7.




「先生、なんでリョーゴを帰したんですか?」

この問には二つの意味がある。ひとつは彼の協力を断った理由。もう一つは彼を生かして帰した理由。まあ後者に関して私には答えないと思う。

「なんでって方向性の違いってやつかなぁ」

よくテレビで見る離婚の理由のようなものを口にする。

「でもシャル君も彼の参加には反対だっただろう?」

「それはそうですけど、彼が自分からやりたいというならそれはやらせてあげるべきではないでしょうか?」

むー、と先生は目をつぶる。

「僕達は慈善事業をしているわけじゃない。彼の力は面白いよ。僕にだって想像がつかない。その在り方も特殊なら持ってるものも変わってる。君が言うとおり彼がヒューゴ君を追い払ったっていうならそれは戦力になるだろうね」

ずずず、とお茶をすする。お茶は音を立てて飲むものだ、というのが先生の自論。

先生は基本的にお茶がないと言葉が進まないらしい。また長く付き合っているとその仕草から何を考えているかが予想がついたりする。

「でもねそれは問題じゃないんだ。彼は戦いには向かないよ」

デスクの上に山のように詰まれた書類を揃えながら先生は言う。

「彼はいい子だ。今時あんな素直で優しい子はいないだろうね」

ただ、単純で考えが薄いのは問題だと私は思う。

「だから彼は戦いには向かない。彼は失わないために戦っているんだよ。それじゃ勝てない。勝てないどころかまともに戦えもしないさ」

それは私にも分かる。彼はこの街が危険だと知りつつ、首を突っ込みたがる。この街のことなんて何も覚えていないのにそれでも失うのは嫌だという。

「彼は戦えば必ず後悔する。失わないために戦うんだからね」

先生の答えは私の思ったとおりだった。

私に教えてくれたことと同じ言葉。


とても寂しい言葉。






8.




何年も前の話だろう。

私がまだアカデミーにいた頃。

私がまだ期待されていた頃。

それは私が四回生になった初めの授業だった。

なんでもほとんど新人の教官が来ると聞いて、私は不満だった。

私は本気で調律者になるつもりなのだ。そのためにはここでの授業はとても大切なものだ。

なのに来るのは新人の教官。そんな奴に教わることなんてないとも思っていた。



しばらくして授業開始の時間になる。

まだ来ない。

もしかしたらこのまま来ないかもしれない。そうすればもっとちゃんとした教官が来るんじゃないかと期待した。

だが、その期待は場違いなほどの笑顔にあっさりと打ち破られた。

ガタン!とすごい勢いでドアが開くとその男は笑いながら「ごめんごめん」と何も持たずにやってきた。

新人の教官というくらいだから、マニュアルにでも頼ると思ったが。それすら持ってこないぐらいに抜けてるのだろうか

もっともそんな授業に興味はない。新人教師のマニュアルなど既に私は熟知している。それどころかほとんどの書物を読破している私には並大抵の授業など物足りないのだ。

「えー、皆さんこんにちは」

男は黒板に大きく自分の名前を書き始めた。

「僕の名前はコトーと言います。コトー先生でもいいですよ」

この静まり返った教室では彼の笑顔は浮いている。

私もその静まった教室の一部で、周りと同じようにつまらなそうに黒板を眺めていた。


その時、ある生徒が聞いた。

教官のホームネームはなんですか?と。

ホームネーム。それは私達のところでは一種のブランドだった。

私達はアカデミーを卒業し、一人前になると大抵どこかの学部に入る。

それぞれの学部には派閥があり……というのはいいだろう。

フリーの人もいるが、研究の便宜や知識の共有を図ろうとほとんどの人が学部に入る。

そのほとんどの人は卒業前にスカウトが来るか、自分でそれぞれの学部に申請に行くのだ。

当然人気のある名門と言われる学部は競争が激しい。故にそこに入ろうと必死にアピールする者も多いのだ。

やはりいい学部には優秀な人が集まるし、研究の設備だって調っている。

そして学部に入るとその学部の名前を名乗ることを許される。

私の場合、コッドならシャルロット・コッド。クラースならシャルロット・クラース。ただこれはほとんどが創設者の名前なので学部によっては同じ名前がついたりすることも珍しくない。現にシャルロットという学部もあり、そこに入れば私はシャルロット・シャルロットだろう。要は名前の語呂などどうでもいいのだ。まあそういう部は本当に少数で、ファーストネームも目立った学部と同じものにはしないというのが暗黙のルールである。

だから私達にとってはそれはブランドのようなものなのだ。


あからさまに怪しい教官にその生徒は正面から品定めの質問を浴びせた。

どうせたいした学部ではあるまい。

有名なところなら自信満々に黒板に書ける筈である。なのに彼は書かなかった。

だからその生徒は分かっていながら教官を皮肉るように言ったのだった。

さて、どんな風にかわすのかと私はぼーっと黒板を眺めていた。








9.




