15.





「は!?俺がDUDS!?」

ばーん、と思わず立ち上がる。座りっぱなしだった腰はやっと姿勢を変えられたことにボキボキと歓声を上げる。

「そうだけど……やっぱり気づいてなかったか」

はははは、と笑いながら話を続ける。

「僕もおかしいと思ったんだよ。さっきからDUDSを狩るとか仕事を手伝うとかはりきってるからさ」

泥棒が交番に駆け込んだみたいな、と付け加える。

「本当に俺はDUDSなんですか?」

コトーさんの得意の冗談かもしれない。そんな期待が疑問を口にする。

「そうだよ。心当たりはないかい?」

コトーさんがそういうと彼女が唐突に口を開いた。

「先生、その話は私が……」

「ああ、頼むよ」

彼女はテーブルの側までくるとじっと俺の方を見下ろした。

「まず貴方には謝らなければいけません。すいませんでした」

と深々とお辞儀をした。

だが俺にはまるでわけが分からない。

「え?なんで謝るのさ?」

「それは……」

彼女は何か言いたそうにごにょごにょと言葉を濁す。

「じゃあ僕が話すよ」

「すいません」

言葉に詰まる彼女の変わりにコトーさんが話を続ける。

「まず君はDUDSだ。間違いなくね」

「なんで分かるんですか?」

「なんでって僕は本業だよ。見れば分かる。それにだいたいのことは彼女から電話で聞いている」

君がここに来る前にね、と言葉を付け加える。

「それでなぜ君がDUDSになったかだけど、心当たりはあるだろう?」

心当たり……。それはきっと―――

「なぜか塞がった胸の傷ですよね」

俺はあの夜のことを口にした。

「そうだね。君はあの日僕に言ったね。男に襲われてたしかに殺されたのに、なぜか傷は塞がっていると」

そうか。それは―――

「それは間違いなく、DUDSの兆候だ。分かるだろ?ホールの中では弱い者にチカラが流れ込む。命にかかわる怪我なら理由は十分だ」

「そうですか……」

でも今更それを言ってもしょうがない。どっちにしろ元はあの日に死んだ身だ。

「ん?でも俺はどこが足りないんですか?」

そう、DUDSなら足りないはずの部分を求めるはずだ。

「胸を貫かれたって言ったよね」

「ってことは俺に足りないのは肋骨とか内蔵とかになるんですか?」

なんかグロテスクだなあと思う。

「うーん、そうとは限らないだろうね。失った部分と求める部分が一致するとは限らないからね」

「え?失った部分が生えてきて、その部分からセカイに侵食されるんじゃないんですか?」

だから侵食されないように失った部分を求めると聞いた。

「基本はそうだよ。でもそうとは限らないこともある。例えば右腕を失っても、左腕を失い、左腕を求めることもある」

「ん?右腕と左腕を失うんですか?」

「そうだなあ。ちょっと分かりづらいか。例えば右腕が無くなったとしよう。だが何度も言うようにセカイは右腕を与えるんじゃなくて右腕が生えるだけのチカラを人に与える。それはいいよね?」

「はい」

無くなった部分そのものではなく、それを元に戻すだけのチカラを与える。それがセカイのルール。

「でもね、人によってはそれに沿るとは限らない。右腕を失ったとしても、左腕にチカラをまわすということもあるんだ」

「それじゃ右腕はどうなるんですか?」

「右腕は本人のチカラで生える。左腕を犠牲にしてね」

「それじゃ右腕を失っても左腕を犠牲にするから、左腕にチカラが流れて侵食は左腕から起こるってわけですか?」

「そうだね。大抵は左右対称なものじゃないと移し変えは難しいんだけど、中にはできる人もいる」

「つまり俺の場合も胸を貫かれたからと言って内臓とかになるとは限らないってことですか」

「そうそう。どこを求めるかは分からない。だいたい内蔵とかは自分に移しづらいだろう?中身が見えるわけじゃないから自分に合うのを探すのも一苦労だ」

そういうことか。でも俺にはもっと気になることがある。

「でも俺は今のところどこも欲しくないですよ」

そう、俺には何かを求めるという衝動自体がないのだ。

「うーん、原因はいくつか考えられるよ。ホールのチカラがあまりに強くて、人が衝動を感じないとか。でも随分前から奪ってる人もいるからその可能性は低い。他にはまだDUDSに成り立てで侵食が始まらないとか」

