11.




「78勝0敗。完璧だね」

この暴力教師は律儀にKO数を数えていた。

50を越えてなおカウントしていると分かったときは殺意を越えて尊敬の念すら抱いた。

俺の体に無事なところなんてない。

まさに滅多打ち。

一撃叩き込んで状態が崩れるや否や続けて2発3発と気持ちいいほどのコンボ。

お陰で体はボロボロ。熊と戦ってもここまでならないだろう。

「それじゃあそろそろ帰ろうか」

ストレスを解消をしたせいか、いつも以上にすっきりとした顔をした魔王はさくさくと先を歩く。

傾き始めた太陽は既に夕方。この時期は暗くなるのが早く感じる。

日もだんだん短くなってきて、夏と同じような気候なのに昼間の時間が短い。そのせいで短く感じるのだろう。

コトーさんはちょいちょいと居眠り少女を起こし、バックを担いだ。

その後をよろよろしながら寝ぼけたシャルはついていく。

そしてその後をさらによろよろしながら俺はついていった。

人目が少ない場所だったとはいえ、よく通報されなかったなと思ったけど、聞くとよからぬ答えが返ってきそうなので黙って彼女達の後をついていくことにした。

「夕飯はどうしよっか」

まだまだ元気な彼は能天気なことをいう。

「いつもはどうしてるんですか?」

俺は何も考えずに聞いてみた。

「いつもはだいたい出前を取ったり、ピザをとったり……ねぇ?シャル君」

「……………」

彼女は答えない。きっと聞こえてないんだろう。

だいたい6時間ぐらい公園にいたが昼食のとき以外は全部寝ていたのだ。人間はああも幸せそうに寝れるのかと思うと呆れるのを通り越して尊敬してしまう。

「じゃあ今日も出前でもとろうか」

どうやら出前に決まったらしい。

「近くにおいしい蕎麦屋さんがあってね。そこは夜までやってるから出前もやってくれるんだよ」

コトーさんは笑いながら先を進む。

俺はとりあえず、この状態で何か食べられるかどうか不安に思いながら後に続くのだった。








12.




僕はその日から、いつも以上に研究に没頭するようになった。

朝も昼も夜もずっと一人で研究室に篭りきりだった。


僕は間違っていた。

僕は戦うことも争うことも嫌いだった。

何かを失うのが怖かったんだ。

だから僕は戦おうとはしなかった。

でもそれは間違いだった。

僕が戦おうとしなくても争いはむこうからやってくる。

どんなに逃げ回ってもだめなんだ。

そして僕は大事なものを失ってしまった。

だから僕は戦いをなくすことにした。

何も失わなくてすむように。

何も失わないように。

僕はその方法を考えることにする。

それはきっと難しくて答えなんてないかもしれないけど、考えることにした。

これはきっと理想なんだろう。手を伸ばしても届かない理想。

でも僕はそれを追いかけようと思う。

だってそれを追いかけないと僕は過去に追いつかれるから。

追いつかれたらもう走れない。

僕は彼を背負っては走れない。

だから僕は追いかけることにした。

それは曖昧な答え。失わないという遠い理想。

でもきっと追いつけると信じて僕は追いかけた。







13.