「ああ、出前を取るけど何か食べたいものはあるかい?」

もうそんな時間か。気づけば時計は7時を過ぎていた。

「特にないです」

「むむむ、そういわれると一番困るんだけど……」

ガサゴソと電話の横にあるチラシの束を引っ張り出す。

「それじゃ僕の行き着けの蕎麦屋ってことで。ここは夜までやってるんだよ」

ここの蕎麦は絶品なんだ、と胸を張る。

「僕は決まったからシャル君もこの中から選んでね。あ、セットはランチ限定だから今はないよ」

と甲斐甲斐しく注意を追加する。

「それではアジフライ定食で」

私はなんとなくおいしそうなのを選んだ。魚は好物なのだ。

「はいはい」

先生は電話を手にして、慣れた手つきでボタンを押す。きっといつも同じとこから出前を取るのだろう。

「あ、豆蔵蕎麦ですか?出前お願いします。あ、はい。アジフライ定食と親子丼とカツカレー。はい、お願いします」

ガチャリ。受話器を戻す。

「さあ、あと30分もすれば届くからね」

にこにこと笑いながらいつものフカフカの椅子にどっさりと腰を下ろす。先生曰く社長気分になれるらしい。

スーパーマンなのか社長なのかどっちかにするべきだろう。


時計を見る。7時過ぎ。彼は今頃どうしているだろうか。

でもそれよりも絶品の蕎麦を頼まない先生に疑問を抱くのであった。









10.




その質問に男は驚くことはなかった。

私はもっと狼狽するだろうと思ったが、少し落ち着きのある笑みを浮かべると「気になるかい?」とその生徒に聞き返した。

聞かれた生徒は当然とばかりに「はい」と言った。

その言葉は丁寧ではあるが、中にはたっぷりと嘲笑と疑念が込められていた。

「そうだねぇ」

その教官は首を一度ひねると教卓にある椅子に座り、じっと教室を見据えた。

視界に教室全体が入るわけではないのだが、なんとなくその目には教室全部が映っているように感じたのは私だけではないだろう。

「ホームネームは大事かな?」

彼はその生徒に、その後ろにいる私達にも問いかけるように穏やかな口調で言った。

その分かりきっている問いに聞いた生徒は答えることは無かった。答えなくても十分だろう。そんなのは当然大事だ。あの男だってそれぐらいは分かっているだろうと。

「うん、たしかに大事だろうね。いい学部は優秀な人がいるだろうし、研究の設備だって調っている」

とやっと男は常識を口にした。そう、それは常識。この閉じた学園での常識であり、数少ない信じられるものだった。

「でもね、それは大事だが大切なことじゃない。難しいかい?まあこの話し方は僕の癖だからね。慣れてくれ」

はっはっは、と笑いながら言葉を続ける。

「僕が言いたいのはたしかに君達にとっては大きなイベントかもしれないが、気にすることじゃないってことだよ」

眼鏡を直しながらその男はとんでもないことを口にした。

ある生徒は言った。

「教官、大きなイベントを気にするなというのは無理な話ではないでしょうか」

揚げ足取りとは思わなかった。それを言うなら男の話は揚げ足だらけだ。

「教官……か。先生でいいんだけどな」

頭を掻きながら男は的外れなことを言った。

ここでは先生とは呼ばない。教える者は全て教官。それでけでもこの雰囲気は分かると思う。

「そうだなぁ。君達の中にこれから教官になりたいとか、研究者になりたいって子はいるかい?」

男は今度は全体に問いかけるように言った。

教室は静まり返ったままである。

それはそうだろう。私達の中では教官や研究者になりたいと思う者はいないだろう。あくまでそれはエージェントになれなかった場合に仕方なくなるものである。中にはなりたいという者もいるがそんなのは相当の変わり者か戦うのが怖いのかどちらかだ。

この教室にいる教官はまだ若い。どう見ても現役引退後に教官になったとは考えづらい。きっと最初から教官になったのだろう。あのへらへらした様子を見る限り、戦うのが怖くて逃げてきたのだと私は思った。

「やっぱりいないか。人気ないねえ」

ははは、と乾いた笑いをあげながら男は言った。

「僕はね、自分から教官になったんだよ」

男は思いもよらぬことを口にした。







11.