「それじゃ俺はこれから誰かから何かを奪うことになるんですか」

「その可能性は否めない。その衝動には逆らえないからね。本人の意思とは無関係だったり、本人が気づかないことだって珍しくない」

「気づかないなんてことがあるんですか!?」

「あるよ。本人は寝てるつもりだったのに、実際は街に出て奪ってたりね」

それは困る。俺が自分の行為に気づかないとしたらそれは―――

「でも君はそれもないかもしれないね。DUDSになったケースが特殊だから」

「へっ?」

反射的に聞き返す。

「すいませんでした」

そこで彼女が再び謝る。

「コトーさん……。なんで彼女が謝るんですか?」

なんとなく彼女には話しかけづらいので目の前に座るコトーさんに聞く。

「それは彼女から聞くべきだね」

コト−さんは立ち上がり「僕はちょっと隣の部屋で調べ物があるから。終わったら呼んでね」と奥のドアに向かうと「そこ座っていいよ」と自分のいた席を彼女に譲る。

ヒューヒューというよく分からないスーパーマンの野次を受けながら、俺は彼女に話しかけるのだった。







16.




俺の前に座る彼女の姿は……なんか不思議だった。

やっぱりコートっていうのはコトーさんみたいに背が高い方が映えるわけで、小さな彼女が着るのは違和感があるわけで、つまり似合わない。

なんだけどキリッとした表情は黒いコートに似合っていて、なんかおかしかった。

どことなく話しかけにくい雰囲気を醸し出す彼女だが、さっきからペコペコと俺に謝るのはどういうわけか。

それを聞かないことには話は進まない。

「えーと、なんだっけサル……」

「シャルロット!です」

「あー、シャルロットだっけ聞きたいことがあるんだけどさ」

シャルロット……呼びにくい。そもそもコトーさんも彼女も見た目は思いっきりアジア系―――日本人に近いのになんでそんなヨーロピアンな名前なんだ?