夕食は微妙だった。


まずは自分の食べている天丼がそれほどおいしくなかったこと。

そしてコトーさんの食べているカツカレーと親子丼の組み合わせはいかに。

そして彼女の微妙な表情をしながら食べているアジフライ定食。

というか蕎麦屋の出前なのに誰も蕎麦を頼まないというこの状況はどうかと思う。

俺の天丼は既に冷め切っていた。というのも誰かさんのせいでズキズキと痛む胃がなかなか食べ物を受け付けなかったためだ。

そしてコトーさんは話しながら食べているのにものすごく食べるのが早い。20分前ぐらいに食べ終わった。

彼女も早いほうだろう。つい10分前に食べ終わった。


「コトーさんの授業は辛いですね」

俺はたっぷりの皮肉を盛り付けて言った。

「スパルタだからね」

一番その行為を正当化できるであろう単語を言った。

「スパルタっていうか、あれで本当に身につくんですか?」

公園で何度も聞いたそれを再び口にする。

「さあ、それはどうだろうねえ」

とまた同じ切り替えし。それを聞くたびに体中の傷が疼く。

「まさか僕の授業を疑ってるんじゃ……」

やっと気づいたか。

「疑ってるってわけじゃないですけど、どうも実感がないですよ」

正直な感想を口にする。

「うーん、シャル君からもなんかいってくれよぉ」

唯一の生徒である彼女に助けを求める。

「リョーゴ、先生に教わってできなければどうやってもできません」

きっぱりとシャルは言い切った。

でもなぁ。

「さすがにあれは授業と呼べるのか……」

一方的な暴行にしか見えないと思う。

「はっはっは。まああれくらいやらないと体が覚えないからね。でもシャル君に教えさせたら君は今頃こんなに楽しく話なんてできないよ」

「そうですよね。はっはっは―――」

たしかにあの完壁主義者っぽいのが先生だとすると、平気で腕立て500回とか言って自分は寝てそうだし。完璧なのかそうじゃないのか。

「リョーゴ。貴方の発言は非常に奥が深い」

ゴゴゴゴという効果音を共に割り箸を親指と人差し指で挟んでパキリと割る。

おいおい、どうやったらそれで割れるんだよ。

彼女はフフフという怪しげな笑いを浮かべるとゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。

ははは、とコトーさんはいつもの笑いを浮かべながら食器類を端に寄せる。

俺はよたよたと後ずさりしながら、折れた割り箸に数分後の自分を重ねるのであった。






14.





戦いをなくすにはどうするか。

僕はその日からずっと考え続けた。

一番分かりやすいのはチカラを枯渇させてしまうこと。

しかしこれは地球上から酸素を消すようなもので、ほぼ不可能といってよい。

元々僕の得意だったのは方法論によるアーツの理論化。

きっと僕にできることはそれに限られてくる思う。

相手のアーツを無効化できるアーツ。それがあれば戦いなんてなくなるんじゃないかと思った。

なにより僕ならアーツを理論化できる。それならほとんどのアーティストがそのアーツを使えるようになる。

そうすれば戦いなんてなくなるんじゃないだろうか。



アーツというのは結果的には足し算だ。

現実の世界を自分の中に展開し、それに自分のイメージを加えて外の世界と置き換える。だから一番近い表現は足し算だと思う。

例えば現実の世界が100とするとそれに自分のイメージしたセカイを重ねて置き換える。そうすると創りだした世界は200、300となっていく。

つまり相手のアーツを無効化するには足した分を引いてやればいい。200足したら200引いて、300足したら300引いて……。これで結果的には無効化されたことになる。

だが常識的に相手の媒介としたものは媒介にできない。それは相手のイメージに染まっているものを自分のイメージに染めるのは難しいからだ。

だから上塗りというのはできない。まあこれができれば既にやっているだろう。

ならば発想を変えて上塗りをすることなく、元の世界に戻してみてはどうだろうか。

相手が手を加えたセカイと元の世界のつなぎ目から少しずつ相手の世界を押し出していく。

それは上塗りではない。元々世界というのは変えられればいずれ元に戻る。その手助けをしてやるのだ。

その世界の働きを促進させてやることで結果としてアーツを無効化できるんじゃないかと僕は考えた。


そして僕は行きついた。その先に。










15.




そしてまた昼間の公園にやってきた。

「またここですか」

「嫌いかい?」

「嫌いと言うか……」

さっき散々殴られたせいか、後数週間は来たくないなって思ってたのに。まさかその日にトラウマを掘り返すことになろうとは。

「それじゃコトー先生の授業2時間目。アーツ編いこうか」

「お手柔らかにお願いします」

心からの言葉だった。

「それじゃあまず僕のアーツの説明からいこうか」

「コトーさんも使えるんですか?」

「あ、馬鹿にしてるね」

「そんなことないですけど」

どうも目の前の頼りなさそうな男からは神秘的なイメージが湧かない。

「それじゃちょっとやってみようか」

と言ってコトーさんはその辺の石を拾うと、

「ほいっ」

と、シャルに向かって投げたのだ。

彼女は動かない。

「危なっ!」

俺はとっさに右手で石を掴もうと手を出す。

だが、石は俺の手をすりぬけて彼女に向かう。

そして

「あれ……?」

と、一人呆然とする俺。

シャルはやれやれと腕を組んで動かないし、コトーさんはにこにこと笑っている。

たしかに俺の手は石を掴んだ。

それはばっちりなタイミングだったはずだ。

なのに石は俺の手をすり抜け、あまつさえ彼女をもすり抜け飛んでいった。

「どういうことですか?」

コトーさんはただ笑って頷くだけだった。







16.




