7.
「さて、そろそろお昼ごはんにしようか」
青い芝生に大の字になって息を切らせる俺の上でコトーさんはのんびりとそんなことを言った。
寝ているシャルの耳がぴくっと動いたのを俺は見逃さなかった。
「どこかに食べに行くんですか?」
そういいながら痣だらけの背中を起こす。
「ううん、ちゃんと作ってきたんだよ。ほら、あのバック」
といってさっき水筒を取り出したでかいバックを指差す。
「昼食ですね」
テキパキとシャルがバックからランチセットを取り出す。
「さあ、たくさん作ったから好きなだけたべてね」
コトーさんは既に芝生の上に敷かれたビニールシートの上に座っている。
俺も遅れてそっちに向かう。
「えーと、こっちがサンドイッチでこっちがおかずでね……」
丁寧にひとつひとつ説明し始めるコトーさん。シャルの方は既にモグモグとサンドイッチを頬張っている。
「これ誰が作ったんですか?」
サンドイッチやおにぎりなどが多いとはいえ、重箱に入った立派な惣菜などは手が込んでいる。
「もちろん僕だよ」
えっへんと胸を張る。どうやら本当に料理は得意だったらしい。
「すごいおいしいですよ!このじゃがいもの煮物とか絶妙の煮加減と味の染み込み具合ですよ」
「はっはっは。そんなに褒められると照れるなぁ」
男として料理ができるのはどうかと思うが、自分もそんな感じらしいので黙っておく。
「いやー、俺はコトーさんとかあんま料理とかしなさそうだからいつも出前でも取ってるんだと思いましたよ。シャルも一緒に食べてるって言ってたから出前とかイメージに合わないなあとか思ってて、コトーさんが作ってるなら納得ですね」
はっはっはと誰かさんのように笑いながら冗談めかして言う。
なのに―――。
「………………」
「………………」
なんでそこで黙り込むんだろう。
「君は変なところで鋭いね」
ボソッとコトーさんは言った。
8.
僕の生活は順風満帆とはいかないまでも、よくできた方だったと思う。
アーツの理論化は思いのほか上手くいった。
昔から筋道を立てて考えるのは好きだったのだ。授業中も先生の話より計算式でも解いてる方が楽しかった。
休みの時間も話す友達のいない僕はいつも何かを言葉で説明しようと必死にノートを鉛筆で叩いていた。
その結果だろうか。基礎的なアーツの発生、イデアへの干渉まではある程度理論化することができた。
ここまでで1年。これは破格の業績だった。
当然、学派の中では影の薄い方法論などという部も日の目を当てられることになり、結構な研究資金も回ってきた。そして僕は気づけば方法論の部長になっていた。
総合学会と言われる学派を越えた学会でも僕は研究の成果を発表し、盛大な拍手と共にずっしりと重い勲章をもらった。
くたびれた黒いコートにはもらった勲章は重すぎて、右につければ右の肩が左につければ左の肩がコートから見え隠れした。
そんな重さが嬉しくて、僕は何度も何度もそれを眺めた。
そして僕についに友達ができた。
ドットルという名前の彼は僕と同じようにエージェントにはならなかった。彼は教官だ。
彼とは食堂であったのが最初だったか、まだ新しいコートにぎこちなく教官の腕章をつけていたのが彼だった。黒い額縁の眼鏡をかけていて、やけに若い教官がいるもんだ、と思ったのが最初だった。
それから彼を見るたびに意識するようになった。食堂で会うこともあったし、中庭で会うこともあった。
そして僕達は少しずつお互いに言葉をかわすようになった。
「ぼくは教官になりたかったんだ」
彼は購買で買ったパンをかじりながらそういった。
「なんで教官に?」
僕はスープをすすりながら聞き返す。
「ぼくは戦うのが好きじゃないっていうか、怖いんだよ」
「僕も戦うのは嫌いだ」
同じだね、と言って彼は小さく笑った。
僕も戦うのは怖かった。
失うことが怖かったのかもしれない。
自分の命、仲間の命、相手の命。あらゆるものが戦場では嘘のように消えてなくなる。
「だからぼくは教官になった。君みたいに頭がいいわけじゃないからさ」
ははは、と笑いながら2つ目のパンに手を伸ばした。
「僕だってアカデミーじゃ落ちこぼれだったさ。それに今でもあまり僕の研究は理解されない」
スープの具が心なしか少ないような、と思いながら謙遜を交えて話を続ける。
「今盛り上がってるのは僕の研究は珍しいからなんだ。だからあと少しすればまた見向きもされなくなる」
ずずず、とスープを飲み干し、パックの牛乳にぷすっとストローを刺す。
「それで教官の方はどうだい?」
「ぼちぼちだね」
「同じようなもんか」
「そうだね」
お互いに顔を合わせることなく笑う。こういうのはなんかいい。
「みんなぼくの授業なんて聞いてくれないさ。やっぱり新人だから馬鹿にされちまう。それに『ぼくは最初から教官になりたくてなったんだ』って言ったらクラス中大笑い。それから誰も真面目に話をきいてくれない」
「やっぱり珍しいのかな。僕達って」
「だろうね」
また顔を合わせることなく笑う。
「でもぼくはね、生徒が好きなんだよ。なんていうのかな、うまく言葉にできないけどああいう空間は好きなんだ」
「それは分かるよ。僕も何でか知らないけど昔から計算式を解くのが好きだった」