「なんで俺に謝るのかなぁ?」

オドオドし始めた彼女を傷つけないよう、できるだけ優しく話しかける。

「それは……」

と彼女はまたゴニョゴニョと言葉を濁す。

これは長くなりそうだな、と思ったその時

「それは私が貴方をDUDSにしたからです」

とんでもないことを口にした。

どういうこと?っとシャルロットに視線で訴える。

「私が貴方にチカラを流し込んだからです」

「シャルロッポが!?……いや、シャルロット……」

外国人の名前は発音しづらい。

「シャルでいいです」

彼女は「はぁ」という溜息と共に呆れるように言った。

「んじゃ、シャル……さん」

ぎこちなく敬称をつける。

明らかに年下の彼女に「さん」をつけてしまうのは彼女の気質に問題があると思う。

「シャルでいいです」

またもや呆れるように彼女は言う。

「えっと、どういうことか説明して欲しいんだけど……」

さっきの説明じゃ端的過ぎて分からない。

「そうですね。貴方には知る義務がありますし、私には話す責任があるでしょう」

俺が知ることが権利じゃなくて義務だという辺り、彼女の性格が窺える。

「一昨日のことは覚えていますか?」

「俺がDUDSに刺された日?」

「そうです。あの時、貴方はDUDSと交戦中の私の前に割って入り、そのまま串刺しでした」

不思議とあの日の感覚が蘇る。胸を何かが突き破るような感覚。きっと人間が脱皮するときはあんな感じなんだろうなと思った。

「それでさ、俺にはあの後のことは記憶にないんだけど……」

「そうでしょうね。気を失っていましたから。もっとも気を失わなければ発狂してたでしょうけど」

怖いことをさらりと言う彼女。

「あの後、私はあのDUDSを狩り、貴方のところへ戻りました。ところが、もう既に手遅れで出血も多く呼吸も止まっていました」

「死んでたってこと?」

「いえ、かろうじで脈はありました。しかし瀕死の状態でした」

「それで?」

「それで……」

さっきまでスラスラと話していたのに、急に口篭る。

「それでこのままでは貴方は死んでしまうと私は判断しました。よって私は貴方にチカラを流し込むことによって無理矢理傷を塞ごうとしたのです」

「そんなことってできるのか?」

無理矢理とかなんとか言うけれど瀕死の人間を救うなんてできるのだろうか。

「普通なら無理です。アーツというのは人間など知性を持つ生物には効きづらい。それは生物は独自の世界を持つから他の者からの干渉は受け付けないのです」

「つまり世界を塗り替えるアーツでは自分とは違う世界を持つものが相手だと大変ってこと?」

「そうです。相手の城の中で戦うようなものですから」

どこかコトーさんに似た例えを持ってくる彼女。

「ですが、ここはホールです。きっと放っておいてもセカイが貴方にチカラを流したでしょう」

「ほっといても治ったってこと?」

「そうです」

「だったらなんでシャルが手を加える必要があったんだ?」

「それは……あのまま放って置けば貴方は確実にDUDSになってしまったからです」

その言い回しはおかしい。

「なってしまったからって俺はDUDSになっちゃったんじゃないのか?」

さっきコトーさんは俺がDUDSだと言った。だとしたら俺はもうDUDSじゃないのか?

「いえ……。おそらく貴方が未だ衝動を覚えない理由はそれにあると思います。つまり貴方は完全なDUDSじゃないと思います」

「へっ?なんで?」

「それはセカイじゃなくて私が貴方にチカラを流し込んだせいだと思います。だからずっとかどうかは分かりませんが、貴方にセカイの侵食は起こらないのかと」

「だから衝動がないわけか」

「そうだと思います」

あれ?

「でもそれって俺も無敵ってこと?侵食がないDUDSってことでしょ?」

もしやと思い、聞いてみる。

「いえ、それは無いと思います」

と、一蹴。

「貴方は不完全なせいかセカイの供給も少ないのです。セカイとのつながりが薄いのでしょう。ですから身体能力もそこまで上がってないはずです」

言われて見れば、そんなに体が変わったとは思えない。

「まだ貴方はDUDSになって日が浅いせいかもしれないので一概にはいえませんが、貴方はセカイとのつながりは薄い。それ故に侵食も供給もないと考えられます」

「なるほど」

納得。彼女の説明はコトーさんより分かりやすい。きっと彼女も苦労していることだろう。

つまり俺は出来損ないの出来損ない。

「思ったんだけどさ、シャルはこんなことしていいのか?お前にとってDUDSは敵だろ?だったら……」

そのDUDSを生み出すのはいいのか?

「いけないでしょう。私の知る限りではDUDSの生成は重罪です」

ほ〜ら、やっぱり……

「え!?」

「驚くことではないでしょう。私達のようなアーティスト―――アーツ使いなら条件さえ整えば侵食をほとんど受けず供給のみのDUDSだって作れます。その比率を操作するくらいはなんとかなりますから。ですからDUDSを生み出すことは最重要禁止事項なのです」

「俺が言いたいのはそのことじゃない。それじゃシャルはどうなるんだ?」

「……。彼も言ってたでしょう。粛清すると」

彼女は平然と言った。

だが俺にだって彼女が本当に平然としているわけではないということぐらい分かる。

「そうか。だからあの男はシャルを襲って……あっ!?」

なんて抜けてるんだ俺は!今頃気づいた!

