第四話 空繰曇天/You are right





1.




それは次の日の授業だった。

私はいつものように椅子に座り、いつものようにつまらなそうに黒板を眺めていた。

そしていつものように静かな教室は、いつになく静かだった。

授業開始の時刻を5分ばかし過ぎた頃、廊下の方からドタドタドタとものすごい音が向かってくる。

この校舎の廊下をあんな風に走るのは彼しかいない。

ガタン!と昨日より大きな音を立ててドアが開いた。

それと同時に「遅れちゃったよ。ごめんごめん」と謝る気があるのかないのか微妙な男が入ってきた。

「はい、それじゃ出席は……あれ?」

彼は教室を見渡し、首を捻る。

それもそうだろう。

この教室にいる生徒は私一人だ。

どうやら誰もこの授業を受けようとは思わなかったらしい。この分だと彼が解雇されて、新しい教官が来るのもそんな先のことではあるまい。


彼はどこからか出席簿を取り出し、それとにらみ合う。

「それじゃ出席を取ります。シャルロット君」

「はい」

私の声が広い教室に響く。

どうせ一人しかいないのだ。わざわざ出席を取ることも無いだろうに。それ以前に授業もできないだろうけど。

「うーん」

唸りながら彼は額に眉を寄せる。


「どうやら風邪が流行ってるみたいだね」

はっはっは、という教室中に響くような笑いをあげながら彼は言った。

何を言ってるんだこの男は。これはどう見てもボイコット。

昨日のお前の不甲斐なさが招いた結果。

私は呆れて席を立って、教室を出た。


きっと今までの私だったらそうしていただろう。

でも今日の私は気まぐれで。黙ってもう少し聞いてみることにした。

「うーん」

と、口元に手を当てて真面目な顔で考え込む先生。

そしてパッと笑顔を浮かべ

「シャル君は頑丈だね」

と、褒めてるのか馬鹿にしてるのかよく分からないことを口にした。

ほんとよく分からないんだけど……。

「頑丈っていうのは女性に使うのは不適切かと」

そう言いながら、思わず口に手を当てて笑ってしまう。

「ごめんごめん、僕はそういうのには鈍くてね」

それに合わせて先生も笑う。

彼の言う冗談はどれもくだらなくて、ケチをつけようと思えば末代まで続きそうなくらいセンスがない。

だけどどこか温かみのあるその言葉に、不覚にも私は笑ってしまうのだ。


「それじゃあ授業を始めようか」

「はいっ」

慣れないチョークを何度も折りながら彼の授業は始まった。







2.




「リョーゴは来るでしょうか」

先生曰く、珍しく朝早く来た私はお茶を入れ始めた先生に気になっていたことを聞いてみた。

お茶ぐらい私がいれる、といつも言うのだがいつも笑ってごまかされてしまう。

「たぶん来ると思うよ。彼は暇人みたいだし」

先生はどこからかアジの干物を持ってくる。

最近初めて食べたのだが、干物というのは味わい深い。

「それにしても君がこんなに早く来るとはねぇ」

10時を過ぎた時計を見ながら、失礼なことを口にする。

「私だっていつも起きられないわけではありません。その……たまにです!たまに!」

「はっはっは、そうだよねえ」

笑いながら私の意見に頷く。まあ心の中では絶対思ってないだろうけど。


「昨日は12時くらいに来たから今日もそれくらいかな」

彼の出勤時刻について予想をする先生。……ん?予想?

「先生、何時に来るようにとか言ってないんですか?」

まさかと思い聞いてみる。

「あはは、つい言い忘れちゃって」

頭の後ろを掻きながら笑ってごまかす。いつでもそれでごまかせると思ったら大間違いだ。

「先生!それってすごい大事なことじゃないですか!」

「うーん、そうなんだけどさ。つい、うっかりってね」

あははははは、と自分で言ったことを笑い飛ばす。だめだ、この人には敵わない。

「まあ気長に待とうよ。彼は君と違って寝過ごすなんてないからさ」

「だから私は……!」

いつもこうやってからかわれている気がする。



その時、ダンダンダンとすごい勢いで階段を上る音がして

ガタン!

「遅れましたぁ!」


誰かさんのように彼は入ってきたのだった。







3.




