9.
「ッ――――」
肩口に上から振り下ろされるような角度で突き刺さった拳は衝撃となって突き抜けた。
「これで34連勝だね」
律儀に勝ち数を数える大人気ない教師。
「コトーさん、これで本当に強くなるんですか?」
なんせさっきからボコボコにやられてるだけなのだ。そう思っても不思議ではあるまい。
ここはひとつ信頼のおける言葉を返してほしい。そうすればこの青痣だらけの体も救われるってものだ。
だが。
「うーん、どうだろうねえ」
これじゃ生徒のやる気は無くなる一方だ。
「そんな何時間かで強くなろうっていわれてもね」
弱気なことを言う先生。それをなんとかするのが今日の課題ではないのだろうか。
「どう思う?シャル君?」
「え?あ、はい!いいんじゃないでしょうか」
突然話を振られ、寝ぼけながら答えるシャル。
「だって。とりあえずそれは保留ってことで」
ねっ?といってくるコトーさん。だけどそれが保留だと授業に身が入らないのも事実である。
「はいはい、立った立った。続きをやるよー」
「え?まだやるんですか」
明確な保障もないまま、地獄の授業は続く。
10.
それはいつかのように曇った日だった。それはその日までは僕にとってはラッキーデーでとても気分のいい一日が始まるはずだった。
僕は全力で廊下を走っていた。
足がちぎれるくらい廊下がへこむんじゃないかってぐらい走っていた。
「なんでだ!なんでだよ!」
僕は一人叫びながら誰もいない廊下を走った。
それはいつかの食堂でいつもの食堂。
「どうしたんだ?ドットル」
いつもより食が進まない彼を見て軽く声を掛けた。
「どうもしないさ」
そういいながらも彼の顔色はよくなかった。
「どうしたんだ。ほんとに。風邪でもひいたのか?」
「まあな……」
彼は言葉を濁す。そういう時は何も聞かないことにしている。そのうち話したくなったら話してくれるだろう。
「あのさ」
彼は数秒と待たずに話し出した。結局は話したいのだろう。
「最近さ、何人か授業を受けてくれるんだ」
「は?」
思いもかけない言葉に僕は気の抜けた声を返した。
「随分前からの話なんだけどね」
「おいおい、だったらなんでもっと早くいってくれないんだよ」
そういいながらも僕の声は明るい。
「最近は来たり来なかったりでほとんどみんな来てくれなかったんだ。ぼく一人だったこともあった。でもね、いつも来てくれる子がいたんだ」
彼は嬉しさを隠しながら言う。きっと誰も来なかったというあたりが恥ずかしいのだろう。
「よかったじゃないか。分かってくれる子もいるんだよ」
僕は本当に嬉しかった。
あの日から気になってはいたものも、やっぱり覗きに行くということはできないし、直接彼にも聞きづらかった。
「それで一人二人と増えていって、今では5人くらい最後までぼくの授業を受けてくれる」
彼の顔は自然と綻んでいた。
「そうか、それはよかった。僕も心配だったんだよ」
ほっとした。これなら彼もうまくやっていけるかもしれない。僕はそう思った。
「ありがとう」
彼は心なしか寂しげ言った。
僕はそれが気になった。
「どうしたんだい?なんか今日は変だぞ」
「まあね」
彼は何かを言おうとしている。そういうときは大抵聞いてほしそうにするのが彼の癖だった。
「何かあるなら僕が相談にのるよ」
「いや、そんなたいしたことじゃないんだ」
そして、こっちから聞くと話してくれない。だからこういうときは黙っていると、
「実はさ……」
と自分から話し出すのである。
「ぼくは昔さ、君に言ったよね。戦うことは嫌いだって」
「ああ」
それは僕達の共通点だった。戦うことと争うことを嫌う。僕も嫌いだった。
「ぼくさ、明日から戦わなきゃいけなくなった」
「なんだって!!」
思わず大きな声が出る。
「どうしてなんだ?冗談だろ?」
僕はそう聞きながら分かっていた。彼が戦わなきゃいけない理由を。
「君も知ってるよね。今どんな状況にあるか」
「二大ホールの出現だろ。今この協会で知らない奴はいないよ」
数ヶ月前、この付近で2つのホールが出現した。