「コトーさん!コト−さん!」

奥の部屋に向かって大きな声で呼びかける。

「ん?そんな大きな声で呼ばなくても聞こえるよ。安普請だから」

ぼりぼりと頭を掻きながらコトーさんは奥の部屋から手にたくさんの書類を抱えながら姿を現す。

「大変なんですよ!忘れてました!実は他の調律者?でしたっけ?あれがこの街にいて、しかもシャルに襲い掛かって……」

そうだ。大変なことを忘れていた。この街にはもう一人危険な奴がいるんだった。

「知ってるよ」

「へ?」

返答は意外なものだった。

「なんで知ってるんですか?」

「さっきも言っただろ。彼女から一部始終は聞いたって」

そういえばさっきも言ってたような。きっとホテルで俺が追い出されたときに電話でもかけたのだろう。

「アイツは何者なんですか!?」

「何者って同じ仕事仲間だよ。ヒューゴ・クラムスコイ君だろ?」

ヒューゴとは彼の名前であろう。……くらむすこい?

「コトーさん、クラムスコイって言いませんでした?」

「言ったよ。ヒューゴ・クラムスコイだよ」

「コトーさんの名前は?」

「コトー・クラムスコイだけど」

ってことはつまり……

「親子ですか?」

同じ苗字ってことは血縁関係にあってもおかしくないんじゃないだろうか。

しかし俺の質問にコトーさんは答えない。

すると、

「せめて兄弟って言って欲しかったな」

寂しそうにぽつりと愚痴った。

でも兄弟は苦しいだろ。一回りは違うだろうし。

「自己紹介の時もちらっと言ったけど、クラムスコイっていうのは名前じゃないんだ。まあコトーだって名前じゃないんだけど」

コトーさんは書類に目を通しながら説明する。

「僕達には名前なんてないよ。一種のコードネームみたいなやつさ。アカデミーに入った時には名前を取られて新しい名前を付けられる。それで卒業するときに苗字だっけ?それがもらえる。それで苗字はどこの学派に入るかによって変わってくるってことだよ。だからヒューゴ君は僕の後輩にあたるってわけだね」

アカデミーとかいうところを卒業するまではファーストネームしかないわけか。だから彼女もシャルロットとしか言わなかった。

きっと彼女やコトーさんが俺をリョーゴと呼ぶのはそれ故なんだろう。

「でもなんでアカデミーに入るときに名前を取るんですか?」

「君には分かりづらいかもしれないけど、名前というのは本人をよく表すんだよ。僕達にとって自分を知られるってことは一大事なんだ。僕らは世界を塗り替える。それは人間だって例外じゃない。だけど人間は……」