そして俺達は公園にやってきた。

いくら人通りが少ないとはいえ、この広くて緑の多い公園は日の昇っているうちは人通りが絶えない。

小さな子供を遊ばして世間話に勤しむ母親もいるし、健康のためかウォーキングをするお年寄り、昼休みなのかベンチで横になるサラリーマン。

公園は満席状態。

ものすごく広い公園だが、いつものがらんとしたところしか見てないせいか実際の数以上に人が多く感じる。


「さあ、この辺でいいだろう」

そういうと、コトーさんは手に持っていた大きなバックを木の根元に置き、俺の方を見た。

今日はよく晴れている。

夏の終わりだとはいえ、まだ暑い。こう日差しが強いとまだ夏なんじゃないかと錯覚するほどだ。

そんな中、黒いコートを羽織る長身の男と俺達はものすごく浮いていた。

「コトーさん、コートとか暑くないですか?」

「慣れれば大丈夫」

ということは見慣れれば少しはマシになるだろうか。

「シャルはどうなのさ」

同じく暑苦しい黒コートを着ていたはずのシャルは今日はものすごくラフな服装だ。

「先生のコートと私のコートは違うんです。先生のはアカデミーを卒業するともらえるもので、私のは入学時にもらえるものです。私のはほとんど普通のコートですが、先生のはある種、直接のアーツに対する防御の役割を果たすものと言えばいいでしょうか」

シャルの言うことは難しくてよく分からない。

「つまりだね……」

と、コトーさんが口を挟む。これは長くなりそうだ。

「プリズムのようなものです」

シャルが先手を打った。

「相手の理解、情報を得ようという働きから身を守ります。例えばこのコートをコップに掛けておけばそのコップに力を加える――“変化”などを加えることは難しくなります。それはこのコートがプリズムのように相手の理解しようという働きを逸らすからです」

「僕が言おうと思ったんだけどなぁ」

ははは、と話し好きが嘆く。

「理解というのは一方通行では成立しません。ある物を理解しようとしたら、それに向かってベクトルを向け――そうですね、光線のようなものを対象に当てて、それが返ってきて初めて理解となるというと分かりやすいでしょうか。だからそのコ−トは光をあっちこっちに分散させて飛ばしてしまうため理解されることなく、相手の直接のアーツから身を守れるというわけです」

シャルの話は最初の半分くらいしか分からなかった。話し好きはもう一人いたらしい。

「まあ僕のはもう少し捻りが加えてあるけどね」

自慢そうにコ−トをバタバタとはためかせる。厚みのあるコートは低くて重みのあるいい音を立てる。





「そういえばまだ何をやるか聞いてないんですけど」

コートを脱がせることをあきらめた俺はさっきから不安に思っていたことを聞いてみることにした。



話は昨日の夜に遡る。

同行を申し出た俺に対してコトーさんが出した条件はこの前とは違ったものだった。

「僕は君を死なせないために頑張るって言ったよね」

ついさっきのやり取りを引っ張り出してくる先生。

「だからね。明日から君を鍛えることにするよ。簡単に死なれちゃ困るしね」




というわけで、こんな真昼間から公園に来ているのである。

「僕は君の実力は大体把握してるつもりだけど、一応確認しようかな」

コトーさんは「いっちに」と準備運動を始める。

「亮伍君もしっかり準備運動をしておくべきだぞ」

「なんでですか?」

と言いながら俺も準備運動を始める。

「まずは体術からいこうと思ってね。何事も体が資本だろ?」

「体術って、俺は素人ですよ!何もできないですって!」

「だからこそやるんだよ。何もできないようじゃ困るんだよ」

「うう。てっきりアーツでも教えてくれるんだと思いましたよ」

こっそりと泣き言を口にする。

「うーん、それも教えるけどね。たぶん意味ないと思うけど。それは夜にね」

やっぱり昼間は人目が多いからだろうか。そういうのは夜になりそうだ。

「よし!」

一通り準備運動を終え、準備完了とばかりにコトーさんを見る。

「それじゃあ始めようか」

と言いながら構えをとるコトーさん。

「ちょっと待った!型とかやるんじゃないんですか?なんでいきなりコトーさんが構えるんですか!」

てっきり柔道や空手とかどの体育の授業を思い浮かべていたんだけど。

「亮伍君、いいかい?組み手というのは普通は型とか基本をやってからやるよね?」

「そうですよね!」

よかった。ちゃんと分かってるじゃないか。

「でも今は時間がないのは知ってるよね?」

「ないですけど」

「だから時間短縮ってことで組み手からやることにする。そうすれば型とかやる必要がなくなるだろ?」

ふふん、と鼻を鳴らす。ナイスアイディアと思ってるのだろう。この人は。

「リョーゴ」

さっきから眠そうにしている傍観者が話に入ってきた。

「今は時間がありません。場合によっては今夜からでも戦闘になるでしょう。のんびりとやってる暇はないのです」

「それは分かってるんだけどさ」

のんびりというところを強調して注意を加えると、またこっくりこっくりと寝始める。

「それじゃあ亮伍君は僕の生徒ってことで。コトー先生の授業一時間目かな」

これから一時間もやるつもりなのかと肩を落とす。

「さぁ、おもいっきりかかってきなさい」

そうだな。きっと先生も手加減してくれるはずだ。ここはお言葉に甘えて思いっきりやってやろう。

俺は右の拳を握り締めると、力強く地面を蹴り上げた。









4.




