第五話 空繰空天/He is right
1.
何日かして代わりの教官が来たらしい。
それを知らせる手紙が私のとこにも届いた。
私はそれを一通り目を通すと、二つに折ってゴミ箱に捨てた。
先生の教えているのは戦闘戦術だった。
数々の科目の中で戦闘戦術はエージェントにとって必須科目でほとんどの生徒が取っていた。
それゆえにエージェント出身ではない彼への生徒達の反発は大きかったのだろう。
そうして郵便物をチェックしていると見慣れた汚い字が目に付いた。
それは今話題の解雇されたての新人教師からで『教室が空いてないから今日の授業は僕の部屋まで』という簡潔な文章だった。
「はっはっは!追い出されちゃったよ」
解雇された当の本人は至っていつもどおりだった。
「笑い事じゃないです!これじゃ先生は仕事がなくなって……ってもう先生じゃないじゃないですか!」
今日の私の語調は力強い。なんせプー太郎教師よりは真面目な生徒のが偉いんだから。
「大丈夫。一応君だけは僕の生徒ってことになってるから。教室はないけどこの部屋だって結構広いし不自由はないだろ?」
「そうなんですか?」
「うん。上の人達にはちゃんと言っといたからね。安心して受けていいよ」
この人はどう言ってそんな無茶を通したのだろうか。
簡単に言えばクラスをひとつ増やしたわけだし、しかもホームネームがクラムスコイ……。本当に謎の人だ。
「それじゃあ授業を始めようか」
いつもと変わらない笑顔で言う。
私はそれに苦笑いで返しながら頷くのだった。
2.
どんな夜にも朝が来る。
そんなつまらないことを言ったの誰だったか。
晴れ渡る空とは裏腹に俺の気分はどんよりと冴えなかった。
夜なのか昼なのか分からないくらい俺の心は曇り空。今にも雨が降りそうで傘を差してもいいくらい。
「どうしろって言うんだよ」
部屋は真っ暗。
何か考えるときは前が見えないくらい暗い方がいい。
答えが見つからない今の俺は暗闇の中にいるようだった。
そこは月の裏側よりも暗くて冷たい。指をパチンと鳴らせばどこまでも響いていきそうな底のない闇。
俺は気づいた。この舞台の舞台裏。
不思議と驚くことは無かった。
なんかそんな気がしてたんだ。
「行くか」
俺は昨日と同じ上着を羽織って、また昨日と同じようにコトーさんの事務所へ向かう。
答えはまだ出ない。
出しちゃいけないのかもしれない。
まだ俺は何も失っていない。
失っていないのに。
「失う覚悟はあるかい?」
俺の答えは揺るぎ始めた。
3.
「というわけで僕はこうしてまた村の人たちを救ったんだよ。まさにヒーロー!」
大げさな身振り手振りで観客を沸かせる。
先生の授業は楽しかった。
私は人生でこれほど笑ったことはないだろう。
先生は話すことが大好きだった。
先生の話す武勇伝はどれも嘘っぽくて、でっかい竜を一人でコテンパンに倒した話とか、妖精の住む森に迷い込んだ話とか、どこまでも続く地下迷宮をドワーフと一緒に踏破したとか、どれもこれも信じられないような馬鹿な話なんだけど先生の話には惹きつける何かがあってついつい笑ってしまうのだ。
そして意外にも先生の授業はとてもレベルの高いものだった。
誰が彼を頼りない教官だと思うだろうか。
彼の授業は実戦を強く意識したもので、どれもこれも呆気にとられてしまうほど無駄がない。
私も去年は違う教官に教わっていたが、それでもこんなことまではやらなかった。
アーツを使わない戦闘。敵のテリトリーに入った場合の対処法。DUDSの持つ特殊なアーツ。
普段の授業ではやらないような盲点をつくようなもの。どれも独特ではあったが少し考えれば十分に在りうる状況を想定したものだった。
「オールラウンダーか」
「はい」
得意なアーツを聞かれ「全部」と答えたら先生は珍しく考え込んだ。
私には得意なアーツはなかった。
どれも平均以上にできるけど、何かに特化するということはなかった。よく言えばオールラウンダー。
「君も知ってると思うけど、アーティストっていうのは何かに偏っていた方がいい」
それは知っていた。
2の力が出せるアーツを5つ持つより、10の力が出せるアーツが1つあった方が実戦ではずっと役に立つのだ。
量より質。それがルールだった。
なぜなら得意な能力から自分のステータス全体を上げられるし、そこから他の能力を切り開くこともできるだろう。
そして何より戦闘では一つの特化した能力がものをいう。ピストルでは大砲には勝てない。
つまり私みたいな「なんでもできる」というのは「なんにもできない」のだった。
だから私は期間限定の優等生なんだろう。授業においては優秀かもしれないが戦闘になった途端落ちこぼれになるだろう。
「でもオールラウンダーとはいいことじゃないか」
しかし先生の口から出たのは意外な言葉だった。
「でもやっぱり専門がないと……」
「そんなことないさ。君は全ての能力において高いものを持っている。あえていうならそれが特性じゃないのかな?」
その言葉は優しい。きっとこの部屋の明かりが柔らかいのも先生のせいだろう。
「ですが、なんらかに特化していた方が戦闘では有利ではないのですか?」
私は常識を口にした。先生はあまりに常識とかけ離れているため、私がちょくちょく常識を入れてあげなければバランスが取れないと考えている。
「いや、それもそうだけど……」
先生はくいっと眼鏡を直す。
あの仕草は何か大事なことを話すときにやることだと最近気づいた。
「組み上げるパーツが多いってことは組み上げられるものが多いってことさ」
先生はよく分からないたとえ話を口にする。
「組み上げたものはちょっと出来が悪いかもしれないけど、それでこそ辿り着けるものもあるのさ」
私は黙ってその続きを聞いた。
4.