それはどちらも大型で、普通同時に発生することなど無いはずのものだった。
当然協会は多くのエージェントを派遣した。
それでも戦力が足りないため、普段はあまり仲のよくないところにも力を借りた。
だけどそれでも戦力不足は否めなかった。
そして上の出した結論は簡単なものだった。
一つずつ片付ける。
2つのホールを同時進行で止めるのは無理だから、一つずつ潰そうとしたのだ。戦略としては常套手段だった。
しかしそうはいっても完全に野放しにはできない。全てのエージェントを撤退させたらそれこそ被害は甚大。面目は丸つぶれだ。
だから協会はある手段をとった。
それは建前では片方はホールの進行を食い止めることをあきらめ、ホール外環でDUDSによる被害だけを防ぐ。そしてもう片方に全戦力を投入し早期決着を図るというものだった。
それは実際そうなのだが、ホールの被害を食い止めるのはそんなに容易なことではない。実際、今までだってホールの中心までは侵攻できなかったのだ。それぐらいに今回のは規模がでかい。
さてそうなると協会は戦力の不足を補うためにエージェント以外からも戦力を徴集した。
退役したエージェント、懲戒中のエージェント、そして教官である。
僕達学者と違って、教官は戦闘訓練を受けることになっている。それは授業において、必ず戦闘というものを生徒に意識させるためだと上は言う。
だが、実際はこのためだ。
非常時の戦力。そのために定期的に訓練を受けさせる。
学者はその間は新たな隠蔽工作を考えなければならず、結局手が空くのは教官というわけだ。
そして彼は徴集された。
戦うのが嫌いだと言っていた彼も戦うことを強制された。その命令には逆らえない。僕達の世界ではそれに背くことなどできないからだ。
「それでどっちに行くことになったんだ?」
どちらに派遣されるか。それは明暗を分ける。
今起こってるホールはリヒテンとウィーン。
リヒテンには全戦力が投入されているため、そっちなら生き残る確率は高い。
ウィーンだったら……。
「リヒテンの方さ」
彼はラッキーだったよ。と付け加えた。
「そうかそれはよかった」
僕はほっと胸をなでおろした。
僕は走った!走れ走れ走れ!
今までこんなに早く走ったことは無かった。こんなに校舎が広いとも思わなかった。
いや、あの日以来か。
彼がここを出て行ったあの日。
今はそんなことを思い出す暇は無かった。
今はただ走って走って、それ以外は考えたくなかった。
そして彼が戦場に赴く日がやってきた。その日もよく曇ったいい日だった。
僕は研究なんてそっちのけで彼に会いに行った。
彼は終始笑みを浮かべていて、オロオロと心配する僕を冴えないジョークで笑わせた。
僕もいつも以上に笑った。
「じゃあ行ってくるよ」
まるで本でも買いに行くような感じで彼は出て行った。
「早く帰ってこいよ。まだミートソーススパゲティをおごってもらってない」
「ああ、忘れてたよ。そのうちな」
彼は2,3回ひらひらと手を振ると、振り返ることなく去っていった。
僕はその背中を見ながら、彼の無事を祈った。
そして僕は研究室のある棟に帰った。
彼は今も必死に戦っているかもしれない。
そう考えると何もせずにはいられなかった。
そして研究室の前まで来たところで、廊下で立話する学者達の会話を耳にした。
「今日も行ったらしいな」
白髪交じりの男が小さな声で言う。
「ああ、最近毎日だ。ほとんどの授業は休講らしい。まあしばらくは休講だな」
赤や黄色に汚れた白衣を着ている男は答える。
「ん?なんでだ?」
白髪の方は聞き返した。
「そりゃそうだろう。教官なんて誰も帰ってきやしないさ、だって最近出て行ったのは全部ウィーン行きだからな。捨て駒さ」
ウィーンに行ったら帰ってこれないだろう。それはこの世界での暗黙の了解だった。
上は建前では被害を食い止めるだけでいいと言うが、それでは中から無限に沸いてくる敵と戦わなければならない。
そんな中に何人かエージェントを派遣したところで高が知れてる。結局はリヒテンのホールを抑えるまでの時間稼ぎ。
要は捨て駒だった。
僕は走った。
なぜ気づかなかった!
