13.





「さてと……」

そう言うと、よいしょとお気に入りの社長椅子から立ち上がる。

黒いコートは着たまま。昔は嫌がってあまり着ていなかったが、あのときからあまり脱いでいるところを見ていない。

「それじゃあ行こうか」

「はい」

ここからは仕事の顔になる。

ドアを閉め、階段を下りる。

時刻はもう少しで日付が変わるというところ。人通りの少ない街。それはきっと最近の奇妙な事件のせいだろう。

「さて、これからの方針を確認しようか」

歩きながら、昨日話したことをもう一度確認する先生。

「まず、君と僕は一緒に行動する。まだここがホールかどうかも分からないけど、やっぱりここは異常だ。何があるか分からない」

何も言わずに先生の後をついていく。

「後は行動範囲はベースから半径100mに絞ろうと思う。あまり遠いところへは出ない。まあホールが発生するとしたらこの辺だし、ベースから離れるのも好ましくない」

ベースというのはその名の通り、ベースキャンプのようなものである。調律者は派遣された土地に規模に依るが2つ、3つベースを敷く。つまり自分のホームグラウンドを作るということだ。この街ぐらいの大きさなら一つもあれば十分。先生は坂の上の公園にしたらしい。ベースをに適した場所の条件はいくつかあるが、あの公園は人目に付かず、たとえ何かあったとしても被害が少ない、など様々な条件に適している。他にも自分の得意なアーツにあった地形にするなど条件は様々だ。

「目的は、ひとつはDUDSの排除。今街に残っているDUDSは昨日までの死体の状況から見るに右腕と左脚。まあ一つのパーツにつき一人だとは限らないから最低でも2人以上いると考えた方がいいだろう」

DUDSはひとつのパーツにつき一人とは限らない。それはそうだろう。右腕が二人いたとしてもそれはちょっと右腕のない死体が増えるだけである。だからDUDSの数はおおよそにしか分からない。大抵ホールの規模からDUDSへの供給量を予想し、そこから行動範囲を絞り込み数を割り出す。だが今回の場合はホールがまだ未知数なのであまり細かくは分からないのが現状だ。

「二つ目の目的はホールの探索。今回のホールは間違いなく不自然なものだ。誰かが意図的に起こしている。だとしたらホールの発生を止めることも可能かもしれない。ものすごいチカラが傾いてはいるがまだ手遅れじゃない。あと数日の間にそいつを叩く」

極稀にホールを作り出す者がいる。ケースは様々でむしろ同じようなパターンがないくらい。だからこういう場合はすごく厄介だ。相手の能力は未知数なのだから。先生も自分から手を出すということはしないだろうと思う。私達がするのはあくまで確認。ホールが個人の手によるものだと確認次第本部に連絡をする。

「そして最後はヒューゴ君の説得だね。彼はまだ君を殺す気らしいから、僕からちゃんと頼んでおこう」

最後はヒューゴ・クラムスコイ。彼はどう動くのだろうか。彼だって調律者だ。認めたくないけどクラムスコイの名を冠する超一流。彼ならもうこの異変には気づいているはず。彼を説得して、できれば一緒に行動したい。先生はそう言っていた。

「さて、ここまでが今後の方針だけど何か質問はあるかい?」

質問はある。先生は大事なところに触れていない。

「先生。リョーゴはどうするのですか?」

「ん?どうするって?」

「先生はリョーゴがDUDSだと言った。なのに生かして帰した。それは私達の戒律に反する行為では?」

それはさっきからずっと疑問だった。チームを組まないのなら彼はただのDUDSではないだろうか。だったら被害が広がる前に……。

「うーん、君は僕が彼を生かして帰したのがよく分からないって言いたいんだね。まあ彼もDUDSだから危険といえば危険か」

先生はどうもリョーゴのことになるとさっきから歯切れが悪い。

先生の場合の歯切れの悪いというのは、いつもの周りくどさがないということである。リョーゴのことに関してはあまりにさっぱりと言葉を連ねる。

「そうだね。彼は条件を飲まなかった。俺には覚悟はできない。俺は失わないために戦うんだから失う覚悟はできないって」

彼はひどく中途半端な覚悟をした。いや、それは覚悟ではないだろう。どっちつかずの曖昧な答え。

「だから俺は何かを失わうような状況は作らない。何も失わない。だそうだ」

坂道を上る。思い出の坂道は今も変わらず傾いている。

「先生、リョーゴに関しては甘いですよね」

率直に思ったことを口にする。これは仕事には何も関係のない話。

「そうだねえ。彼はいい子だから」

先生もにこりと笑って頷く。

「それにね。僕にも似てるんだ」

「えっ?」

思わず、横を歩く先生の顔を見る。

「まあ、彼のことは放っておいても大丈夫さ」

またもやあっさりと話す。本当に歯切れが悪い。

そうして坂道を登り終える。右手には鬱蒼とした森が茂る大きな公園がある。


公園は暗い。

電灯は木々の間に隠れその役割を十分に果たしていなかった。

人気のない公園はそれだけで暗い。


そんな場所を彼は気に入ったのか、いつかと同じようにそこに立っていた。








14.