言った後にちょっと違うかなと思ったけど黙っとくことにした。
「でも生徒は僕の話を聞いてくれなくてね。なんせ専門は歴史だから、知らなくても生きていける」
泣き言のように、彼は初めて弱音を口にした。
「そんなことない!人は歴史の上に立ってるんだ。現に僕たちだって歴史を作ってる」
彼が弱音に負けないように僕は力強く反論する。
「みんな君みたいだといいんだけどね」
「ははは、それじゃ授業が成り立たないぞ。みんな理屈臭くなる」
「そりゃそうだな」
僕の初めて口にした冗談に彼は声をあげて笑った。
それに合わせて僕も笑うことにした。
初めて顔を合わせて笑った僕達はその日から友達になった。
そしてあの日を思い出す。
あの日はどんよりと灰色というより黒っぽく曇った空が印象的で、強い日差しが嫌いな僕にはとても気持ちよくて今日も一日気分がいい。そう思って部屋を出た。
大きな研究は昨日で一区切りついて今日は後輩達には休暇を出してある。僕にとっては研究なんて苦でもなんでもないが、彼らにとってはそれはあくまで研究なんだろう。
そしてその日、僕は気まぐれにアカデミーによってみようと思った。
どうせ今日は暇なのだ。それならちょっとドットルの授業を見てみたい、ほんの気まぐれで僕はアカデミーを訪れた。
窓口で今日の授業割りを確認し、彼が授業をやっているであろう教室に向かって僕は歩き始めた。
足音をできるだけ立てずにその教室に近寄り、少しだけ横開きのドアを開けて中を覗く。
その教室は狭くて、まだまだ彼が新人であることを感じられる。
彼は黒板を前に必死に何かを説明していた。彼の専門は歴史。アーツの歴史、協会発足の歴史などそういったものを教えていると聞いた。
彼は一回生の講師で一回生の全ての授業の中で歴史は必修科目のひとつとなっている。
しかし生徒の態度は悪かった。
彼が新人なせいもあるのだろう。たどたどしい彼の口調にケチをつけゲラゲラと笑い、誰もまともに聞いちゃいなかった。
彼もそれを注意することはなかった。それを気にすることも無く授業を続ける―――違うか。彼は気にするから気にしない振りをして授業を続けているのだろう。
僕はそこまで見るとそっとドアから離れた。覗きっていうのはやっぱり趣味が悪いし、何よりあんな寂しそうな彼を見ていられなかった。
そして教室を離れようとしたとき、ある生徒の声が教室から聞こえた。
「なんでドットル教官は教官になったんですか?」
それは彼を馬鹿にするための新たな標的作りだった。
「え?……」
生徒からの予期せぬ質問に彼は言いよどんだ。
すると他の生徒が言った。
「どうせ、戦うのが怖いとか言って逃げたんだろう。意気地なしだよ」
「そうだよな。弱そうだし」
どっとクラス中が笑い声に包まれる。
僕はそういう笑いは嫌いだった。人を嘲る笑いには笑えなかった。
ドットルは何も言わない。黙ってテキストをパラパラとめくる。
「俺らもこんな奴に教わってたら弱くなっちまうんじゃねえの?」
また違う生徒がわざとクラス中に聞こえるような声で言った。
「それもそうだよな。どうする帰る?」
「じゃあ俺も帰ろうかな、こいつの授業なんてどうでもいいし」
そういって次々と生徒が席を立つ。
彼は何も言わずに授業を続ける。
ついに前の方に座っていた生徒も席を立ち始めた。
彼は何も言わずに黒板にチョークを立てる。
教室を出た生徒が僕の姿を見て驚き、避けるようにして寮に帰っていく。
そして誰もいなくなった。
彼はそれに気づいているのかいないのか、何もなかったかのように誰もいない教室に向かってテキストを読み上げ、黒板に要点を書き写す。
気づけば僕はドアを開けていた。
「ドットル!」
たまらず、声を掛けた。
「なんだい?コトーじゃないか」
僕の方を向くことなく彼は言う。
「なんだいじゃないだろ!止めないのか!みんな出て行っちまったぞ!」
僕は声を荒げて言う。それは出て行った生徒達に向かってだ。
「…………」
彼は何も言わずに授業を続けようとする。
「おい!聞いてるのか!だから――」
「コトー」
彼は僕の方を見た。
「君が言うことは聞いてるよ。でもまだ授業中なんだ。だからぼくは授業を続けなきゃいけない」
「なんでだ!?みんな出て行ったじゃないか!だったら早く追いかけて……」
そいつらを捕まえてここに座らせればいい、僕はそう言った。
「違うよ、コトー」
彼は静かに言った。
「逆なんだ。ぼくがここを出て行ってしまったら誰かが帰ってきても授業が受けられないだろう?だからぼくはここで授業を続けなくちゃいけない」
そういって彼はまた黒板に向かい、チョークを握った。
「何言ってんだ!誰も帰ってくるわけ―――」
そうだよな。彼はそういう先生だった。
「そうだな。まだ授業中だな」
僕は廊下に向かって歩き出した。
「コトー」
彼はこっちを見ることなく僕の名を呼んだ。
「あとでパスタでもおごってやるよ」
「ミートソースで頼むよ」
そういって僕は教室を後にした。
このまま僕がいては彼の授業の妨げになるだろう。
彼のチョークで黒板を叩く音を聞きながら僕は食堂に向かった。
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