18.





それは一昨日の話だった。

初めて聞く不可思議なアーツというものの説明を聞きながら、もしやと思って聞いてみたのだった。

「霧?」

コトーさんは怪訝そうな顔をしてお茶をすする。

「あの時たしかに白い霧に周りが覆われて、それからアイツの出した岩とか石柱とかの動きが止まったんですよ!」

「本当なのかい?」

コトーさんは俺じゃなく彼女の方を見て尋ねる。

「モゴッ!モゴモゴモゴ……。私は意識を失っていて見てませんでした」

まだ口の中にあった干物を飲み込みながら彼女が答える。

「うーん、具体的にはどんな感じだったんだい?」

具体的に……と言われてもなあ。

俺自身そのときはいっぱいいっぱいだったし、何がなんだか。

「たまに白い霧みたいのが見えるんですよ。それがなんだか分からないし、ただアイツの石柱が止まればいいなって思っただけで……」

「それだけで彼のアーツが止まったわけか……」

コトーさんは難しそうな顔をして考え込む。

「時間を止めるアーツとかあるんですか?」

なんとなく思いついたことを聞いてみる。

「あることにはあるよ。ただ時間を止めるっていうのは語弊があるけど。でも君の言ったようにな長時間の停止は難しいし、他人のアーツに上塗りなんてもっと難しい」

もぐもぐと彼女は次々にテーブルの上の干物を口に入れる。

「あ、そういえば前にも見たことがあるんですよ。白い霧なんですけど」

俺はあの日のことを思い出した。俺がDUDSに刺されたあの日。

そのこともコトーさんにも話してみた。

「それは面白い。それとヒューゴ君のときとの共通点からなんとなく分かりそうだね」

「え?」

コトーさんはさっき話したときよりも色々掴めたらしい。

「これはあくまで仮説だけど、君の霧というのはチカラなんじゃないかな?DUDSの左腕が白く霧がかかって見えたのも、そのDUDSが左腕を侵食されてたからで、ヒューゴ君の石柱に霧がかかって見えたのも同じじゃないかと思う。でも止めたっていうのはなぁ」

それは無理があるよね、と再び考え込むコトーさん。

「止めるっていうのはよく分からないんだよ。それはつまり相手のアーツを無効化したってことだろう?そんなことができるのかなあ」

あーでもないこーでもないと考え始める。

「チカラが視える理由も分からないしなあ」

くるくると落ち着きなくペンを回す。

「今の段階じゃ情報が足りないね。とりあえず保留かな」

お茶を飲みながらガサゴソと机の上を片付ける。

それきり霧の話は消えていった。







19.




「コトー・ルター。君をナンバーレスに任命する」

頭のてっぺんが禿げて、体全体がデパートのバルーンのようになった男が僕を呼び出して言った。


この協会のエージェントには基本的に2桁のアルファベットと4桁のナンバーがついている。

これを見るたびに自動車みたいだなとうんざりするのは僕だけではないだろう。

これはアカデミーを卒業し、エージェントになったときにもらえるもので協会に入ったときにもらうIDとはまた違ったものとなる。

最初の二つのアルファベットは所属支部と所属部隊を。続く四つの数字は背番号となっている。

その背番号は4桁でつくられ、0〜8の数字が使われる。

なぜ9を使わないかと言うと、9というのが聖数字とされ階級の違いにそのまま反映されるからだ。

9がついてないのをノースター。一つでシングル、二つでダブル、三つでトリプル、四つでフォース。そして9の数に応じた星形の刺繍が腕章に入る。だからノーナインでノースター。当然9がつくほど偉くなり、フォースの奴等は決まって9999というナンバーになっている。つまり背番号は成績によって変わってくるということだ。

逆に6は縁起の悪い数字とされ、基本的に6はつけないというのが風習となっている。

また腕章の色にも違いがあり、エージェントは階級別に赤、緑、青をつける。ナインナンバーが戦績を表すのと違って、こちらはそのまま支部における地位を表す。赤、青、緑という順番。中にはグリーンのスリーナインなんているし、レッドのノースターだって珍しくない。ちなみにその上に立つ局長などの管理職は紫、教員は黄色、学者は白という感じでエージェントにかかわらず腕章はつけることになっている。

