28.
「先生!!!」
自分でもこんな大きな声が出るとは思わなかった。
どうしようかとか、今がどういう状況だとかそういう全ての前に私はその人を呼んだ。
やっぱりあの人ならなんとかしてくれるだろうし、私はスーパーマンを信じている。
スーパーマンは負けることないし、どんなにピンチになっても最後に正義は勝つ。
だから目の前の光景はありえなかった。
「先生……先生!」
私は走り出したかった。
走ってすぐにでも先生の手当てをしないと……ナイフが刺さってる。
でもその気持ちとは裏腹に私の足は動かない。
でも私は走れなかった。
走って先生に抱きついてしまったら、それが現実だって分かっちゃうから動けなかった。
私はいつもそうだった。心と体がバラバラで、今では心の中だってバラバラだった。
このまま背を向けて今来た道を戻りたかった。
ホテルに帰ってベッドに入って寝てしまえば目が覚めたときには全てが元通り。そんな気がした。
これは夢。夢なんだ。
私は自分にそう言い聞かせた。
まだこれは夢の中でいつかは醒める夢。早く起きないと……。
いつまでそうしていただろう。
現実を否定して、どこへでも逃げ出したかった。
そんな私に夢の住人は言った。
「シャル君。ひさしぶりだね」
それは夢でも優しい声。
29.
一番会いたかった人に会った。
最期で彼女に会えたのは運がいいのか悪いのか。
僕だけの我が侭で言わせたもらえば、本当に嬉しかった。
僕は結局彼女に何も話せなかった。
自分がエージェントであることも話せなかったし、DUDSであることも話せなかった。
彼女は怒るだろうか。
きっと怒るだろうな。彼女はそういう子だ。自分がバラバラでも歩けるのに人がバラバラだと見てられない。
僕は彼女の前では嘘をついていたかった。
戦いなんて知らない優しい先生。
世界の平和のために戦うスーパーマン。
よく考えれば矛盾してるんだけど、僕と彼女の間ではそんなことはなかった。
彼女にとって僕は先生で、僕にとって彼女は生徒でそれでよかった。
だから僕は何も言えなかった。
今の関係を壊したくなかった。
楽しくて暖かいいつもの教室。
狭くて汚い部屋だけど、彼女は掃除は得意みたいだから大丈夫だろう。
今は遠い懐かしい場所。
もう一度あの場所に帰れるなら僕はどんな代価だって払うだろう。
彼の気持ちが分かった気がする。
先生と教官の違い。
教官は教える人で先生は教わる人。
やってみてやっと分かった。
教官は職業だけど、先生は違う。
教官は一人でもいいんだ。だけど先生には生徒が必要なんだ。
だから先生はいつまで立っても半人前。
生徒と合わせて一人前ということ。
彼女には当然のものが無かった。
友達とか家族とかそういうものがなかった。
だから僕は全部を埋めてあげることにした。
足りない部分を補うように、彼女がもっと笑ってられるようにがんばった。
それは同情とかそういうんじゃない。
きっと鏡を見てるようで腹が立ったんだと思う。
何も知らない振りをして何も見ない振りをして生きていくのは辛いから、もっと堂々と生きていられるようにしてあげたかった。
僕はまだ彼女に教えたいことが山ほどある。
彼女は知らないだろう。
世界はもっと広いし、空はもっと青い。
面白いことだってたくさんあるし、楽しい事だってたくさんあるんだ。
でも先生ごっこはもう終わり。
楽しかった。
最初は彼をなぞるつもりで始めたものだった。
でもそれはいつしか僕の中身を塗り替えて、僕の全てになっていた。
僕は死ねない。
僕が死んだら彼女はまた一人になってしまうだろう。
彼女は優しい。
優等生でも天才でも年相応の女の子だった。
くだらない話には声をあげて笑うし、飼っていた猫が死んだときはいつまで経っても泣き止まなかった。
彼女は戦いには向いていない。
戦うのには優しすぎてきっと自分を傷つける。
できれば彼女には何も失って欲しくなかった。
はじめから何もないのに、手に入れたものさえ失うなんてかわいそう過ぎる。
僕は結局彼女の答えを見つけてあげられなかった。
でもそれでいいと思う。
それは誰かに言われてどうにかなるものじゃないし、自分で探した方がいいと思う。
泣きじゃくる彼女。
さて、なんて言おう。
言い訳と嘘は僕の十八番だ。
口からでまかせ。あるはずの無い話。
そういうのは楽しい。
あるはずが無いから笑えるし、あるはずが無いから悲しむことも無い。
それは夢のような話で、僕が大好きなものだった。
最期くらいもう少し気の利いた格好いい台詞を言いたいものだ。
ヒーローが言うような痺れるような格好いい決め台詞。
「シャル君。久しぶりだね」
やっぱりだめみたいだ。
僕は偽者のヒーローだから。
30.