そうしてお馴染みの公園に来た。
事務所に行ったときにはシャルの姿はなく、お得意の寝坊らしい。後1時間で公園に来るという連絡があったとコトーさん。
まあシャルはいつも寝てるだけだし、俺はコトーさんと二人で公園にやってきたのだった。
内容は昨日と大差なかった。
俺の痣が増えて、コトーさんのストレスが減っただけ。
必死に防ごうとしても防ぎきれずに一撃、二撃ともらって、反撃に出ればそこを逆に狙われる。
俺は心と体がバラバラで、頭は真っ白。体は痣で青や黄色にカラフルだった。
「何か悩み事でもあるのかい?」
休憩となりガポガポと水を飲んでる俺にコトーさんは尋ねる。
「悩み事ですか?」
俺は悩んでいる。生まれてこの方、これほど頭を使ったことはないんじゃないかってくらい考えてる。
可能性。自分の考えを否定できる可能性。
それを探している。
「今日の君はちょっとおかしくてね。心ここにあらずというのかな」
図星。シャルも言っていたがこの人は本当に心が読めるんじゃなかろうか。
その時、前方からものすごい速さで黒い少女が走ってきた。
その少女は俺達の近くまでくると、キキキッと嘘みたいなブレーキをして止まった。無残にも芝生が5mほど抉れている。
「遅れました!時計が5時間ほど遅れてたみたいです。おはようございます」
すぐに崩れた上体を直し、キリっと挨拶をする。
正午を回ったら「こんにちは」だということは伏せておこう。
遅れた時計は本当なら5時間早く来れたということを主張しているらしい。
「そうか5時間か……。それはツイてないね。新しい時計を買った方がいいな」
この人は本気に信じてるのかそうじゃないのか区別がつきづらい。
「そうなんです。最近は時計が勝手に遅れるという異常な事態が……」
きっとシャルは本気で騙せたと思っているだろう。
「今日はお弁当を持ってきてないからね。どこか適当なところで昼食を取ろうか」
「はい、すぐに行きましょう!リョーゴ、もたもたしない!」
「はいはい」
シャルは人一倍寝てるせいか、起きてる時間の密度が濃い。テキパキ動く。
俺は二人の姿を追いながら昼間の公園を後にする。
今日もよく晴れている。
こんな晴れた日に仲良く話しながら歩く二人の姿は微笑ましくて、背伸びしながら必死にコトーさんに目線を合わせようとするシャルとそれに合わせるように歩くコトーさん。
こういう暖かい陽だまりにいると俺の悩みなんてほんと小さいんだなって思ってしまう。
しばらく見とれていると、小さな少女が振り返る。
「リョーゴ、置いていきます」
「なんで断定なんだよ。待てって」
俺はずっとこの光景が続くと信じて追いかけた。
4.