「おっ、早かったね」

先生はいつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべながら彼に話しかける。

「早いって、もう12時ですよ」

もう夜も遅い。どう考えても早いとは思えない時間。

「あ、時間じゃなくてね。君が来るのはあと何日か先じゃないかと予想してたんだよ」

二人の会話はいたく自然だった。いがみ合うわけでもなく出方を窺うわけでもなく、ただの馴れ合い。


私達はゆっくりと彼の方に向かっていく。

「それで、なんでここにいるのかな」

先生が口火を切った。

「今日はちょっと寝つけなくて散歩してたんですよ」

恍けるように彼は言う。

「そうかい。だったら早く帰った方がいい。この街はちょっと危険なんだ。家で大人しくしているべきだよ」

恍けること関しては先生は更にその上をいく。

「…………」

「…………」

二人は何も言わない。

「もう一度言うけど、君と組む気はないよ。君には覚悟がない。だから君は連れて行けない。だけどもし君が―――」

「俺はそんな覚悟はしない。俺は失うことを前提には戦えない」

彼の強い意志を持った言葉が先生の言葉を遮る。

「そうだろうね。それはさっきも聞いたことだ。それじゃあ、君は早く帰りたまえ」

表情のない顔で言った。

「…………それはできない」

彼はちらっと私の方を見た。

「なんでだい?」

「俺はコトーさん達とは一緒に戦えないんですよね。だったら―――」

「帰れと言われて帰る義理はないということか。交換条件ってこと?」

それはおかしい。そんな交換条件は成り立たない。別に私達に彼を擁護する義務など……。


「そうか。仕方ないな。君も連れて行くとしよう」

と、こういう人なのだ。

「君がこのままウロウロしてたら確実に死んじゃうからね」

彼は分かっていたと言わんばかりに笑みを浮かべる。

「困ったことに僕はスーパーマンだからね。君を助けなくちゃならない」

先生には少しも困った感じはない。こうなることを分かっていたから何も言わなかったのだろうか。

今となってはどうでもいいことだけど。


「俺は失うようなことにはさせない」

彼はもう一度言った。それが彼の答え。YESでもNOでもない。答えとはいえない途中式。

「僕は君を助けなくちゃいけないんだよなぁ」

ぽりぽりと頭を掻きながら先生は言う。


お互いが通すべき筋を通して共闘するにはこれしかないのだろう。

元々二人ともそれほど器用な方ではないのだから。







15.





そうして3人で街を歩く。

彼と先生は何か話している。きっと現状の説明だろう。要点をまとめれば簡単に終わるのだろうが。

やっぱり。彼は理解に苦しみ頭を捻っている。

「えーと、じゃあDUDSというのは夜しか活動しないんですか?」

「そういうわけじゃない。昼間だって普通に活動できる。ただ規定外の力をフルに行使するには夜しかないんだよ」

「でもなんで夜に?」

「うーん、じゃあ亮伍君はここから何m先まで見える?」

先生は電灯のない通りを指す。

「7,8mってとこかなぁ」

「そうだろうね。でも昼間だったらもっと遠くまで見えるだろ?」

「そりゃそうですよ」

と彼は当然とばかりに答える。慣れてくればこの辺で話のオチが見えるようなる。

「つまり夜っていうのは不確かなんだよ。人間っていうのは他者がいることで自分を確認できるって話知ってるかい?」

「それは聞いたことありますよ。観測者の話でしょ」

「そうだね。全てのものは観測者によって成り立っているっていう誰かの説だ。それと同じだね。夜は人通りが少ない。他にも視界も悪いし、音も聞こえない。つまり不確かということになる」

「でもそれがどうしてDUDSの活動にかかわってくるんですか?」

「チカラというのは弱いところを好むって言ったね。つまり不確かなものは弱いんだよ。しっかりと存在しているものに比べれば在り方が不確かだからなんだけど」

「だから夜はチカラが多いってことですか」

「うーん、なんていうのかなぁ。夜はその場所の許容量が上がるんだよ。そして流れ込む量も上がる。つまり同じ空間で許容量が上がるということは濃度があがるということだね」

「それってチカラが変わったってことですか?」

「言葉で表すのは難しいねえ。そうだなぁ。チカラの量というよりDUDSの燃費がよくなると言った方が分かりやすいかな。同じチカラでも長く動けるというか。だから少ないチカラで動けるから侵食も少なくて済む。そういうわけでDUDSは大抵夜に活動する。何も自分から自分の寿命を縮めるようなことはしないだろ?」