僕は戦うことが嫌いだった。

勝負事はあまり好きじゃなかったし、賭け事も好きじゃなかった。

どうやっても出てしまう勝者と敗者。どうしても決まってしまう勝敗。そして戦うしかないという強制が肌に合わなかったのだろう。


僕には友達はいなかった。

アカデミーにいた頃は僕の周りには友達なんていなかった。

でもそれはあまり気にならなかった。

僕はエージェントになる気はないし、みんなと目指すものが違ったから友達になってくれなかったんだと思う。

だけど目指すものが違うとなんで友達になれないのか。それは分からなかった。



ある日、教官が冗談交じりにアカデミーを出てもエージェントにならない奴もいると言った。

エージェントにならなくても教官になったり学者になったりできると言った。

僕にとってはそれは希望だった。

僕は本当に学者になりたかったのだ。

この戦うことと争うことを強制される世界の中で、戦うこともしなくていい。争うこともしなくていい。

それが僕が学者を選ぶ理由だった。










5.




15分が経った。

「もう終わりかい?」

と、15分前と変わらずそこに佇む暴力教師。

「手加減ないですね」

「情けは人のためならずって言うからね」

用途の間違いはあえて言うまい。

それより今は全身がどこということなく痛い。

痛くないところを探すのが大変なくらい満遍なく痛い。

「亮伍君はね、筋は悪くないんだよなぁ。ただちょっと無茶が多かったり考えが足りなかったり」

そう言いながら持ってきたバックから水筒を取り出し、こっちに投げる。

「そうですか?」

それを受け取り、ゴポゴポとそのままお茶を飲み干す。

「たしかにリョーゴは何も考えてないです」

さっきまで寝ていた少女は分かった風に同意する。

「もう少し相手の動きを見て、自分が次にどう動くかを考える。当たり前だけどとても大切なことだ」

「それは分かってるんですけど」

俺だってそれくらいは分かっている。だけどやっぱり実際に対峙するとそんなことまで気が回らなくなってしまう。相手の攻撃をかわすので精一杯。反撃のチャンスを探しているうちに食らってしまう。だからといって無理矢理攻め込むと手痛い反撃を食らってしまう。

「そうだな。簡単にまとめると問題なのは相手の攻撃をかわした後かな。亮伍君はだいたい後ろ後ろへ下がっていくか、前に出て反撃に出ようとする」

「たしかに……」

でもそれ以外に無いような気もするんだけど。

「それは間違いじゃないんだけど、どっちをするにしても亮伍君はちょっと考えが足りないかな。反撃するなら、かわす一歩は反撃の一歩にしなくてはならない。逃げたときについた足を離さずにそれに体重をかけ逆の足を踏み出す。それが理想の形だよ」

「それは分かったんですけど、どこに足を置けばいいのか」

そのあたりを分かりやすく教えてくれると助かるんだけどさ。

「そいつは経験だね。やってくうちに分かってくるさ」

先生としてその発言はどうなのか。自主性を尊重する先生はパンパンとコートについた砂をはたき立ち上がった。

「休憩終了。そろそろ始めようか」

そうか。のんびりやってる暇はないんだよな。シャルの言ってたことを思い出す。

そしてまたのんびり眠り始めた彼女を尻目に俺は地獄の授業を続けるのだった。








6.




僕は学者になった。

それはあまり難しいことではなかった。

そもそもエージェントになるのが当然であるこの世界では学者になるというのは、奇異の視線で見られはするものも空いてる椅子は多く僕は3回生で卒業となった。


学者というのはあまり重要視されてはいない。

というのもほとんどの技術は既に確立されてしまっているからだ。

アーツにしろ戦闘技術にしろ百年前とたいした変化はないだろう。

いや、変化はあるがそれは個人の業績によるもので学者がかかわったものではない。

そんなこと少し考えれば分かる。なぜなら戦闘に関する技術に机に向かっている僕達が貢献できるかといえばそうとはいえないだろう。

実際に戦場に出る者が出てない者に教わることなどない。それが彼らの主張であり、事実そうであった。

新しいアーツなどは戦いの中で身につくものであって計算式と向き合って成長できるものではない。

だから僕達にできるのは進化する文明の中でいかに調律者は生きるか。秘密保持の技術、方法、そういったものになっていった。

でも僕の考えは違った。

僕は昔から方法論が得意だった。

なぜこうなるのか、どうしてこうなるのか。そういったものを追求するのが好きだった。

僕の考えではあらゆるものが数字で出る。

アーツも例外ではない。

それが僕の考えだった。


僕は適当な学派に入り、方法論を専攻した。

そこには一応方法論の授業、研究所があったがほとんど形だけで実際に動いてるのは僕だけだった。

それは簡単。

アーツというものはその名の通り芸術なのだ。

音楽や絵画と一緒。スキルでは限界があって、ほとんどはスペックに頼らなければならない。

つまり天性の才能をいかに伸ばすかとなってくる。

どんなにこうなるんだって分かっていたって知ってるだけではできない。

イメージの世界。あるものをイメージしてそれを創造する。

その中に計算や理論の入り込む余地はない。

それが僕達の世界の常識だった。







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