「独自の世界を持つため他の人間からの干渉を受けづらいと」

「そう。でもまるっきり不可能ってわけじゃない。素人相手なら可能だろうし、名前とか本人の情報を多く集めればそれだけ成功率は上がる。だから僕達は名前を封印するんだ」

それ故のコードネームか……。

「それは分かりました。でも問題はそれだけじゃないんですよ。そのヒューゴとかいう奴が襲ってきて……」

「聞いたよ。彼は任務に忠実なところがあるからね」

忠実?忠実というかあれは楽しんでるだけだろう。

「粛清とかなんとか言ってシャルを殺そうとした」

抑えた怒りが語尾に残る。

「ヒューゴ君は間違っちゃ無いさ。DUDSの生成は死罪になってもおかしくない。現行犯なら殺すことも許されている」

コトーさんは静かに言う。

「でもシャル君は候補生だ。正式な調律者でない以上、死罪はないだろう。少しやり過ぎだろうね」

抱えた書類の最後のページをめくる。

「元々彼は血の気の多いほうだからね。中でもシャル君には対抗意識というかライバル意識みたいのがあったからね」

「え?なんですか、それ?」

「元々彼もシャル君も同じ僕の生徒でね。天才と名高い名家のシャル君にはいつもちょっかいを出してたっけ」

はっはっは、と笑う。

「天才なんかじゃ……ないです……」

彼女は聞き取れないくらいの声で言う。

「じゃあ彼も試験でここに来てるんですか?」

彼女も最終試験として来てるようだし、アイツもきっと―――

「いや、彼の試験は3年前に終わってる」

「え?飛び級ってことですか?」

「うーん、そうじゃなくて……」

コトーさんは言いづらそうにシャルを見る。

「私はこれが4度目の試験なんです」

と、その視線に答えるように言った。

「それって3回落ちてるってこと?」

「…………」

彼女は答えない。

言いようのない沈黙が部屋を包む。


「それで何か彼について聞きたいことがあるんじゃないのかい?」

気まずいムードを破るようにコトーさんは言った。

「そうでした。色々聞きたいことはあるんですけど、まずアイツはなぜこの街に?アイツは休暇とか言ってたけど」

アイツの鼻につくにやけ顔が頭に浮かぶ。

「だったら休暇じゃないかな。彼はエージェントだからね。あ、一人前ってことね。卒業するとエージェントになって仕事をするってわけさ。僕みたいに教官になったりする人もいるけど」

俺が聞きたいことを先に説明した。

「あとアイツは粛清のがポイントが高いとか言ってたんですけど、なんなんですか?」

「出世のことだろうね。成果によって階級が上がる。粛清は個人で行った場合のポイントは……いくつだったっけ?……とにかく高いね。彼は今すごいスピードで出世してるからね。最年少なんとかエージェントとか言って表彰されてるし」

「そんなすごい奴だったんですか!?」

下っ端だったらよかったのに。なんとなくアイツが威張ってるのが浮かんで頭にくる。

「彼はシャル君と違った天才だからね。彼の特異な能力は戦闘では大きな武器だ」

「それってアーツの種類が変わってるってことですか?」

「いや、彼の専攻アーツは普通だよ。普通どころか基礎の“変化”だしね」

さっきのリンゴのね、と話を続ける。

「ただ彼の場合、その“変化”を極めてる。これは後天的なものだね。シャル君と違って普通の家に生まれた彼には専門がなかった。代々調律の仕事を行う家とかだと家ごとに特性があってその血を引く者は専門に置いては大きな才能を発揮するんだ。だけど彼にはそれが無かった。でも彼はすごい努力家でね。いつもいつも頑張っていたよ。それで身に着けたのが“変化”。アーツの基礎だけど、どっちにしろアーツなんて全部一緒。どれかひとつ極めれば変わらない」

コトーさんのアイツに関する話には暖かい響きがあった。

「でもアイツのは変化っていうかなんていうんだろう。地面がこう、ボコッと盛り上がって蛇みたいに動くんですよ」

何かを違うものに変えるという“変化”はどうもしっくりこない。

「それは彼の塗り替えのスピードがすごいからさ。変化と移動を同時に行ってるんだね。さっきのパラパラ漫画の話と一緒だよ。彼は対象を変化させながら動かしている。変化がよほどスムーズにできないと無理だろうね。これも彼の努力の結果だろう」