彼はいつも嘘をつくときは必ず鼻の頭を掻く、あの時も……
僕は期待していたんだ。ウィーンじゃなければと。
僕は走った。
彼はもう帰ってこない。
今から走っても追いつけるはずもない。
それでも走りたかったんだ。
そうしないと自分が許せなくなってしまうから。
僕はついにそこについた。
無理をさせた足はがくがく言ってるし、呼吸だってまともにできない。
そこには既に多くの人が集まっていた。
「ドットル・ミコフさんが亡くなりました」
その報告を聞いたのはその日の朝だった。
もしかしたらとは思っていた。そう思うとそうなりそうだから思わないことにした。
でも思わなくてもそうなってしまった場合はどうすればいいのだろうか。
僕はそれを聞いた途端、頭が真っ白になり、腰が抜けた。
棺に入った彼の顔は穏やかだった。
彼の周りではたくさんの人が泣いていた。
僕は泣けなかった。
泣いてしまうと自分が負けてしまいそうで泣けなったんだ。
誰かは彼は勇敢に戦って死んだといった。
そんな言葉で救われるのか。
それで救われるのは僕達の方なんだろう。
泣いている人達の中には彼が受け持ったであろう生徒の姿も多かった。
彼は言っていた。
ぼくは教官ではなく先生だと。
僕にはその違いはよく分からなかった。
先生と教官はどう違うんだ?彼がその違いを主張するたびに聞いてみた。
彼は言った。
教官は教える人で先生は教わる人だと。
じゃあ歴史を教えてる君は教官じゃないのかい?
僕はいつもそう言った。
そう言うと彼は笑って「そうかもね」とよく分からない返事をした。
誰かは戦場では何が起こるかわからないといった。
それは嘘だ。
何が起こるかなんてわかっていたはずだ。
戦闘のプロじゃない彼らを一番厳しい戦場に送り出せばどうなるかなんて分かっていたはずだ。
その言葉で救われるのも僕達だった。
残されたものが自分を責めないように。
それはそういう言葉だった。
泣いている人達の中には彼の恋人もいた。
彼はいつも自分の彼女を自慢していた。
気立てがよくて、優しくて、料理が上手くて……。数えればキリがないほど褒めて、覚えきれないほどの言葉を並べた。
僕はいつもつまらなそうに頷いてるだけで、彼はそれを見て笑っていた。
そしてついに棺が外に出され、墓地に開けられた大きな穴に向かって運び込まれた。
その時、僕はふと自分の胸ポケットにあるものに気づいた。
そうだ。これを渡さないと。
僕は棺を運ぶ人達の間に割って入り、彼の顔が見えるくらいまで蓋をどけると持っていたそれを彼にかけた。
それは彼がここを出るときに僕に渡したものだった。
「これは君に預かっていてほしい」
「たいした金目のものも持ってないだろ」
と僕は冗談交じりに言った。
「そうなんだけどね。これは大事なものなんだ」
そう言って彼はかけていた黒縁の眼鏡を僕に手渡した。
「いいのかい?それじゃ見えないんじゃないのか」
これから戦場に出る彼にとってそれは大切なものじゃないのか、と思った。
「いいや、これは伊達なんだよ」
照れくさそうに彼は笑った。
「なんでそんなのつけてるんだ?邪魔じゃないのかい?」
僕は眼鏡をつけたことがないけど、やっぱり邪魔だと思う。
「これはね。先生のしるしなんだよ」
彼は頭を掻きながら言った。
「眼鏡を掛けるとなんか優しそうな感じになるだろ?教官っていうと威圧感があったりするからさ、ちょっとでも親しみやすいようにさ」
「威圧感なんてないけどな」
「そうだな」
顔を合わせて笑った。
彼は先生だった。
だから眼鏡はそのしるしなんだと彼は言った。
「それじゃ帰ってきたらまた教師生活が始まるからな。それは大事だから持っててくれよ」
彼は何度も念を押した。壊すな、割るな、失くすな、僕はそのたびに大丈夫だ、と少しむっとしながら答えた。
そして彼は帰ってきた。
帰ってくるときまで預かっておいてやる。それが約束だった。
彼が帰ってきてまた先生ができるように。それが約束だった。
そして彼は帰ってきた。
僕は眼鏡を壊すことも無かったし、割ることも無かった。失くすことも無かったし、忘れることもなかった。
僕は約束を破らなかった。
そして彼は帰ってきた。
これでまた眼鏡をかけて教壇に立ってチョークを持って授業ができる。
これでまた教科書を読んで黒板に書いて先生ができる。
彼は言った。
ぼくは先生になりたかったんだ。
教官ではなくて先生。
僕にとってはどっちでもよかった。でも彼の中では譲れないものがあったのだろう。
僕はちゃんと約束を守ったぞ。
お前がまた帰ってきて先生ができるように約束を守ったぞ。
なのに―――。
「お前が死んじまったら、先生なんてできないだろ!!」
僕は泣きながら彼を見送った。
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