9.
「まぐれだったのかな」
「まぐれでしょうね」
二人して頷く。
そう言われると俺の立場がないんだが。
俺の足元には10数個のテニスボールが転がっている。
パフェとかパフェとかあったファミレスを出た後、俺達は再び公園にやってきた。
授業の続き。後半戦は俺には未だ馴染みの薄いアーツに関するものらしい。
俺は昼間は人目につくんじゃないのと言ったけど「その辺はなんとかなるからいいよ」とかなんとか。どこへ行った秘密主義。
なんでも夜は夜でやることがあるから、昼間のうちに済ましておきたいらしい。
と言っても、もう夕方。時刻は5時を折り返した。9月になって急速に短くなった日はあと30分もしないうちに落ちてしまうだろう。
「まさか一つも成功しないとはね」
そういいながらも笑顔を絶やさない先生と
「昨日のは何かの間違いだったのかもしれません」
後輩に厳しいパフェ少女。
「うーん、何か昨日と変わったところはある?」
「変わったところですか?」
今日やったことは昨日やったこととたいした変化はない。
コトーさんがテニスボールをアーツを使って投げてそれを俺が止める。
昨日できたはずなんだから今日だってできる。
そう思ってたんだけど、予想に反して一つも成功しなかった。
何十回と繰り返しても、ちっともうまくいかない。
集中したり、止まるのをイメージしたり、思いつくことはやってるんだけどうまくいかない。
別に昨日の傷が痛むとかそういうんじゃない。ナイフの傷だって一晩寝たら治ってしまった。おかしな体。
コトーさんとシャルが何か話し合っている。
声は聞こえたり聞こえなかったりだが、様子から察するにシャルが何か抗議しているご様子。
俺はテニスボールでお手玉。3つからが難しい。
しばらくしてこっちにやってくるコトーさん。
「今日はこの辺にしとこっか」
「え!?」
「最近はずっと頑張りっぱなしだろ?だから今日はゆっくり休むってことでどうだい」
「別にいいですけど……」
スパルタでいくとか言ってた割には甘いような……。優しい先生。
「でも俺の授業はどうなるんですか?自分で言うのも難ですけど俺は全然進歩してないですし、早くその“止める”とかいうやつをやった方がいいんじゃ……」
今は時間がない。
ホールだっていつ開くか分からないし、誰が開こうとしているかすらも分からない。
この状況で休むのはどうだろう。
「じゃあシャル君も帰っていいよ。今日はゆっくり休んでね」
「先生、私は全然疲れていません。この時期に休むのは……」
シャルも俺と同意見のよう。俺もそれに一票。
「この時期だからこそさ。これからは忙しくなる。ホールが見つかったら存分に働いてもらうからさ、今日は最後のお休みってことで」
一理ある。……のか?
俺は素人だから分からないけど、そういう日程調整も大事なのかもしれない。
「分かりました。先生がそう言うなら従います」
「悪いね」
頭をかきながら悪びれたようすもなく笑うコトーさん。
シャルは俺の方にキュッと向き直ると
「それではリョーゴ、送っていきます」
「え?」
とんでもないお言葉。
「貴方は少し考えが足らな過ぎる。そして弱い。一人にするのは危ないでしょう」
「大丈夫だって。今はまだ日があるし、ダッシュで帰るから」
俺にもプライドがある。
女の子に一人で帰れるかなんて聞かれて黙ってるわけにはいかない。
「そうはいきません。すぐに暗くなる。そういう油断が命取りなのです」
うーん、困った。
こうなるとシャルは頑固だからなあ。こういう時の彼女が話を聞くのは……
「分かったよ。僕が送っていくからそれでいいだろ?」
コトーさんくらいだろう。
「それなら構いません。それではお疲れ様でした。私は帰って寝ます」
話が決まると行動は早い。
シャルは振り返ることなく、さっさと帰ってしまった。
残るのは冴えない男性ユニット。
俺達は何も話さずに夕焼けの公園を歩く。
話し好きのコトーさんも口を開かなかった。
紅く染まった空は木々を照らし、ちょっと派手な紅葉のよう。
大きな広場を出て、出口への一本道に出た。
この道をまっすぐ歩けば、あの坂道が待っていてそれを下れば家まではすぐだった。
俺は言えなかったことがある。
それを言おうと今日はずっと思ってた。
「ちょっとそこに座って話でもしないかい?」
コトーさんが指差したのは小さな背もたれもない木製のベンチ。
ゆったりとした道幅の脇に据えられたベンチに俺達は腰を下ろした。
暮れかかった夕日を見ながら、俺は暮れない夕日に抱きついた。
10.