感心感心と一人頷く。

なるほど、アイツの槍も同じなんだろう。地面を変化させて槍を創る。あの蛇はその発展ってわけか。

「だけどね。彼には先天的な才能もあったんだ」

終わりかけた話を再び台の上に持ってくる。

「それはアカデミーにいた頃には気づかなかったんだけどね。彼は実践でそれに気づき始めた。戦うための力だね」

「新しいアーツってことですか?」

「違うよ。アーツというのは何度も言うように、専門はあれど誰でもできる。だけど超能力っていうのかな。彼にはそれに似たようなものがあった」

「なんですか?それ?」

「異常なほどの『理解能力』だよ」

「え?」

てっきりビームでも出るのかと思ったらそれはあんまりたいしたことなさそうなものだった。

「あ、今馬鹿にしたね」

と、鋭いコトーさん。

「理解っていうのはね、アーツでの戦闘では一番大事なものなんだ。なぜなら僕達は知らないものに干渉できない」

「個人の限界ですか」

「そうだよ。だから例えば僕とシャル君がここで戦うとしよう。どちらが勝つと思う?」

「それはコトーさんでしょ。教官なんだから」

大人気ないと付け加える。

「そうじゃなくてさ、まあ結論からいうと僕が勝つよ。それは実力とかは置いといてこの部屋は僕の領域だからさ」

「領域?」

「つまりは僕の知ってるものばかりだってこと。ここは僕の家だからね」

そうか。ってことは……

「アーティスト同士での戦いでは自分のホームグラウンドで戦うのがすごい有利だということだよ。知らないところでは理解に時間がかかるし、干渉もスムーズにいかないし、余計な力を使ってしまう」

ものに干渉するということは、ものを知るということ。だったら元から知っていた方がロスが少ないということだ。

「要は常に攻める方よりも守る方に分があるんだ。だから僕達は少しでも早くホールの発生地点にテリトリーを作って奴等を迎え撃つ」

だから迎え撃つのか。アーツの性質上。


「でも彼は違う」

どさっと、書類を机の上に置くとコトーさんは真面目な顔で言った。

「ヒューゴですか?」

「うん。彼の理解能力は常識のレベルじゃないんだ。見たものを瞬時に理解する」

「それってどこでもホームグラウンドってことですか?」

さっきのコトーさんの例えをそのまま使う。

「そうだよ。だから彼は最低でも互角以上の戦いができるってわけだ。アカデミーでは常に対象が“知っているもの”だったから気づかなかったんだろうね」

腕を組みなおし、更に神妙な顔つきで言った。

「さっき調べたところね、彼の成果のほとんどは粛清なんだよ」

何が言いたいかは分かる。

「出世のためですか」

「そうだろうね。彼の力ならそれもできる」

出世のための仲間殺し。それが俺にはどういうことかは分からない。でもアイツはきっとマトモじゃない。

「僕は彼を信じたいが、黒い噂も多い」

「でっち挙げた罪で粛清とかですか?」

言葉こそ疑問系だが、俺はそれが間違っているとは少しも思わなかった。

「僕は教官だ。証拠もないことはいえない。ただ―――」

ズレた眼鏡を直す。


「アーツ使いでは彼を止められない」

その言葉はどこか寂しげだった。







17.



ヒューゴ・クラムスコイ

彼は自分には特別なんてないと思っていた。

だから努力して努力して追いつこうとした。いや、追い抜こうとしたのかもしれない。

だが彼にも特別なものはあったのだ。

どこでも自分のテリトリーにしてしまう力。

言うなればアーティスト殺し。コトーさんの話では2,3ランク上の相手とも場所次第では互角以上に戦えるそうだ。

言いたいことは分かる。

つまり、アイツにとって仲間殺しはわけないってことだ。




「それで……」

もっとも言いにくいことを口にする。

「彼女はどうなるんですか?このままだと……」

「ん?大丈夫だって。候補生の責任の半分は教官にあるからね。僕も一緒に帰って謝ってあげるよ」

コトーさんは見慣れた笑顔でそう言う。

「でもそんなことは……」

「でも今すぐ帰るわけにはいかないな。まだここのホールの有無も未確認だし、それが出るまではここにいなくちゃいけない。だから帰るのは何週間か先になるかもしれないね」

彼女の言葉を遮るように続けて言った。

「まあ彼に会ったら一言僕が言っとくよ。それまでは試験は中止。僕と一緒に行動してもらう」

「分かりました」

「悪いねえ、シャル君。これじゃ今年の試験もどうなるか分からない」

「いえ!これは私の責任ですから」

普段の彼女のようにキリッとした声で答える。

だが彼女が自分の責任だと言えば言うほど俺の立場は無くなっていく。

彼女は勝手に飛び込んで来た俺のせいで罪を負った。

だったら責任は誰にあるか。子供でも分かることだ。

ならば、少しでも彼女を助けるのが俺の責任だろう。


「コトーさん、俺も一緒に居ちゃだめですか?」

それが俺の責任。







18.