「うーん」

彼は頭を抱えて考え込む。彼はそんな説明じゃ分からないと思う。

仕方ない、ここは私が……。

「リョーゴ」

私が彼の名前を口にした途端、ビクッとして彼は振り向いた。よっぽど私から話しかけたのが意外だったのだろう。

「さっきの話ですが、例えばDUDSは昼間は1のチカラで1の行動をするとします。ですが夜なら1のチカラを吸い込む力で5のチカラを吸い込めるので、結果として1のチカラで5の行動ができるということになり、先生は5倍燃費がいいと言ったのです」

我ながら分かりやすい説明だと思う。

「なるほど!ありがと」

彼はポンと手を叩くと弾むように礼を言った。

よかった。これで分からなかったら手の施しようがない。

「でもやっぱシャルの説明はコトーさんのに似てるよな」

「そんなことないと思いますが」

「まあいいや。気づいてないみたいだし」

彼は意味深なことを言ってまた先生と話す。

私は煮え切らない思いを抱きながら二人の後をついていく。









16.




もうじき街を一周するところで、それは起きた。

「これは……」

彼は初めて見るのだろう。目を背けることさえしないが、動揺の色が顔に表れている。

先生がそっと地面に転がったそれに近寄る。

「死後一日。一昨日か昨日かそれくらいだろうね」

もはや頭の潰されたそれは誰だかわからない。

「先生、こっちの死体も同じ時にやられたようです」

その大通りに挟まれた小さなビル群の間の路地には二つの死体が転がっていた。

両方とも頭を潰され、右腕を斬られている。

「やはり刃物の痕か」

先生は考え込むように呟いた。

普通DUDSの犠牲となった死体は大抵が各部分をねじ切られることが多い。

規定外の筋力を持った彼らならそれは容易いのだ。しかしこの死体には明らかに斬撃の痕がある。しかも一太刀のもとに斬りおとしている。

「ということは右腕のDUDSは刃物を持っているってことですか?」

何も知らない彼は素直……考えのない質問をする。

「そうとは限らないだろうね。この切断の痕はすごい鋭いんだ。ピアノ線とかでゆで卵を切るような感じだね」

先生にしてはいい例えだ。ちょっと卵が食べづらくなるけど。

「そうなると刃物の線は薄くなる。腕とはいえ、これほど綺麗に斬りおとすのは達人でもない限り無理だろう。それは筋力云々の話じゃなくてこれほど綺麗に切れるのはそれなりの技術が必要だってことさ」

「じゃあDUDSは剣術の達人ってことですか?」

そんなわけはない。全く、彼は何を考えているんだか。

「それは考えづらいだろうね。ないとは言わないけど、そう都合よく剣術の達人がいるとは思えない。それよりは何か細い丈夫な糸で切り落とした方が分かりやすい」

と、また先生は回りくどい言い方をする。そして次には結論がくるはずだ。

「だがDUDSがわざわざ腕を落とすのにそんな回りくどい方法を使うとは考えづらい。自分の力を試すにしては死体の損傷が少なすぎる。だからこれは下手すると外れてるな」

「外れてる?」

彼がそう聞き返すのは先生の計算内だ。既に彼の合いの手は先生の話の一部といってもいいだろう。

「extraかもしれないってことさ。まあ腕を探してるんだからまだ外れちゃいないだろうけど、能力自体はそれに近い。つまりアーツを身に付け始めてる」

「斬撃のアーツなんてあるんですか?」

「うーん、ないとは言わないけどそれも考えづらい。おそらく何か物を媒介にしたものだと思うよ」

そこまで言うと先生は大通りに向かって帰り始めた。

「もうここに用はないだろう。一度公園に帰ろう」

彼は黙ってついていく。

きっと彼の中では死者を弔うという道徳観念が残っているに違いない。それを必死に捨てようとしているのが見て取れる。

「シャル、置いてくぞ」

彼はまだその場に残っている私に声を掛ける。

まったく、彼は私より先を歩くつもりなのだろうか。

「分かってます」

私は小走りで彼らを追う。



私は彼の前を歩くと決めた。

それは私には彼を守る義務があるから。

彼に危険が迫る時は私が守らなくてはいけない。


でも気づくと彼は前を歩いている。

それが堪らなく怖い。

気づいた時には彼は後ろにいないのだ。


「彼がいたんじゃ君も彼と同じさ。戦えない。そうだろ?」

先生の言葉が甦る。

後ろを気にしていては戦えない。


私にはまだ戦う方法は分からない。

後ろが気になるのは事実だろう。


だから今は仕方ない。

とりあえず前を歩きたがる彼に釘を刺しておくことにする。



「リョーゴ、貴方の言動はいつも注意が足りません!貴方は弱いんですから、一人で先に行かれては迷惑です!」

「なんだいきなり。俺なら大丈夫だって」


と、こういう人なのだ。

釘なんて甘かった。

彼には杭でも打ち込まないといけないようだ。








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