「うまい!ここのカレーと親子丼は絶品だ!」

蕎麦も絶品、カレーも親子丼も絶品とはこの蕎麦屋には恐れ入る。

「どうだい?アジフライの方は?」

「おいしいです」

実際のところ、おいしいといえばおいしいし、そうでもないといえばそうでもない。まあアジは好物だし問題はないけど。

先生は親子丼とカレーを交互に食べる。

そんな私の不思議そうな視線に気づいたのか、

「ん?この組み合わせのよさが分からないと見える」

むむむ、と箸を止める先生。

「これはね、僕が考えに考えた組み合わせでね、栄養バランスもばっちりなのさ」

どう見ても偏ってるようにしか見えないが本人がそういうのだからそうなんだろう。

「ちなみに親子丼が主食でカレーがおかずなのだ」

どっちも主食だという意見はこのアジフライ定食に免じて黙っておこう。



数十分ほどで、夕食は終わった。

食べ終わるのが同時とは……。あんなにしゃべってたのに先生はどういう食べ方をしているのだろうか。

さて、そろそろ話せねばなるまい。

満腹感を抱えながら私はもう一度聞くことにした。

「先生はなんでリョーゴを返したのですか?」

「ん?またその話かい?」

爪楊枝を探しながら、先生は答える。

「それが一番の方法だと思ったからだよ。彼のためでもあるし、僕等のためでもある。戦略的にもいいかな」

空になった爪楊枝の容器を見つけた先生はガサゴソとキッチンの方へ探しに行く。

「それにね。彼がいたんじゃ君も連れて行けないな」

声だけがキッチンからリビングにやってきた。

「それはなんでですか?」

私にしては大きな声で聞き返す。

「彼がいたんじゃ君も彼と同じさ。戦えない。そうだろ?」

この人は人の気持ちが分かってるんじゃないかというくらい鋭い。

普段はへらへら笑っているけど、その実色々見抜いてるのだからタチが悪い。

でも私は強がらなくてはいけない。

「私は彼がいても戦えます!」

事実をひっくり返すくらいに大きな声を出す。

先生はキッチンから出てきた。どうやら爪楊枝はなかったらしい。

先生はじっと私の方を見る。

「な、なんですか?」

「うーん、君はね嘘をつくときに組んでいる手が右手が上に変わるんだよ」

「え!?」

ふと視線を落とし自分の手を見る……ほんとだ。

「他にも色々あるけど今後のために黙っておこう」

にやにやと笑っていつもの席につく。

一息つくと、

「君はね、彼に罪の意識を感じている」

一番言われたくないことをさらりと言った。

「だから彼がいたんじゃ戦えない。君は弱いから、これ以上の罪には耐えられない。彼がこれ以上傷つくのは見てられないんだ」

「――――」

言葉につまる。

「あれは君のせいじゃない。っていっても君は自分を許さない……か」

先生は私に向かって話していない。それはそれを言っても私は聞かないことを知っているからだろう。

つまり私に聞いてそれを肯定されることを好まないからだ。

「先生は相手に答えて欲しくないときは視線を合わせない……ですよね」

長年の付き合いから引っ張り出してきたことを口にする。

「おや、気づいてたかい?」

これは一本取られたとコツンと自分の頭を叩く。

「他にも色々ありますがそれは今後のために黙っときます」

「それは手厳しい」

そういってまた先生は笑った。






12.




自分から教官になっただって?

静まり返った教室はその言葉にざわついた。

やっぱりあいつは変わり者だ。

あんなやつが教官だとはついてない。

そんな声がちらほら聞こえる。

それも当然。私達が目指すのは一流の調律者。教官なんてものに最初からなろうとか思う男に好感を持てなんて無理な話だろう。

男は何も言わない。

そしてすぐに教室は元の静けさを取り戻した。

中にはもう帰り支度を始めた生徒もいた。大方この出来損ないの教師に愛想を尽かしたのだろう。

「そうかそうか。君達はエージェントになるんだっけ?それじゃ僕は気に入らないか」

私の位置から教卓は正面となるため男の表情はよく見える。

間違いなく男は一人で納得している。

「だったらなんでいい学部に入ろうとするんだろうねえ」

再び独特な男の話が始まった。


「君達はいい学部に入る。そこでいい先輩もいるだろう。きっといい仕事も回ってくるし、いい役職につける。まあそう思うならエージェントはやめとくんだね」

何人かの生徒が席を立った。男は止めることも無く話を続ける。


「エージェントっていうのはね、そんなに甘いものじゃない。積み重ねてきたものがある人だったり――」

それに引かれる様に次々と生徒が教室を出た。席を立つ生徒の影に教卓に座ったまま話す男の姿が見え隠れする。


「これから積み重ねるつもりの人は――」

ガタンガタンと次々と生徒が席を立つ。椅子を引く音のせいで男の声が聞き取りづらい。私は無意識に耳を澄ましていた。


「エージェントとしてはいつまでたっても半人前。覚悟がない。そういう人には覚悟が足りないんだよ」

気づけば教室にはもう10人も生徒は残っていなかった。残った生徒もお互いに視線を合わせ、2人,3人と出て行った。


「だから君達が本当にエージェントになりたいなら僕は君達に覚悟を教える」

気づけば私はその男の話に聞き入っていた。



もう出て行った生徒の数なんてどうでもよくて……。




「失う覚悟はあるかい?」


そう男が口にした時、教室に残っていたのは私だけだった。

男は周りをくるっと見渡し、

「君は……。えーと、シャルロット君だね」

どこからか名簿を取り出し、私の名を口にする。

先生は名簿をしまいながら私の方にむかってゆっくりと歩いてくる。


「僕の名前はコトー・クラムスコイ。今日からここの先生になる。よろしくね」

と言って右手を出した。

私は勢いよく出された右手をしっかりと握った。

クラムスコイ……。

それはここでは4つある名門の一つだった。


「よろしくお願いします。先生」

先生と私が口にした途端、先生は少し驚いた後、にこりと笑った。

それがなんか嬉しくて私も久しぶりに声をだして笑った。

今はそれがこの教室にはとてもよく似合っていた。







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