「そうかい。残念だったね」
あっさりとしたものだった。
私が言うか言わないか、すごく迷って迷って迷った末に勇気を振りしぼって不合格のことを先生に伝えた。だけど反応はこの通り。
「僕もまさか君が落ちるとは思わなかったなあ」
コポコポと紅茶を注ぎながら先生は言う。
「どうするんだい?来年も受けるのかい?」
先生は聞かない。
私がどうして落ちたのかを。
「来年は分かりません。まだ決められなくて……」
私には分からなくなっていた。
何が正しくて何が間違っているのかを。
「失う覚悟はあるかい?」
「え?」
懐かしい響き。それは一年前の教室での言葉だった。
「覚えているかな。ちょうど一年くらい前だったっけ、君と初めてあったのは」
「そうですね」
あの日の教室。
すごい静かで、何も無くて、みんなは知らないだろうけど笑い声がよく響く教室。
「僕は何度も言ってきた。戦場は失う場所だと」
「…………」
私は何も言えない。
「そこで得る地位も名誉も全ては失っているんだよ。だから僕は戦うことは嫌いだった」
先生は紅茶にミルクを加えくるくるとティースプーンでかきまわす。
「先生、私は関係のない人を殺しました」
「そうか」
それはエージェントとしては当たり前のことだった。
目撃者の排除。基本事項。
「先生、私は分からなくなりました。何が正しいんですか?」
「分からないな。僕にとっての答えは君の答えと違うだろうから」
私の答え。それはどこにあるんだろう。
求める答えは返って来ない。
「私はエージェントはもっと誇りのある仕事だと思っていました。ホールを抑えて、それによる被害を抑えて、もっとやりがいのある仕事だと思ってました」
「やりがいはなかったかい?」
私は初めて人を殺した。
実際に私が殺したわけじゃない。だけど殺されるのをただ見ていた。
止めることもできた。だけどできなかった。
あそこで止めてしまったら何が本当なのか分からなくなるから。
私がこれから進んでいくためには今を壊すわけにはいかなかった。
積み上げるのは空っぽの虚塔。
それはいつの間にか高くなって、気がつけば降りられなくなっていた。
たとえそれが間違っていたとしても降りられない。
だから私はそれを否定できずに、また積み上げる。
中身がないから積むのは簡単。でも積み上げると崩れそう。
それでも私はそこに居続ける。
「先生、何が本当なんですか!?もう私分かりません……!なんでですか!?」
涙があふれる。
抱えた矛盾が私を傷つける。
ガラスの破片を飲み込んだように私の体はズタズタだった。
「シャル君」
今日初めて私の名を呼んだ。
「僕の答えは君を救えない。それは君自身の問題だからね」
先生はいつも通りだ。
困った様子も焦る様子もない。
私はそこに惹かれたのだろう。
「僕は君を救えない。僕にできるのは君を再び戦場に立たせないことぐらいだよ」
「私は……」
何も言えなかった。
まだ自分の中でも考えがまとまっていないのだ。
私はまだ嘘をついていられるのだろうか。
「私はまだ戦えます」
自分でも分かるような強がりを口にした。
先生は何も答えない。
そうなのだ。
聞きたい問いには答えがない。
だから私は待つのだろう。
「失う覚悟はあるかい?」
行き場のない私の問いかけ。
それに答えるのは似たような問いかけだった。
11.