彼女は本当に天才だった。
自分には専門がないと言っていたが、厳密に言えばそうではない。
どの分野も洗練されていて差がないが故に専門がないと感じているのだろう。
現に彼女はどんな分野に置いても中途半端な専門を持つような者より優れている。
あえていうなら全てに特化していると言えるだろう。
彼女なら、あるいは……
今日は久々の授業だった。
というのも、最近はむこうの仕事が忙しく教師家業は休業だったのだ。
彼女にはたっぷり宿題を出しておいたから、暇だってことはないだろう。
そうして久々に歩く長い廊下を少し急ぎながら自分の部屋に向かう。
既に授業開始を5分過ぎている。
このまま遅れるとまた彼女の機嫌を損ないかねない。
なんて言い訳しようかと苦笑いしながら僕は駆け足で廊下を走った。
「そんなこと本当にできるのでしょうか」
「できるとも」
彼女は初めて僕が“隔離”について話したときに実に怪訝そうな顔をしたのを今でも覚えている。
「さっきだってやって見せただろう。ほらっ」
といってボールペンを出したり消したり。手の上で点滅させてみる。
「そんなアーツ見たことありません。いえ、私が見る限り文献には載ってませんでした」
それはそうだろう。これは僕のオリジナル。
“乖離”というのは普通の人にはできないということを僕は知った。
それは特殊なパーツばかり使ってできる特注品で、どうやら僕しかそれを組み立てられないらしい。
また僕は結果からその能力を得てしまったが、“乖離”は結果として相手のアーツを上書きすることとなる。
相手の媒介の周りに自分のアーツを展開させ、それを狭めて相手のセカイを押し出していく。
その過程の中で僕はいつの間にか相手のセカイを押し出すことなく、上書きという形を取っていることに気づいた。
たぶん何度もやっているうちに動作が簡略化されたせいだと思うが、これも他の人が“乖離”ができない原因の一つだろう。
相手の媒介を媒介にして自分のアーツを展開させる。ありえない。
それはほとんど固有特性。文献にいくつか例は残ってはいるものの、現代にそれを使えるものはいないだろう。
だから僕は“乖離”を分解することにした。
もっと誰でも使えるようにした。
それが“隔離”と“確立”。相手のセカイの上書きを行わずに“乖離”の特徴だけを抜き出したアーツ。
これなら動作は大分軽量化される。“隔離”は相手のアーツを消すことはできないが、なんのチカラもかかってない物体を世界からはずすことができる。
やり方も簡単。ただ対象物のないセカイを創造して生み出す。さほど難しいことではないだろう。
と、思ったのだが、それがそうでもないらしい。
対象物がないセカイを創造するのは思いのほか難しいらしい。僕には“乖離”という前例があるためモノを消す、消したモノがあるセカイを創造することは容易だった。しかし普通のアーティストには創ることになれている分、消すことはからっきしだった。
結果を創造する彼らには結果として、モノを創るのではなく消したモノがあるセカイを創る、つまり消してしまうということは難しかった。
“隔離”ができるならばあるいは……。
もう一度見たいつかの理想。
それはいつになっても遠かった。
それから数ヶ月、僕は彼女に“隔離”の定義を教え始めた。
一度は否定された方法論。僕も否定した。
だけどそれは学者としての話。僕は今度は先生として教え始めた。
昔、友達が教官は教える者で先生は教わる者だと言っていた。
僕にはその意味がずっと分からなかった。
教師が教え、生徒が教わる。それが授業だと思っていた。
でもこうして先生の真似事をしていて分かった。
僕は学んでいる、と。
教えてると意識しているうちは本当は何も教えてなくて、教わってるという実感があって初めて教えているのだと分かった。
先生と教官は違う。
だから僕は僕なりの授業があるはずだ。
僕は生徒を理解することにした。
何が得意で何が苦手か。何が好きで何が嫌いか。
そうして気づくことも多かった。
生徒の可能性。
僕は彼女の可能性に気づいた。
彼女はオールラウンダーだ。それもただのオールラウンダーではない。全てが高いレベルにある生粋のオールラウンダー。
人が“乖離”ができない原因。それは僕の特異性にあった。
人にはないパーツ、人にはない組み立て方。他の人には組み立てられない。
でも彼女にならできるかもしれない。
彼女には人の数倍のパーツがあり、人の数倍の組み立て方がある。
だから僕は彼女の可能性に賭けてみることにした。
彼女ができるようになるとは思えない。
でももしできたなら、それは彼女の大きな武器になる。
そしていつかは辿り着いてくれるかもしれない。
いつかの理想に。
5.
