35.
海鳴りのような爆音は遠かった。
もう大分離れたと思う。このまま走り続ければ時機に公園の出口が見えてくる。
今日はたくさんの決断とたくさんの選択をした。
あふれる選択肢はどれも選べなくて、いじわるなものばかりだった。
それでもどれかを選ばなくてはならない。
迷う俺の背中を押してくれたのはあの人だった。
失う苦しみはあの人が半分背負ってくれるから俺は選ぶことができたんだと思う。
「おろしてください。自分で歩けます」
シャルはさっきから随分静かになった。
泣き喚くこともなく、暴れることもなく、ぼーっとして黙り込んでしまった。
俺としてはむしろ泣き喚いてくれた方が楽だった。
黙られるとその方が辛い。
俺はゆっくりとシャルを地面におろした。
何も言わずに鬱蒼とした木々に挟まれた道を歩く。
シャルはついてこない。
「シャル……」
シャルは来た道をじっと見つめて何かを見ていた。
それはあの人。
「シャル。行くぞ」
俺はシャルの左手を掴み、強引に前へ引っ張る。
細い手首。体はまだ震えている。
引っ張られたことに気づいてないのか、少し俺が前に進むとシャルはぺたんと地面に座り込んでしまった。
「あのな、今からも戻るっていうのはナシだからな」
仕方なく、再び抱きかかえようと手を伸ばす。
「リョーゴはいつから気づいていたんですか?」
シャルは俺を見ることなく言った。
それは俺に聞いているのかどうかよく分からなかったけど、亮伍っていうのは俺の名前だ。
その声に驚いて差し出した手を引っ込めた。
「いつからってなんのことだ」
俺はシャルに背を向け、進行方向に目を向ける。なんとなく顔をあわせられない。
「恍けないでください!貴方はいつから先生がDUDSだって気づいていたんですか!」
彼女の声が背中越しに響く。
「……ふう。前にコトーさんが俺にナイフを投げたときがあっただろ。あのときだ」
「だったら……」
声が途切れる。
「だったらなんで私に言ってくれなかったんですか!なんで私に相談してくれなかった!」
彼女の言葉が再び涙で崩れる。
「俺は……」
「私が悲しむと思いましたか!なんで何も……何も言ってくれなかったんですか!」
俺には何も言えなかった。
俺はあの時はそれが一番いいと思った。
シャルに余計な心配はかけたくないし、できればシャルの知らないところで決着を着けたかった。
俺もあの二人の関係を壊したくなかったのだ。
いつもそうだ。
俺のその場その場の最善は後になって悪い方にばかり傾く。
「私は戻ります。貴方がなんて言おうと知りません」
「おい、待てって!」
「貴方には関係のないことです!私は先生を助ける」
シャルは聞かない。そうだった、彼女はすごい頑固だった。
「分かった。それじゃあ今から戻ろう」
「え?」
思いもよらない一言に驚くように言葉を呑む。
「今から行けばきっと間に合う。俺とシャルが加わればアイツにだって勝てるかもしれない」
「でもそれは……」
「大丈夫さ。コトーさんは強いんだろ。それに3対1だ。負けるはずが無い」
さあ、と俺はシャルの手を取り立ち上がらせる。
「分かりました。それではリョーゴ、気休め程度でしょうがこのナイフを渡しておきます」
それはさっきまで俺が使っていたナイフと同じもの。きっとコトーさんのものなんだろう。
「いいのか?シャルはどうすんだ?」
「私にはこれがあります」
と、ホルスターから彼女の顔より大きいんじゃないかというくらいの銃を取り出す。
「分かった。もらっとくよ」
「あげたのではありません。貸したのです!後で絶対返してください。先生にもらったものなんですから」
むきになって怒るシャル。その顔には少しだけ笑顔が見えた。
やっぱりあの人の存在は彼女の中では大きいのだろう。
「よし、それじゃ行くかっ」
パンと手を打つ。
「それでは行きましょう!リョーゴはや―――っ……リョー……ゴ」
彼女の体が崩れる。両足の骨がなくなったみたいに倒れこもうとする彼女を左腕で支える。
「……悪いな、シャル」
俺の右手はシャルの鳩尾に深く刺さっていた。
「貴方は……いつも…ずるい……」
「ああ。後で謝るよ」
俺はそっとシャルを道端の芝生に寝かせ、もと来た道を走り出す。
これは俺の戦いだった。
両手一杯に抱えたボールをどれだけ落とさずに向こう岸に渡れるか。
渡るのは樹形図の様に分かれる変わった橋。
道はたくさんあったけど、それでも結果はあんまり変わらなかった。
気づいたら橋の中央に居て、戻れないところまで来てしまった。
既に一つ二つと落ちていったボール。
俺はそれを見て見ぬ振りをして対岸に渡った。
あの人は何度も振り返って戻ろうとした俺に振り返るなと声をあげる。
そして橋を落とし、一人で向こう岸に残ってしまった。
そっちの岸は小さな島で少しずつ沈んでいく。
俺にできること。
時間は無い。
あの人は平気で人のために死ぬ人だ。
だから誰かが居てあげないといけない。
それは俺じゃなくて彼女なのかもしれない。
だけどこれだけは俺一人でなんとかするから。
お前の先生を連れて帰る。
勝手な約束をして俺はあの場所へ急ぐ。
36.
