19.





カツカツカツカツ……

数時間前と同じように、規則正しい彼女の靴音が狭い階段に響く。

彼女は何も言わずに後についてくる。



あれからすぐ俺は家に帰ることにした。というより、コトーさんが一度帰った方がいいと促したのだ。

記憶のない俺にとっては誰の家だかもよく分からないし、感慨も何もないと言ったのだが「それでも君の家だ」という強い意見に押された形になった。

出るときに「自慢の料理が食べさせられなくて残念だよ」とか言っていたが、俺の見た感じではあのキッチンは何年も使われて無いだろう。



カツカツカツカツ……

気のせいか来たときよりも階段が増えてる気がする。

時間が長く感じる。



コトーさんは帰るときにシャルロットに送らせると言った。

別に一人で帰れると俺は主張したが、いつの間にか一緒に帰ることになっていた。

今考えれば、コトーさんなりの気遣いなんだろう。

俺と彼女はまだ会話らしい会話をしていない。

一度目は拒絶、二度目は謝罪、三度目は否定。

会話と言える会話は皆無だった。

彼女に言うことが、もしくは彼女が言うことが―――それを察してコトーさんはこういう形をとったのかもしれない。



カツカツカツカツ……カツ。

階段を下り終える。

さて、家に帰るか。

まだ見慣れない街を自宅へと向う。


カツカツカツカツ……

何か変だ。


カツカツカツカツ……

来たときにはなかった違和感。


カツカツカツカツ……

そうか。


「あのさ、なんで俺の後ろを歩くの?」

それは彼女への違和感だろう。

「当然でしょう。私は貴方の家を知らない。貴方についていくのは当たり前です」

ああ。それはごもっとも。

だけどなんていうか。落ち着かないのだ。

来るときは前に居たからよかったが、いざ視界から消えると落ち着かない。

何か追われてるようで落ち着かない。

落ち着かない。

「横を歩いてもらうとかダメかな?」

と精一杯の譲歩を提案する。

「構いませんが」

少し首を傾げると彼女はカツカツと隣を歩く。

彼女はその性格通り、とてもまっすぐ歩く。

歩幅のせいか隣を歩く彼女のペースは遅い。それをカバーするため世話しなく足がちょこちょこと動く。

それを表に現さないように平然と歩くところがおかしくて、俺はもう少しゆっくり歩くことにした。







20.




「好きな食べ物……ですか」

反応はいまいち。

家までは早く歩いて15分。このペースだと20分はかかるだろう。

そんな時間を黙って過ごせるほど俺は大人ではない。

というよりこの気まずいムードに耐え切れなくなって何か話そうとしたわけである。

そして口を出たのは「シャルはさ、何か好きな食べ物とかあるの?」とかいう父親が娘と会話するような冴えない切り出し。

「そうですね……」

まあ「貴方には関係ありません!」とか言われないだけでもよかっただろう。

「甘いものは好きです」

「ああ。甘いものねえ」

「…………」

「…………」

彼女は自分から話すということは滅多に無い。

だから俺が話さないと、このように会話はぱたりと止まってしまう。


信号が赤になる。

連打すると早く青になるという押しボタンを押し、ぼんやりと青になるのを待つ。


今日はよく晴れている。夕焼けがこんなにも綺麗だ。

同じ赤なのに信号とは違う。とても穏やかに焼けた赤。

思えばこんな綺麗な空を見るのは久しぶりだ。

俺の病室の窓は常に締め切っていて朝日も夕焼けも見えなかった。

だからこれを久しぶりと思うのは違ってて、これはきっと初めてなんだろう。

夕焼けは心に響く。

焼けた空は人を揺らし、人をどこかに迷わせる。

でもそれが心地よいと感じるのもきっと人間だけなんだろう。

これならもう少しゆっくり歩いてもいいかもしれない。


ほどなく信号は青に変わった。

俺は動かない。

点滅し始めた信号を見て、慌てたように「渡らないのですか?」と聞いてきた。


俺はせかすような信号の点滅を見ながらぽつりと言った。

「シャルはさ、……人を殺せるか?」


信号はまた赤に変わった。







21.




俺の質問が唐突だったせいか彼女は答えない。

俺は彼女の方を見ることなく、ぼーっと夕焼けに浮かぶ信号機だけを見つめていた。

「それはDUDSをってことですか?だとしたら答えはYESだ。彼らは人間だったが殺すことに躊躇いはない」

彼女はすらすらと言い立てる。

「そうか悪かったな。こんなこと聞いて」

「いえ」

彼女は短く返事をする。

結局答えは聞けなかった。

聞きたいことは聞いてない。

だけどこれでよかったのだと思う。

きっと答えはひとつじゃないんだから。


そして青に変わった信号を俺は少しでも元気に渡ることにした。








22.




まもなく目的地に着いた。

もとより彼の足ならもっと早くついたのだろうが、私に合わせていたのかもしれない。

彼の足取りは無理をして狭めているのが丸見えで何度もつまづきそうになっていた。

それを表に現さないように平然と歩くところがおかしくて、私はもう少し早く歩くことにした。


「それじゃ、送ってくれてありがとな」

マンションの入り口までつくと彼は振り返ってそう言った。

「いえ」

これが私の口癖だ。自覚しているのに口癖になるっていうのはおかしい。

いや、それでもやめられないから口癖なのか。

「帰り道気をつけろよ」

気をつけるのは彼の方なのに、それが分かっていないのだろうか。

ここはひとつ釘を刺しておこう。

「いいですかリョーゴ。今日は絶対に大人しくしていてください」

「分かってるって」

その返事が信用できるのか、それは明日分かることだろう。

「それじゃ」

そう言って、彼は中に入っていく。

「リョーゴ」

振り返るな振り返るなと思いながら聞こえるかどうかという声で呼びかける。

それは矛盾。このまま黙っていれば彼は振り返らない。振り返ってほしくないのに声を掛ける矛盾。

「呼んだ?」

彼は余計なところで耳がいい。

「私のせいでこんなことになってしまってすいませんでした」

「いいって。俺にも責任はあるんだし。チャラってことで」

そのことじゃない。

私が謝るのは一昨日のことじゃなくて。

私が謝るのは―――。


彼は奥の階段に消えていった。

これでよかったのか。

私は自問する。

これからを決めるのは彼自身。

でもそれで彼に責任を押し付ける気はない。

ここで彼がどんな結論を出そうと責任は私にある。

引き込んだのは私。

彼の日常を壊したのは私。

九堂亮伍を壊したのは―――。


だから私は謝らなければならない。


帰り道を歩く。

先生はホテルに行く前に一度戻ってくるように言った。

彼と歩いたときより、少し早く歩く。

彼は気づいていないかもしれないが、私の方が早く歩けるのだ。

だから私は彼の前を歩こう。


これ以上彼を失わないように。








第二話 落日/Mad tea party 




あとがき

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