店員に案内され、店内に入る。
時刻は午後1時。昼時ということもあって、平日ながら店内は少しだけ賑わいを見せていた。
向かって右奥の席に案内される。置かれたメニューを手に取り、何を頼むか考える。
そう、ここは安くて安いファミリーレストラン。
どこに行くか、という話が出たときに一番近いとこでいいじゃないかという食への精神の薄さを象徴したような意見にまとまったのである。
まあ俺も特に食べたいものがあるわけじゃない。あえて言うなら噂の蕎麦屋の絶品蕎麦を食べたかったが、公園からだと少し遠い。
シャルはコトーさん任せ。どこでもいいです、とのこと。
コトーさんは近いところという昼飯選びにはありえない意見。一番この辺に詳しいのはコトーさんなんだから、もう少しオススメのランチスポットとかに案内してくれてもいいと思う。
「亮伍君は決まったかい?」
パタンとメニューを置きながら尋ねる。
「はい、俺は決まりました」
なんとなくご飯が食べたかったのできのこ雑炊に決めた。
「シャル君は?」
「え?あ、はい、ちょっと待ってください」
彼女はあわただしくメニューをめくる。
「別に慌てることないさ。好きなものを選べばいい」
コトーさんはおしぼりを取り出し両手を拭く。
シャルは射殺すようにメニューを睨みつけ、何にしようか本気で悩んでいるようだった。
意外と食べることが好きなのかもしれない。だとしたらファミレスという選択は後に地獄を見ることになるだろう。俺は知らないぞ。
「うーん」
彼女が悩み始めて15分が経った。
思えばファミレスいうのは蕎麦屋とは段違いのメニューの数がある。洋食、和食、中華になんでもござれ。シャルは行ったり来たりしながらメニューをめくる。
「シャル……、そろそろ決まったか」
おそるおそる声を掛ける。今のシャルはなんていうか……話しかけづらい。
「リョーゴ。後少し待ってください」
この調子で既に15分待たされている。俺達のちょっと後に来た隣の客は食べ終わり、会計を済まそうと席を立った。
コトーさんはにこにこしながら外を眺めている。そうか、そうやって俺にシャルの子守りをさせる気か。
それから数分後、やっとシャルの世話しないメニューをめくる音が静かになった。
なんとなく決まったぽかったので「決まったか?」と声をかける。
「はい……一応決まりました」
シャルは俯きながら答える。まだメニューは開いたままみたいだけど、どうやら決まったらしい。
「それじゃ呼ぶよー」
ポチッと備え付けのボタンを押し、店員を呼ぶ。
待たせることなく店員がやってくる。
「ご注文は?」
「親子丼とカレーライス」
センスのある注文をするのはコトーさん。これはつっこみ待ちなのだろうか。
「きのこ雑炊とハンバーグステーキ」
続けて俺が注文する。
「サンドイッチセットと春野菜のスープ……」
いつもよりワントーン低いくぐもった声。
「以上でよろしいでしょうか?」
店員が聞き返したその時、
「あっ、ちょっと待ってください」
シャルが待ったをかける。
「はい」
と、再び店員は伝票を手にする。
「…………」
シャルはモゴモゴと俯きながら何か言う。
「はい?」
困り顔の店員。
対面の俺にすら聞こえないのだ。店員に聞こえるはずがない。
「申し訳ありません。もう一度言ってもらいますか?」
20歳前後の女性の店員は笑顔を作って問いかける。
「………フェを」
聞こえない。
何か言いたいのは分かるけど、下を向いたままじゃ聞こえない。
「おいシャル、それじゃ聞こえないだろ。もう少しはっきりと言った方がいいぞ」
堪らず俺が割ってはいる。さすがに店員を困らせっぱなしっていうのは雰囲気的によろしくない。
「やっぱりなんでもありません……」
そう言ってシャルは寂しそうに俯いた。
「それでは以上ですね」
店員は逃げるようにテーブルを離れた。
「シャル君、頼みたいものがあるなら頼んでいいよ」
さっきまで傍観を決め込んでいたコトーさんが大人な発言。
「いえ、やっぱりいいです」
そういいながらメニューを開く。未練たらたら。
まあいいか。
俺は自分にとばっちりが来ないように余計なことは言わずに静かに待つのだった。
6.
