分で危ないと思って手放したものだ。もう一度にする必要はないだろう」

「あきらめろって……」

あきらめきれる筈がない。

記憶が戻らなければ俺は一生二人で生きていかなければ行けない。

自分じゃない自分と自分より自分らしい自分。

「あきらめるんだ。僕の仮説が正しければ君は記憶を取り戻したら死ぬよ」

「なんで死ぬんですか?」

俺は必死になって尋ねた。

コトーさんは俺の方を向かずにぐーっと背伸びをした。

それは話の終わりを感じさせた。


「僕が話せるのはここまでさ。いいかい?思い出そうとしてはいけないよ。そして霧を視ようとしてもいけない。どうしてもという時だけだ。だけど次は無事でいられるか分からない。だからできれば視ない方がいい」

「霧を見ると記憶が戻るってことですか?」

ははは、とコトーさんは困ったように笑った。

「君は少し賢くなったみたいだね。そういうことだね。だから霧を視ちゃいけない」


まあ霧は見ようと思っても見えなかった。

コトーさんが言うなら見ないようにしよう。

でも俺にはそんなことはどうでもよかったんだ。

もうあの霧を見たいとは思わなかった。



「さてと、そろそろ帰ろうか。今日はゆっくり休もう」

コトーさんは立ち上がる。



月が出てきた。

俺はそんなに感傷深い方じゃなかったが、夜空にぽっかり穴が開いたように浮かぶ月は満月。

それをぼんやりと眺めていると不思議とベンチから立ち上がれない。

まあ、背もたれにもたれかかったままじゃ立てないよな。



「おーい亮伍君、置いてくよー」

いつものよく通る笑い声を付け加えながら、俺を呼ぶ。





俺は気づいたんだ。

それは気づいてはならない舞台裏。

本来ならば気づかない。




この何日かは本当に楽しかった。

記憶を失くしたりとか、赤毛に追われたりとか、ナイフを投げられたりとかしたけど楽しかった。




だけどそれももう終わり。

所詮は夢。良くも悪くもなるだろう。




そう、俺は例外だった。

見えるんだ。

この世界のカラクリが。





「コトーさん」


俺は月を見たまま口だけ動かす。

水面で口をパクパクさせてる魚のよう。



「なんだい?」

コトーさんはいつも通り。にこにことしながら俺を見る。




俺は言えなかったことがある。

それを言おうと今日はずっと思ってた。





「右腕―――ないですよね」







頼りない夏の光と共に、俺はいろんなものにさよならをした。







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