奴の周りに再び見えない壁ができる。
それは見えないが、見えるもの全てを拒絶する。
奴はそのまま剣を取ってオレの方に走り寄る。
「なら、これでどうだ!!」
右手に創るは地面から引き抜いたアーツで構成した剣。
左手には実像を持つ剣。
奴は片方しか防げない。
ここに来て奴の動きは落ちてきている。
もう長くは無い。後はこのまま世界が奴を消してくれる。
剣の捌きだってオレの方が数段勝る。
コトーに勝ち目はない。
「ハッ!!」
「―――んんっ!!」
左手に持った剣が消える。
なるほど、アーツは諦めるのか。
すぐに周りから石の大蛇が唸りをあげてコトーに襲い掛かる。
そして同時に振われるオレの右手に持たれたアーツによる剣。
「―――私は風景、あらゆる世界は私の中に」
「なに!?」
オレの剣は両方とも消えていた。
奴は片方ずつしか消せないはずなのに……。
「お前は……!?」
すぐにコトーは剣を持ち替え、オレに向かって振う。
「クソがぁぁぁぁ!!」
「―――私は旅人、終わる世界は虚構の塔」
それを受け止めようとした剣はコトーの剣と合わさると不思議と形を消していく。
「がっ……」
左肩から大量の血が流れる。
それが流れ始めるのを待たずにすぐに次の剣が追ってくる!
反則だ。
こっちの攻撃はひとつだって当たりはしないのに、コトーのばっかり当たりやがる。
普通じゃない。普通じゃない。
オレは負けるはずがない。
負けるはず無いのに……。
そんなの無敵じゃないか。
追い詰められる恐怖。
確実に迫る死という結果。
オレは初めて恐怖した。
37.
「―――私は旅人、終わる世界は虚構の塔」
もう右腕は動かない。
動かないんじゃないか。もう無いんだ。
世界が借金のカタに持っていってしまった。
耳も聞こえない。目も見えない。
全ての感覚が無に還る。
自分が居ることを確認できない。
僕はちゃんと立っているだろか。
僕はちゃんと戦っているだろうか。
全てのものが消えていく。
そんなものは全然惜しくなかった。
もとより崩れ落ちる体。ならそれをじっと待っているわけにはいかない。
もう彼女の笑い声も聞こえない。
彼女の姿だって見えない。
それでも僕は―――。
これが僕にできる贖罪だから。
残った左腕で剣を振う。
見えない相手。見えない残り時間。きっと残すはロスタイムだけ。スタッフロール。
手の感覚が消えていく。
振った剣が当たったのかどうかも分からない。
自分が斬られたのかどうかも分からない。
でも僕は決めたんだ。
僕は何にも守れなかった。
守ろうと決めたものだって守れなかった。
だけど最期だけは……最期くらいしっかり落とさずに歩きたい。
だから全てを明け渡してでも僕は彼を止めよう。
だって彼女を守らないと、僕は先生だから。
もう何も思い出せなくなっていた。
僕に残された記憶は砂粒みたいに磨耗していった。
僕の人生は幸せだった。
人は不幸だというかもしれない。
大事な人が死んでいって、僕だけが残ってしまった。
それでも僕は幸せだったんだ。
そうだ、生徒がいる先生ほど幸せなものは無いだろう。
そして最期の記憶を繋ぎ、ここに紡ぐ。
「消えろ、外れろ!失い、朽ちろ!果てずの剣!忘却の王!」
その後どうなったかは分からない。
やれるだけのことはやった。
体が消えていくのが分かる。
僕の意識は凋むように消えていった。
何が思い出せて何が思い出せないのかも分からない。
ぷかぷかとでっかいプールに浮かぶように僕の体は軽い。
落ちていく記憶は最期に僕の前を通り過ぎる。
僕には友達がいて、いなくなって、仲間がいて、いなくなって、生徒がいて、先生でいれた。
そして最期に浮かんだのは、いつもの教室。
狭くて汚い部屋だけど、生徒がいて先生がいてそこは教室になった。
そこは窓が一つしかないんだけど、とても暖かい場所。
最期に彼女の笑顔を思い浮かべて僕は消えることにする。
後のことは意外と心配ないんじゃないかと思う。
きっと僕の答えより、彼の答えの方が彼女には近いから。
だから後は彼に任せよう。
いつか追いかけた僕の理想。
彼もきっと追いかけるだろう。
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