38.




私は色彩。
私は風景。
私は旅人。


私には誇れる過去も賭ける名誉も輝く栄光もありはしない。











林道を走る。

足を踏み出すたびに体中が悲鳴をあげる。

傷口が熱い。塞がってはいるがきっと中身はくっついちゃいない。胸にはまだ穴が空いてるんだろう。

頭も痛い。思えば頭痛というのは初めてかもしれない。俺にとっては。


霧を見てはいけない理由。

コトーさんは記憶が戻るからダメだと言った。

それはなんとなく分かった。たしかに霧が出ているときには何か違う景色を見ている。

それが自分の過去なのかどうかは分からない。ただ初めてきたはずなのに前に来たことあるような不思議な感じ。

なぜ霧を見ると記憶が戻るのかは分からない。

コトーさんはそのことは教えてくれなかった。でもあの人が言うならきっとそうなんだろう。できるだけ霧を見ないことにする。

そしてなぜか俺は自分の記憶を封印しているという。一種の防衛機能だと言っていた。俺の記憶には何があるのか。


でも考えるのは後だ。

今は少しでも早く走らなくちゃいけない。

余計なことを考える余裕があるなら足を動かせ。


まだコトーさんは戦っている。

鉄が何かとぶつかるような鈍く轟く甲高い音はまだ林道に響いている。

それだけがコトーさんの無事を告げる。


音が大きくなる。

姿がぼんやりと見えてくる。





「―――私は風景、あらゆる世界は私の中に」



間違えるはずはない。

今の声はコトーさんのものだ。



「コトーさ―――」

俺の声は激しい剣音にかき消される。

すぐに赤い髪をなびかせてアイツが剣を構えて走り出す。

右手に石でできたような剣、左手に綺麗な装飾の施された剣。


だがそれがコトーさんの前に来ると姿を消す。

俺のときと同じ。

外されている。




「―――私は旅人、終わる世界は虚構の塔」



コトーさんの紡ぐ一言一言に世界が胎動する。

巻き起こる風。吹き荒れる歪み。

それらを押さえつけるように自分に纏い、コトーさんが攻めに出る。

左手に持ったサーベルを振るってアイツに襲い掛かる。

既に右腕は無かった。

それだけじゃない。体が消えかけている。

体があちこち透けているのだ。

うっすらと少しずつその姿は消えていく。



「うああああああああ!!!!」

裂帛の気合。

消えかけた自分の体を熾すように自身を奮い立たせる。

アイツが押されてる。

アイツの繰り出すものは全てどこかへ消えていく。それらは二度と現れることなくどこかへ消える。


俺は何も言えなかった。

止められない。

もう手遅れだった。

コトーさんはもう―――。





「消えろ、外れろ!失い、朽ちろ!果てずの剣!忘却の王!」




最期の言葉に合わせて一際世界が揺れる。

それはこの一帯を巻き込むように蠢動する。

アイツは血だらけだった。

コトーさんの剣が次々とアイツに食い込む。

ただそれでもまだアイツが無事なのは、アイツが優れているからと………もうコトーさんは見えてないから。

それは相手を斬るような剣じゃなかった。どこに相手が居るのか探るような剣。

3回振って一度でも当たればいい。そういう剣。



腕を首に巻きつけるようにして剣を力強く振う。

それを腕に受けたアイツは上体を崩す。

そして最期にその剣はアイツを捉えた。


アイツの体ががら空きになる。

両腕が弾かれ、体は倒れかかっている。

そこにコトーさんの剣は振り下ろされた。












消えかけた体を熾しながら男は無尽に剣を振った。

穴だらけの外套。

消えかけた体。

それでも男は止まらない。

男は見えているかのように一心に敵を追う。


それは何かを責めてるようで、何かを嘆くようで悲しい剣だった。

打ち合うたびに自身を削る。


男の答えは適わなかった。

何も間違ってなかった。

必死に考えてできた答えは完璧だった。

だけどそれは叶わなかったんだ。

どんな答えも理想を満たすことは無かった。

出した答えはいつも悪い結果ばかり引き起こし、いつも悪い方へ進んでいった。

それでもそれをどうにかしようと男は足掻いた。

これが物語なら絶対どこかにハッピーエンドがあるはずだから。

そう信じてずっと走り続けた。











また届かなかったか……。

そんな声が聞こえた気がした。


コトーさんの体はどんどん形を崩していく。

霧が晴れるようにその体は消えていく。


振り下ろした剣はアイツに触れる前に切っ先から消えていった。

消え方がコトーさんの能力によく似ていた。自然にそうあるように消える。


俺が駆け寄ろうと思った時には、そこにあの人の姿は無かった。

掛ける声も何もなかった。

それは夢のようだった。

どこからどこまでが夢だか分からないけど。

冗談みたいに消えてしまった。

本当にあの人はそこに居たのだろうか。

疑いたくなるほどに何も残らない。



人がいなくなるっていうのは案外こういうものなのかもしれない。

起きたらいなくなっていた。目を覚ましたらいなかった。

寝る前にはいたのかどうかを疑ってしまうように綺麗さっぱりいなくなる。



もうあの人はいない。

説明好きな先生も、暴力教師も、いつも笑っていた男もいない。

もう誰もいないんだ。





アイツは居なくなっていた。

あれだけの傷を負ったんだ。すぐには追ってこないだろう。

ここで仕留められなかったのは痛いが、しばらくは動けまい。




俺は倒れこむようにその場に座り込んだ。

今日は長い一日だった。


「あれ……?俺どうして泣いてんだろ」

不思議と涙が止まらなかった。

いつまでも止まらない涙だけが、あの人の存在を残すようだった。


ゆっくりと空を見上げる。

月はあまりよく見えない。

空は曇り始め、今にも雨が降り出しそうだった。


「あんたはそれでよかったのかよ」


何かを守って死ぬことが果たしていいことなのか俺には分からない。

やっぱり人間自分が一番だと思うし、死ぬときは納得できるものが一番いいと思う。

でもあの人はあれでよかったのだろう。



あの人はヒーローだったから。


ヒーローは悪いヤツラを倒すとどこかへ帰っていく。

きっとあの人も同じなんだと思う。







「失う覚悟はあるかい、か……」


思えばこれがあの人の歪みだった。

俺は失うことを前提に戦うのは嫌だった。今だってそう。

あの人は自分は何も失おうとしないくせに、人にはそれは無理だって言う。

無理なことを自分でやろうとしてるんだからおかしい。


でもあの人が言いたかったのはそうじゃなかった。

失うことを前提に戦うということは、最初から諦めることでも切り捨てることでも割り切ることでもなかった。

たとえ何かを失っても何かを守れるように。

何かを落としても立ち止まらないように。




「何も違わないじゃないか」


俺の答えと何も違わなかった。

ただ、それがちょっと歪んだだけだと思う。

いろんなことがあっていろんなことを知って、それがちょっと歪んだだけだと思う。





だからあんたの答えは俺が継いでやる。

あんたが出せなかった答えもあんたが望んだ結末も俺が作ってやる。





―――それが、俺にできる誓い。




誰も居ない公園に受け取り手のない誓い。


その答えはどこへでもいける。







第五話 空繰空天/He is right 完 


第六話

あとがき

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