学会は大騒ぎだった。

僕の研究は協会を揺るがした。

それもそうだろう。今までにない発想、ないアーツ。驚くのも無理はない。


僕はそのアーツを“乖離”と名づけた。

相手のセカイを世界から乖離するアーツ。

手順としては相手のセカイを追い出して世界を元に戻すというだけだが、これは大発見だった。

今までもそういう考え方がなかったわけじゃない。

ただ優先されなかったのだ。

この研究は完成するかしないか考えたときに真っ先にしない方に分けられる。

何せこれは正統派のアーツではない。

自分の媒介を相手の媒介の外環につくり、それを狭めていくのだ。僕達の一般常識ではほとんど不可能だと考えられていた。

また、学者の成果というのは完成して初めて認められるもので、こんないつまで立ってもできそうにないものを研究しようなんて人はいなかった。

でも僕にはできた。僕にはそれしかなかったから。

僕はアーツを方法論で考えた。こうしてこうだからできないわけがない。そうやって考えたのだ。

理論には理論の、イメージにはイメージの限界がある。一見なんでもありのイメージだが不可能だと思ってしまったらそれが限界になってしまう。

だからアーツをイメージの産物として片付けてしまう人たちにはたどり着けなかった。

でも僕はたどり着いた。

僕には可能だって思えたからたどり着けた。

絶対完成させてやるって思えたからたどり着けた。





そして僕は“乖離”の専属教官となった。

アカデミーの教官とは違う。僕が教えるのは一人前のエージェント達で実践投入のための講義だった。

僕は喜んで引き受けた。

これで僕の理想に一歩近づく。これが戦闘に採用されれば無駄な争いはなくなる。そう思った。




だが、そう上手くはいかなかった。

数週間後、僕のところに専属教官の解雇の知らせが届いた。

もちろん僕は抗議に行った。

なぜ、僕をはずしたのか。“乖離”の実践投入はどうなるのか。


「君は言ったね、アーツは理論でできているって」

「はい」

「理論さえ分かればできない人はいないって」

そうだ。たとえ新しいアーツでもちゃんと理論が分かっていれば不可能じゃない。誰でも使える。誰でもできる。

「残念だがそれは間違いだったようだ。現に誰も“乖離”は使えない」

「それはまだこれから時間を下されば……!」

「違うよ。あれはアーツの範囲を出ている。君の筋道の立て方はあっているよ。世界の働きの促進だろう?だけどあの結果は出せないんだよ」

「違います!“乖離”は可能だ!」

「君にとってはね。でもそれは君の固有技巧なんじゃないのかい?」

「え?」

「誰もできないさ。たまたま君ができただけ。君は自分で自分の理論を否定してるんだよ。方法論でアーツができる?いいだろう。それは一人の考えとしては面白い研究課題だ。だが実際にはそんなことはできるはずがない。それは君の“乖離”が証明している」