一番会いたくない人に会った。
シャルには会いたくなかった。
それだけで責められるようで俺には耐えられなかった。
シャルは俺を許さないだろう。
シャルはコトーさんがDUDSだってことなんて知らないし、俺だってそれを話す気はない。
コトーさんとシャルの関係は本当に暖かかった。
何がと言われても分からない。でも彼らと1時間も一緒に居れば分かる。
居心地がいい、春みたいな場所。
ずっとこんな日々が続けばと思うほどによかった。
それを壊したのは俺。
俺は気づいた。空っぽの人形師。
空っぽの体を動かして観客を笑わせる。孤独なカラクリ人形。
いつからだろうとか、どうしてそうなったとか、そういうのは俺には分からない。
そういう理由は人それぞれだし、それを知ったからといって俺の行動が変わったとは思えない。
俺はまだ自分が正しいとは思えない。
いや、一生思えないんじゃないかと思う。
問題は難しかった。
2+3を6にしろといった無理難題。
どうやっても合わない答え。無理矢理理由をつけても正解になるわけじゃない。
俺は正しかったのだろうか。
コトーさんを殺して、DUDSを殺して、街は右腕による被害に悩むことも無い。
俺は正しい。
そう思わなければだめなんだ。
きっと俺の答えは誰も応援してくれない。
彼女は俺を許さない。
俺も許してもらおうとは思わなかった。
どんな理由があっても彼女の先生を殺したのは俺で、それはどんな理屈を捏ねても変わらない。
でも俺だけは正しいと思わなければ俺の答えは報われない。
そしてその答えの犠牲も。
犠牲を伴う答え。
俺は嫌いだった。
俺が望むのは甘いかもしれないけど、いつもハッピーエンドだった。
コトーさんがいて、シャルがいて、誰もが望むような大団円。
それは間違っていない。
俺はそう信じて歩いてきた。
誰も欠けないように、何も落とさないように注意して進めばきっと辿り着けると思った。
それは間違っていない。
ただ、ちょっと遠かっただけ。
そうやって進むには遠すぎて、気づいたら色々なものを落としていた。
拾おうとしたときには遅すぎて、戻ろうとしたときには遠すぎた。
だから俺は前に進むしかない。
これが正しいと自分に言い聞かせて進む。
そうしないと落としていったものが報われない。
俺は誰とも目を合わせられなかった。
どんなに自分は正しかったと胸を張っても、偽れないものがある。
俺は自分とさえ向き合えない。
正しいと思った答えがここに来て揺るぎ始めた。
それはそうだろう。
男っていうのは女の子の涙には弱いようにできている。
彼女が泣きながら先生と叫び、俺はいつの間にかナイフから手を離していた。
俺は正しかったのだろうか。
もう分からなかった。
どうして俺はあんなことをしたんだろう。
彼女が悲しむのは分かっていたのに。
俺はそれが最善だと思って頑張った。
でもそれは本当に最善だったのだろうか。
独りよがりの勝手な答え。
俺はこんなことをしたかったわけじゃない。
彼女が泣きながらコトーさんに向かって走り寄っていく。
俺のことなんて目に入っていなかった。
その光景を直視できなかった。
それはそのまま俺を責めるようで嫌だった。
コトーさんはゆっくりシャルの方に向き直り――――
「来るなぁぁ!!」
突風のような速度で彼女を突き飛ばした。
コトーさんが叫ぶのと、鋭い針のような石柱がコトーさんを貫くのは同時だった。
「やあやあ、皆さんこれは御揃いで」
赤毛の長髪、にやけ顔。
大袈裟に両手を大きく広げ、笑いかける。
いつか見た石柱の男。
まだ夜は終わらない。
31.