「今頃シャル君は寝てるだろうね」
「そうでしょうね」
時刻は6時を回って辺りはシャッターでも下ろしたみたいに一気に暗くなっていった。
晩夏の不思議。夜が早足でやってくる。
今頃、シャルは言葉通りに帰って寝てることだろう。早寝遅起き。早いというか、いつも寝てるんだけどさ。
「亮伍君は何か話したいことがあるんじゃないのかい?」
「え?なんで分かるんですか?」
エスパーか?エスパーなのか?
「今日の君の態度を見てれば誰だって分かるよ。元々落ち着きのある方じゃないけど、今日は一段とそわそわしてたしね」
「あはは……」
どことなく照れくさくなって視線を逸らして苦笑い。
この人は変に鋭い。鋭いところと鈍いところが混在する。切れ味が落ちたカッターナイフみたいな感じ。
「僕も色々言っておきたいことがあってね」
はっはっは、とよく通る声で笑う。
「君も知ってると思うけど、これからは少し危険な状況になるよ」
真面目な顔で変な日本語を使う。
「それは分かってますよ。でももう戻れません」
戻れない。戻らない。
俺は逃げないと決めた。
何もかも逃げるようになってしまったら俺はきっと自分の一番からも逃げてしまうから。
「そうか。君ならそう言うと思ったよ」
ふー、と長い溜息を吐きながら、ぐぐっと背もたれに寄りかかる。
「はい」
男二人で公園のベンチに腰をかけるっていうのは少し変な光景じゃないか、と少し思った。
コトーさんは空を見たまま何も話さない。
俺は最近分かったことだが、コトーさんは大事な話をする前には必ず間を置く。
お茶を飲んだり、眼鏡を拭いたり、空を見たり……。
きっとこの後には俺の頭を悩ませるような難しい話を持ってくるのだろう。
「さて」
一息置く。
来るぞ来るぞ。
「君はなんで自分の記憶がないのか考えたことがあるかい?」
ほら、難問だ。
12.
それから一年後。
私は2回目の試験を受けることになる。
別に留年とかそういう引け目はない。
元々私は3回生で試験を受けた飛び級。
科目にも依るが、普通は7,8回生になるまで試験を受けようとはしない。
受けることはできるが結果は見えているというわけだ。
その点私は一回落ちてもまだ優等生。期待のホープはまだ続く。
今回の試験も前回と大きく異なる点はない。
私なら受かる。私の実力なら受かる。そんなつまらない試験だった。
私は落ちた。
分かっていた。私が受からないことぐらい。受ける前から分かっていた。
戦えない者は戦場に立てない。
私は戦えなかった。
迷う者は戦えない。
私にはまだ分からないのだ。
だから答えを保留する。
私はたくさんの嘘を積み上げてきた。
嘘の上に嘘を重ねて綺麗に揃えて自分で見ても気づかないくらいに立派な塔を作った。
そこからの眺めはとてもよくて、積み上げるのは嘘でも本当でもどっちでもよかったんだ。どっちだって上を目指せる。
でも私は弱かった。
積み上げる途中に気づいてしまったんだ。
私の塔は嘘でできている。
それは今にも崩れ落ちそうだった。
重ねた嘘はすごく弱くて、積み上げるほどに悲鳴を上げる。
私はついに積み重ねることができなくなった。
もう本当も嘘も積めなくなった。
どっちを積んでも壊れてしまう。
私は進めなくなった。
だから私は自分だってごまかせるような嘘を積む事にした。
積んだら壊れてしまう。
塔はもう限界だった。何を積んでも耐えられない。
でも何か積まないと進めないから積み上げる。
空っぽの虚塔は傾き始めた。
驚くことはない。
笑ってしまうくらいに当たり前。
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