「“乖離”が誰もできないからですか?まだ教え始めてから3週間しか立ってない!まだ分からないじゃないですか!」

「分かるよ。いや、君自身気づいてるんじゃないかな?それはできないということが」

「――――」




それに気づいたのは講習が7日目に差し掛かった時だった。

気づけば誰も真面目に僕の話を聞いていなかった。

僕はそのことを疑問に思い、ある男に聞いてみた。

そいつは、「あんたの言うことは分からない」と言った。

何が分からないのか何が理解できないのか、僕は問い詰めたが誰も答えなかった。

イメージの限界とは僕達にとっては創造の限界だ。想像できないことは創れない。

だから“乖離”は不可能だった。だれもできるとは思わなかったから。

だけど僕には知識があった。それを組み立てて“乖離”の可能性を見出した。

そして“乖離”は完成し、僕は自分の理論が正しかったと認識した。

僕が“乖離”が可能だって示せばきっとみんなできると思った。

その過程を説明して理解してもらばきっとみんなできると思った。

でもそれは違った。

理論だけでは何もできない。

大事なのはそれを信じ、それに向かうこと。その過程こそが強固なイメージを完成させる。

結果だけを聞いても仕方ないのだ。

そんなのはいきなり車を持ってきて「これと同じのを作ってくれ」と言うのと同じこと。それじゃどう作るのかわからない。過程が大事なのだ。

だが“乖離”はその過程さえ未知のものだった。

相手の媒介の外に媒介をつくり狭めていく。今までにない発想。今までの塗りつぶすというものとは別のもの。

だから僕がどんなに説明しても誰も理解できない。

つまり何百年も前の人々に車の作り方を一々説明したところで誰もできるはずないのだ。完成図は分かってくれる。でも作るとなると話は別だ。

ボルトの締め方もしらないような人々にはいくら話しても分かってもらえない。いや、ボルトさえ持ってないだろう。

誰も知らないパーツで誰も知らない方法で組み上げた車はきっと僕しか作れない。

つまり僕の“乖離”は既に固有技巧だろう。生まれつきの特異な能力と同じようなもの。誰もできないアーツを使える僕は結果から固有技巧を持ってしまった。

ではなぜ僕が完成できたか。

つまり僕は“乖離”の可能性を見出した時点でイメージの限界を上げてたんだ。その時点で“乖離”は僕にとってのイメージの中では不可能じゃなくなった。

そしてその可能性を突き詰める間に僕のイメージは強くなった。

他の人にはないパーツも、他の人にはない制作方法も僕には元からあったんだ。

想像の中で可能ならば、それを創りだすのはア−ティストとしては容易い。

完成図は誰にでも想像できた。

でもその過程は誰にも理解されなかった。


つまり僕の理論は後付け。

結果が分かれば過程も想像できるだろう、という完成してからつけた後付けだった。

だから理論をいくら教えても僕以外の人間にはできない。だって理論だけじゃできないんだから。それは自分の中で完成してなければならない。

結果から出したような理論では誰も完成させることなんてできない。

いや、違うか。僕はまだ方法論を捨てきれずにいるみたいだ。

元々彼らは作り方云々の前に材料が揃ってない。“乖離”に必要なパーツを持ってないのだ。

だからどっちにしろ無理だったのだろう。


そう、だから僕は自分で自分の理論を否定してしまった。

アーツは方法論でできる。

それは違った。

方法論でできるのはせいぜいアーツの注釈程度。

方法論でアーツを学べば誰でもできる。それは僕の主張であって全てだった。

だが、皮肉なことにそんな僕が作り上げたのは誰にもできないアーツだった。



それから数日後。僕は新たな通知を受けることになる。









17.




「そうだね。僕のアーツは“隔離”と“確立”。この二つが得意分野ってことになるかな」

「かくり?かくりつ?」

なんか難しい単語が出てきた……。

「そうだなぁ。今見てもらったんだけどね」

と言いながらまたひとつ石を拾い手の中でぐっと握る。

すると……

「消えた?」

「うん、不思議だろ?」

もう一度ぐっと握って手を開くとまた石が現れた。

「どういう仕組みなんですか?これもアーツ?」

「そうだね。これもアーツだ」

手品みたいだろ?と自慢そうに笑う。

「仕組みはそう難しいもんじゃない。要は普通のアーツと同じさ。何もないものをイメージするってことかな」

「何もないものをイメージするんですか?それはなんていうか……矛盾してるような」

「そうだね。アーツというものは何かを創り出すものだ。だから芸術、アーツという。だけどこれは何も創らない。それどころか消してしまう」

「じゃあどうやって消してるんですか?」

「ん?分からないかい?石が消えた後の世界を創造して作ってるのさ。難しくないだろ」

そう言われればあまり難しくないような……。むしろ何か考えるより結果を想像するのは簡単かもしれない。

「それって結構楽ですよね……」

「そんなことありません」

と、口を挟むのは夜になってすっかり目が覚めてきた様子の彼女。

「いいですか?アーツの基本は足し算です。それはいいですね?」

「自分のイメージを足して世界に重ねるってやつだろ?それは聞いたよ」

「そうです。ですが“隔離”というのはちょっと変わってきます。何もないものを重ねるというのは言うなれば引き算なのです」

「マイナスを足すってことか?」

「そうですね。ですからこれは私達にとっては難しい。私達はイメージを加えたりずらしたりするのには慣れていますが、そこからイメージを消すというのは難しい」

「なるほど。結果を創造するのがアーティストだから、結果的に引き算になってしまう“隔離”は、アーツは足し算だとするシャル達にとっては難しいということか」

つまりアーツは足し算なわけなんだけど、10+(−2)とかになると8になって10を下回ってしまい、足し算をしたはずなのに結果的に引き算になってしまう。

そしてアーティストは(−2)を足した世界を創造するわけだから、結果的にマイナスになってしまう世界は引き算の概念のない彼らにとって創造するのが難しいというわけか。

ちょっとこんがらがるけど、なんとかなりそうだ。

「ふむ。リョーゴは少し賢くなりましたね」

満足そうに微笑むシャル。俺だっていつまでも馬鹿なわけじゃない。

「まあ僕達の話はこれぐらいにして、そろそろリョーゴ君の霧の話でもしようか」


あの霧の正体はなんなのだろうか。

あれは俺が何もかも失ったときに、唯一得たものだった。

俺はその霧の正体が失ったものにつながるんじゃないかと、無くなった記憶につながるんじゃないかと少し期待しながらその先を聞くのだった。






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