「一緒に?」

ぽけっとコトーさんが聞き返す。

「はい」

「まあ夕食ぐらいは食べていってもらうつもりだったけど」

この人は真面目に言ってるのか冗談で言ってるのか分からない。

この際どっちだっていいんだけど。

「そうじゃなくて、俺も仕事手伝いますよ!彼女が困ってるのは俺のせいみたいだし」

後になるにつれて声が小さくなるのは後ろめたさのせいだろう。

「手伝うって何をするのか分かってる?」

何十分か前に言ったことと同じ質問をするコトーさん。

「分かってるつもりです。だから少しでも力になれるなら―――」

「なれません」

と思いもよらぬところから声がした。

「貴方では足手まといになるだけでしょう。貴方はほとぼりが冷めるまで大人しくしていてください」

にべもない、突き放すような言葉。だが引くわけにはいかない。

「足手まといって……。それでも何かできる!だから俺にも―――」

「貴方にできることなんて何もありません」

強い否定。それが事実だと俺自身が分かるだけに彼女の言葉は強い。

「亮伍君」

コトーさんが口を開く。

「君の気持ちは分かる。シャル君に対して何かしなければっていうのもね」

諭すようなその声はとても穏やかだ。

「だけど、シャル君の気持ちも汲んでやって欲しい。彼女からすれば君を巻き込んだようなものだからね」

「違う!俺は自分からいったんだ!彼女は関係ない!」

話は終わらない。終わらせるつもりはない。彼らがうんと言うまでは俺は引くつもりはなかった。

「ふう。これは君以上に頑固だね」

呆れたようにコトーさんは彼女の方に笑いかける。

「私は頑固じゃありません!」

彼女はむっとなって反論する。まあ俺も頑固に一票だ。

「しょうがないな。君に考える時間を与えよう」

「考える?」

そんな時間はいらない。答えは決まっている。だから今すぐ―――

「ああ。考えるんだ。これから先、自分がどうなるかを。もう一度落ち着いて考える」

俺の焦りが分かったのか、しきりに「考える」と口にする。

「君は足手まといになる。それは間違いない」

コトーさんは初めてはっきりと拒絶した。

「だから僕達は君を守らなくてはいけなくなる」

「そんな俺は―――」

「守らなくていいって?そうはいかないさ。君が死んだらそれこそ彼女は罪人になってしまう」

彼女が罪人に?

むしろ俺が死んだ方が罪は軽くなるのではなかろうか。

「だから、僕達は君を守らなければいけなくなる。僕はスーパーマンだしね」

最後にニカッと笑う。

「だからいくつか条件がある。その条件はどれも飲み込むのには大きすぎるものばかりだ。だから考えて欲しい」

「その条件って……」

先が気になり、語調が自然と早くなる。

「君は考えるのが苦手そうだからね。今考えるのは一つでいい」

そうだな。俺は考えるのが苦手らしい。




「                」



それは考えるのが苦手な俺にぴったりな分かりづらい条件だった。

「それって……」

「今は分からなくてもいい。いずれ分かるときがくるだろう。でも分かったときでは遅いんだ」

だから今決めろ。彼はそう言った。

死ねっていうなら分かる。俺はもとより死ぬ覚悟だ。

死ぬなっていうのも分かる。俺が死んだら彼女は本当の罪人になってしまうから。

だけどそれは分からない。

そうなる時はこない。

少なくともその覚悟をするのは俺じゃない。俺じゃない。


俺は―――。





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