「……間に合ったね」
体中から血を流しながらコトーさんは言った。
自慢の外套もボロボロで穴だらけだった。
「先生……?」
シャルとコトーさんは向き合うように対面した。
コトーさんに刺さる石柱は胸に刺さるナイフと一緒に消えていく。
傷も少しずつ塞がっていく。
「ほら、なんともないだろ?」
いつものように笑うコトーさん。
「先生……」
彼女が不安そうな顔をする。その顔は今にも声をあげて泣き出しそうで壊れそうだった。
「大丈夫さ。計算どおりだから」
コトーさんの手がシャルの頭をそっと撫でる。
すぐに嵐のような石柱がやってきた。
それは溢れる暴風。
しかしコトーさんの周りに触れると融けるように消えていく。
「先生……。せん―――」
「悪いけどしばらく授業は休講だね。ちょっとまた旅行に行ってくるよ」
彼女の言葉を遮るようにコトーさんは言った。
「今度はさ……小人の国へ行こうと思ってるんだ。前にも行ったんだけどね。そこは人も家もこんっなに小さいんだ」
荒い呼吸を整えながらコトーさんは言う。
吹き荒れる岩の嵐の中、コトーさんはいつも通りだった。
「そうだ!試験が終わったら君も連れてってあげよう。世界は広い。君が知らない世界だって山ほどあるんだ」
「先生、先生……!」
シャルはコトーさんに泣きついた。
「先生!せんせい!死なないでよ!先生!」
コトーさんは彼女を優しく抱きしめながら笑いかける。
それはどこにでもあっていいはずの優しい絵。
「シャル君。世界は広いよ。海はどこまでも広がってるし、空には底が無い。君が知るよりもっと世界は広いんだ」
「――――うぅ…」
「だから君の答えもどこかにあるよ。だって世界には小人だっているし、お城のような巨人だっている。火を吹く竜だっているし、妖精だっている」
「―――行かないでよ!先生っ!いかないでよ……」
「―――君に会えてよかった」
コトーさんはそう言うと、ゆっくりと彼女を離して俺の方を見る。
俺は岩の嵐を縫うように走り出す。
治りかけた傷が再び開く。
でもそんなのはどうでもよくて、足を止めることなく羽より軽い彼女を抱きかかえた。
俺はそのまま走り出す。
「逃がすか!」
すぐに奴の石柱が俺を追う。
「私は色彩―――」
コトーさんの前で石柱は火に当てた氷のように消えて無くなった。
「通さないさ」
「くそっ!」
「―――!?リョーゴ何するんですか!おろしなさい!おろして!先生が……!」
彼女は俺の腕の中で暴れる。それを押さえつけるようにして俺はその場を離れるように無言で走る。
「先生が!おろして!先生が死んじゃうよ……!」
5mほど走ったところで彼女の膝が俺の傷口を打った。
その痛みに顔を歪ませながら上体がぐらりと揺れ、横向きに倒れた。
彼女はそんな俺に振り返ることなくコトーさんの方に駆け寄る。
「…………」
俺は倒れながらも震える彼女の右手を捕まえる。
「放して!放しなさい!先生が―――!」
それを振り払おうと彼女は力を込める。
左手で俺の手首を折らんばかりに握り締め、それを外そうとする。
手首に彼女の爪が食い込み、血が滲む。それでも俺は放さない。
「なぜ邪魔をするんですか!このままじゃ先生がっ……先生が死んじゃうよ」
彼女の声は弱い。
体の震えが止まらなくて、その声も震えて崩れそうなくらいに弱い。
コトーさんはどこからとなく剣を取り出す。
そして向かうべき敵と対峙する。
そして誰にと無く言った。
「ヒーローが負けたことはあるかい?」
乱れる呼吸。
傷だらけの体。
それを引きずるようにしてコトーさんは俺達に背を向け庇うように剣を構える。
呆然とする彼女を再び抱え、俺は走り出す。
「振り返るなよ。亮伍君。君の答えは負けはしない」
俺は静かな夜道を走る。
「先生!先生!やめてよ先生っ!リョーゴ!先生を止めてよ!」
彼女の声だけが夜に響く。
泣きじゃくる彼女を抱えて俺はその場を後にした。
二度と忘れないだろう公園。
強がるヒーローは剣を手にする。
そして勝てるはずも無い相手に向かっていった。
それが彼の答え。
あらゆる答えを否定され続けた男が辿り着いた場所。
彼は最期の答えを信じて敵に向かう。
それだけが全てを守れると信じて。
俺が最期に見たのはそんな男の背中。
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