久しぶりに見る自室のドアは相変わらずボロくさい。
最後に授業をしたのは3週間ほど前。彼女に会うのも3週間ぶり。
次来るまでに“隔離”を覚えといてね、とか言っておいたから宿題には困らないはずだろう。
何年後に彼女ができるようになるか分からないが、彼女ならいつか完成させるだろうという根拠のない確信が僕にはあった。
こういうのが教師馬鹿なのかもしれない。自分もすっかり教師が板についてきた。
懐かしい薄い木製のドアには『コトー・クラムスコイ』というプレートが掛かっている。
よく見るとクラムスコイの下に前のホームネームが薄く残っている。
面倒だったので前のプレートにそのまま上書きした。そのせいでコトーの方がクラムスコイより薄くなってきてしまっている。近いうちに書き直そう。
ここは自分の部屋で同時に教室でもある。
随分狭苦しい教室だが、彼女は文句も言わないしこれ以上生徒が増えない限り問題はないだろう。
彼女はもう中にいるだろうか。
真鍮のノブを引き、中に入った。
「あれ?」
僕がいない数日の間に何があったんだろう。
僕は掃除が苦手だ。どうも整理するとか綺麗にするとかそういう習慣がないらしい。
だけど懐かしい部屋の中はとても綺麗で……というか何も無かった。
「部屋間違えたかな」
慌ててドアの前に戻ってプレートを確認しようとする。
そのとき懐かしい凛とした声が部屋に響いた。
「triumph!!」
「え?」
音も立てずに家具が一斉に現れる。
見慣れた椅子、机、本棚、花瓶、値打ちの分からない壷、作者不明の絵画、授業の後が残る小さな黒板。それらが霧が晴れるように一斉に現れた。
「これは……」
「おかえりなさい。先生」
机の後ろから僕の生徒が顔を出す。
「今のって、シャル君がやったのかい?」
「はい、やっとワンスペルでできるようになりました。まだ先生みたいに自由自在とはいきませんけど」
彼女は照れくさそうにしたを向く。
「驚いた……」
僕はあと5年は“隔離”はできないだろうと思っていた。
簡略化したといっても元は固有技巧。誰にもできない僕だけのアーツ。
それを彼女は生まれ持った多様性で創り上げたというのだろうか。
「本当にできちゃうとはなあ。君は本当に天才だね」
驚きすぎて自分が何を言ってるのか分からない。
「先生の教え方がいいんですよ」
彼女は嬉しそうに笑う。
最近彼女は本当にいい顔で笑うようになった。
久しぶりに見る彼女の笑顔は先生に帰ってきたんだなと実感させられる。
「それじゃあ授業をはじめようか」
僕は荷物をその辺に投げ捨て、小さな黒板の前に立つ。
いつまでもぼんやりとしてはいられない。僕は先生なのだ。
「はいっ、お願いします」
優秀な生徒がトコトコと後をついてくる。
「それじゃあ僕が昨日までいた不思議な洞窟の話でもしようか」
「えぇっ、授業はやらないんですか?」
不満そうに彼女は口を尖らせる。
「ははは、この話は楽しいぞ。僕はまた自由気ままに旅をしてたんだ。そして小さな村に通りかかったその時、急に村人が泣きついてきたのさ」
「前にも聞いたような……」
「僕はスーパーマンだからね。みんな僕を頼りにするからさ。そして長老らしい人が出てきて言うんだよ、『娘を助けてください』ってね」
「それを助けたんですか?」
「助けたさ。でもそれは山あり谷ありの大冒険だった。なんせ長老の娘はこんっっな大きい化け物に連れさらわれてしまったのさ、それも深くて暗い洞窟の中に!」
抑揚をつけて大げさに身振り手振りを加える。
「それはもう大冒険!どこまでも続く深い闇の中を僕は一人で駆け抜けた!水もないし、明かりもない、だけど僕は進んだんだ!彼女を助けなければならないからね」
「スーパーマンだから、ですよね」
「そうそう、分かってきたじゃないか。僕には岩をも砕く鋼の右ストレートと……」
シュッシュッとシャドーを加える。
「花びらだって打ち落とす弾丸のような左ジャブ!」
シュッシュッと今度は左ジャブ。
「そしてペガサスだって追いつけない、光のような逃げ足!」
窓から入る日差しは暖かい。
この部屋には窓がひとつしかないけれど、部屋の中はとても暖かい。
その窓から差し込む光はスポットライトのように僕を照らす。
それを意識しながら右へ左へ舞台のように僕は大げさに武勇伝を彼女に語る。
彼女はそれを嘘だと知りつつも笑ってくれる。
それがいつの間にか僕の中で大きなものになっていった。
彼女は一人ぼっちだった。親とか友達とかそういう当たり前のものがなかったんだ。
だからそれは寂しいだろうから僕は彼女を今までのを帳消しにするくらい笑わせることに決めた。
僕は先生である限り彼女を笑わせ続けようと思う。
僕の話も終わりに差し掛かる。
話はクライマックスを向かえ、まだかまだかと彼女は続きをねだる。
僕はその視線に答えるように話を続ける。
窓から入る光は暖かい。
僕はずっと先生でいようと決めた。
今日も明日も明後日も10年後もずっとずっとここはいつもの教室なんだろう。
いつからだろう。
あの教室が懐かしくなったのは。
next
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