それで僕が任命されたナンバーレスというのは例外。

ナンバーのあるエージェントの中で黒い腕章をつけ、ナンバーを持たない腕利きのエージェント集団。

特殊な任務のときのみ召集され、普段はその存在は協会内にさえ知られていない。


「なんで僕が選ばれるんですか!」

「なに、君の“乖離”というのは非常に戦闘に向いている。だったらそれを使わない手はないだろう」

「しかし……!」

「君には可能性がある。これから1年間戦闘訓練を積んでもらう。拒否はできない。これは協会全体の決定だ」


僕は戦いたくなかった。

戦わなければならないのは分かってる。戦いは望まなくてもやってくることは痛いほど分かってる。

でも、それでも戦いたくなかったんだ。

戦場は失うところ。

僕はそこに立てるのだろうか。


「後、クラムスコイの方から君を是非うちに欲しいという通知も来ている。これは受けるだろうね。なんせクラムスコイだしな」

一人で頷きながら勝手に話を進める。

「そうだな。君はこれから遅くても2年後にはナンバーレスエージェントとして働いてもらう。でも君に何か望みがあるならできることなら聞いてあげるよ」

にこっと底の見えない笑いを浮かべて男は言った。きっと多くの人はこの笑顔に騙されることだろう。

「望み……」

「なんでもいい。給与を上げてくれっていうなら聞くし、今いる部屋が狭いなら他の部屋だって与えよう。研究器具が欲しいなら用意する」


望みか……。

そんなものは僕の中では希薄だった。

僕にはあの日からそんなものはなくなってしまった。

失うことはこんなにも人をからっぽにするのだろうか。

彼を失った僕は何もかも失ってしまった。

気づけなかった自分。止めることのできなかった自分。

だから僕には誇れる過去も賭ける名誉も輝く栄光もありはしない。

何もなくなった僕には何も掴めなかった。

でも彼が望んだものを掴むことはできないだろうか。

彼が望んだ日常、彼が望んだ夢。

それを掴むことができるなら僕はもう少しだけ嘘をつき続けることができるだろう。



「教官への転属を希望します」


彼が失ったものを続けること。

彼の失ったものを演じること。



それが僕の贖罪。








20.



そうして結論は今に至る。



「君の言ってた霧の話だけど僕なりに色々考えてみたんだよ」

くいっとずれた眼鏡を直す。

「霧の正体は分からないし、なんで君が霧を見るのかも分からない。今言えるのは、君が視ているのは世界のチカラに近いんじゃないかということだけだね」

適当な仮定だけどね、と付け加える。

「だから僕が今日やりたいのは君が好きなときに霧が視れればいいなあってこと」

「でもあれから一度も見てないですよ」

そうなのだ。アイツとの一戦以来全く霧なんて見えないのだ。

じーっと目を凝らしても、目を細めてみても全くそれらしいのは見えない。

今ではそれも夢だったのかもしれない、とぼんやり考えるようになった。

「きっとなんらかの条件があると思うよ。雨の日しか見えないとか。そもそも霧っていうのもいつも見えるわけじゃないしね。だからその条件をある程度考えたんだけど、ちょっと荒療治になるかもね」

と、言いながらニヤリと笑う。なんか今のは悪い笑いだ。

「それじゃあこれからやることを話すよ」

なんとなく嫌な予感がする。

コトーさんはチャカっと浮ついた金属の音を立てながら柄の短い小さなナイフを取り出す。

「ほ、ほんとに何するんですか!?」

尋常でない場の雰囲気に危険を感じて俺はじりじりと後ずさる。

「おーっと、動かないでくれよ。僕の考えによると、たぶん君はピンチに強い方だと思うんだよね。まあ君に限らず人間は防衛の本能が強いからね。自分が死ぬとなったら隠してるものもさらけ出す。ヒューゴ君と戦った時も随分ギリギリだったみたいじゃないか。だからこのナイフを投げて……」

「危ないですって!当たりますよ!死ぬ!死ぬよ!」

ずるずると後ろに下がる踵がコツンと太い木の根に当たった。

「大丈夫。このナイフは“移動”のアーツで飛ばす。つまり君がそれを無効化させればナイフは止まるし、君は無事ってわけだ」

ナイスアイディアとパチリと指を鳴らす。笑えない。

「シャ……シャル……」

隣で見ているシャルに助けを求める。が、

「大丈夫です。貴方は一応DUDSですし、死ぬことはないでしょう」

と、既に最悪の事態を予想している。

「よーし、それじゃあ行くよー」

そう言うと、息をつく間もなくひょいっとナイフを投げた。

いや、投げた動きはない。ナイフが勝手に宙に浮き上がりこっちに向かって飛んできたのだ。

まるで投げたかのように直線的に向かってくるナイフ。

「あっ………!!」

と思ったときには目の前で……。



タンッ



ナイフは心地よい音を立てながら、避ける間もなく俺の頭の上に突き刺さっているのだった。

「あ、危ないじゃないですか!ほんとに当たったらどうするんですか!!」

俺は心臓をバクバクさせながら相応の抗議をする。

「今のは練習さ」

「練習って……」

「次は―――ほんとに当てるよ」

冷蔵庫を開けたように、ゆらりとコトーさんの雰囲気が変わった。

「いいかい?今のままじゃ君は確実に足手まといだ。君がどんなに吠えたって力の差は埋まらない。でも君がアーツを無効化できるっていうなら話は別だ。こっちから協力をお願いしたいくらいだね」

チャキっと物騒な音を立てて2本目のナイフを取り出す。

「これは当てるよ」



グサッ!



その言葉を理解したときにはナイフは俺の右足に垂直に刺さっていた。

「――――っあ!」

ナイフは俺の足に綺麗に食い込み、上からでは短い柄だけが見えるだけだった。

「集中するんだ。次、行くよ」

コトーさんはまた同じ形状のナイフを取り出す。

俺は逃げられない。

そこから離れることは簡単だけど、不思議と俺の足は地面に生えたかのように動かなかった。

それは足を刺されたからじゃなくて、もっと違う意味なんだと思う。

人生には逃げちゃいけないときがあるって聞いたことがある。

それはもう過ぎてしまったかもしれないし、これから来るのかもしれない。

俺は失わない覚悟をした。

そんなことをすれば逃げちゃいけないときが山のように積みあがるだろうけど、失うのが嫌だから逃げないことにした。

だって俺が逃げればなにかが落っこちてしまうから。



だからあのナイフを止めないといけない。

もう痛いのは嫌だ。

集中だ。

アーツが本当にイメージから作り出すものならイメージするしかない。

ナイフが空中で止まるセカイを。

ナイフは俺には届かない。

あれは勢いを落として地面に落ちる。

そんなセカイを創造する!



グサッ



ナイフは俺の左肩に突き刺さった。

「――――!!」

声が出そうになったけど我慢した。

ここで悲鳴でも上げるようなら俺はコトーさん達と一緒に居る資格はないだろう。

たしかに俺はこのままじゃ足手まといだ。

でもせめて霧が見えれば……。


きっと彼らの仲間だって胸が張れる。

そして何も失わないという覚悟だって貫ける。


コトーさんが何か言う。

もう俺には聞こえない。

痛みだってどこかにいってしまった。

俺には視える。

白い霧が。


こっちに向かってくるナイフにも白い霧がかかっている。


止まれ。

止まれ。

止まれ止まれ止まれ!


俺は無心でいながら一心にナイフを見つめる。

ナイフは刺さらない。

刺さる結果を想像してはいけない。

だから痛みは忘れよう。きっと怖気ついてしまうから。

俺にはできる。

あれは止まる、止まるんだ!




カランカラン……。


乾いた音を立てながら、ナイフは地面に落ちていく。


「なるほど」

コトーさんは頷く。

彼女は慌てて俺の方に向かってくる。

意識が遠のく。

安心したせいか、頭が痛くて重くなって、何かを得たような失ったような気がした。

そして俺はあることに気づいてしまった。

きっとこれは気づくべきではないこと。

困った。俺は考えるのが苦手なのに。

そのせいか、俺の体は考えるのは後にしてさっさと電源が切れてしまった。

それと同時に意識も飛んだ。

「リョーゴ!リョ……!!」

シャルの声も遠くなる。




霧が呼んだのは俺が失ったものだった。

俺が気づいたのは俺が失うものだった。


それは気づいてはならない舞台裏。

回り続ける乾いたカラクリ。


霧は消える夜の空に。


誰かが言った。

失う覚悟があるか。

俺は考えなければならない。

何を失い、何を守るか。


難題を残して消える霧はどこかの誰かみたいだった。








第四話 空繰曇天/You are right 


>第五話

あとがき

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