12.
「先生、少し片付けましょうか?」
「ありがとう。助かるよ」
彼女は立ち上がると所狭しとばら撒かれた書類をテキパキとファイルにまとめ棚にしまう。
「コトーさん!」
「ん?なんだい?まだ何か聞きたいことがあるのかい?」
お茶を湯のみに注ぎながら、彼女にお茶葉の代えを頼むコトーさん。
「あるに決まってるじゃないですか!このままだとその限定のない奴らには敵わないってことでしょ!」
「あー、その話ね。それは僕の仕事だから亮伍君は心配しなくていいんだよ」
そう言いながら手元の書類に目を落とす。
「心配とかじゃなくて……。だってコトーさんがこの街に来たってことはそいつらだって来てるかもしれないじゃないですか!」
「…………」
コトーさんは何も答えない。
「亮伍君は妙なところで鋭いね」
変なところでコトーさんは感心する。
「あと一週間はその心配はいらないだろうね」
「奴らはホールに集まるんじゃないんですか?」
「そうだね。だがホールだってセカイに一つと決まってるわけじゃない。他にもたくさんあるさ。それに……僕にもまだよく分からないんだ。この街がホールなのか」
うーん、額に手を当てて悩む。
「どういうことですか?さっきはこんな現象が起こるのはホールだー!って言ってたじゃないですか」
「そうなんだけどね。ホールっていうのはそうボコボコできるものじゃない。ましてや一度できた場所にはすぐにはできないんだ。大きい火山は毎日噴火するわけじゃないだろう?」
と、お得意の例え話を前に持ってくる。
「そうですけど……」
コトーさんは回りくどく説明する癖があると思う。できればもっと率直に話して欲しい。
「この街はね。三年前にもホールになってるんだよ」
「三年前!?」
だけど俺は覚えてない。俺にはその時の記憶はない。
「だからおかしいんだ。自然にホールがこんな短期間にできるはずがないんだよ。現にextraは集まってこない」
「えくすとら?」
また聞きなれない単語が出てきた。
「あ、さっき言った『満たしたDUDS』のことだよ。セカイの徴収を免れたDUDSはextraって言うんだ。はずれた者って意味かな。そいつらが集まってこないっていうのはこのホールが自然に発生したものじゃないってことなんだ。もっともまだこれがホールかどうかは分からないけど」
奴らは集まってこないのか。だからコトーさんはさっき心配するなと言ったのだろう。
「それじゃこの街で今何が起こってるんですか?」
「間違いなくチカラがこの街に傾いてるのは確かだよ。ただそれが自然じゃないってだけさ。だから僕もここに来るまで気づかなかった」
「コトーさんも分かるんですか?」
「僕には分からないよ。でも上の指示ではここはホールではなかったはずなんだよ」
「上?コトーさんの他にも調律者っているんですか?」
「はっはっは。当たり前じゃないか。僕だけじゃさすがに無理だよ」
ヒーローも辛いねと笑うコトーさん。
「僕は組織の一員。それなりに上の役職になるけど教官をやってる」
「教官?学校みたいのがあるんですか?」
「学校……。うーん、まあ似たようなものかな。一応それを卒業して試験に受かれば一人前ってこと」
試験……?たしか彼女は
「彼女は何なんですか?たしか候補生とか」
「そうだよ。候補生。アカデミーを卒業して後は試験に受かれば一人前っていう段階だね。それで今回の試験場所がここだったんだけど」
そう言って口を噤むコトーさん。
「ここは三年前のホール跡地だ。この前のホールは引きが早かったから、試験の内容は残ったDUDSの排除っていうことだったんだけどねえ。もしここがホールだったら試験は中止だね。危険すぎる」
「それはいつ頃分かるんですか?」
「そうだなぁ。今の段階だと集まりきらず霧散する可能性も高い。不安定なんだよ。あと数日して動かないようなら僕も本部に連絡する予定だよ」
本部か。本当にちゃんとした組織なんだな。
「でもなんでホールが勝手に発生するんですか?ここには起きないはずだったんでしょ?」
「それは誰かが起こしたんだろうな」
「誰かが」
「極稀にだけどあるんだよ。DUDSなりextraなりが起こすことも」
「どうやって……」
「言ってなかったけど上位のDUDSやextraは高い身体能力とは別に変わった能力を持つんだ」
「能力?」
「アーツとか言うんだけどね。言うなれば世界の塗り替えだね」
塗り替え……。
「セカイに近い彼らは時間が経つにつれ、その仕組みを理解し始める。そしてそのうち世界に干渉する術を身につける。それがアーツ」
「それってどういうのなんですか?」
「どういうのって言われてもねえ。ほんと千差万別。人によって得意不得意もあるし、かなり特異な能力もある。まあ代表的なのを挙げれば“変化”とか“移動”かな」
「なんですか?それ」
「対象を変化させたり、移動させるのさ。」
「念力みたいなやつですか」
「うーん、近いかな。実際に見た方が分かりやすいかもね。おーい、シャル君」
と、言って声を掛ける。
彼女は高い戸棚に背伸びをしながら必死にファイルをしまおうとしていたみたいだが、作業を中断してこっちにやってきた。
「ちょっと彼にアーツの説明をするからさ、この湯のみとか“変化”させてみてよ」
「どのように?」
「適当でいいよ」
「分かりました」
彼女は湯のみを手に取った。
と思ったらそれをテーブルに置き、
「できました」
と抑揚のない声で言う。
「おー、相変わらず鮮やかだねー」
「これって……」
「これが“変化”だね。ほらさっきまで取っ手なんてついてなかったでしょ」
たしかに。テーブルの上の湯のみにはさっきまでついてなかった取っ手がついている。
まるで手品だ。信じられない。と言いながらも意外とあっさり信じてしまっている自分が恐い。
「さっきまで取っ手なんてついてなかったですよね……」
「当たり前だろう。湯のみには取っ手はついてないよ」
と言いながらコトーさんは湯のみを手に取り、元に戻す。
「こんな感じに対象を変化させることもできる」
「すごいですね……」
ん?何か忘れてるような。というか根底でおかしい点が…。
「コトーさん、それってさっきDUDSとかが使うとか言ってなかったでしたっけ?」
そうだ。たしかにコトーさんはDUDSとかが持つ特殊な能力だといった。だったらそれは――
「あはははは。僕達もできるんだよ」
とあっさり否定。
「なんでできるんですか?コトーさん達は人間でしょ」
「人間やればできるってね。嘘嘘、怒らないで」
ギロリと睨みつけた俺の視線が効いたのか言いたいことは伝わったようだ。
「そうだね。まずはアーツの仕組みから話そうか」
「仕組み……?」
そうだ。さっきの世界を塗り替えるとかいう説明はさっぱり分からなかった。
「結論から言うと、さっきも言ったとおり世界を塗り替えている。んでその仕組みだが……シャル君、ちょっと冷蔵庫からリンゴとってきてくれ」
「はい」
と言って彼女はキッチンへ向かう。
「亮伍君にはまず基礎から説明しようか。それじゃこれから彼女が持ってくるのはどういうものだと思う?」
「え?リンゴじゃないんですか?」
自分でリンゴ取ってこいとか言ったのに、変なことを言う。
「そうだね。具体的にいうとどんな感じだい?」
「具体的にってリンゴですか?」
コトーさんはそうそうと頷く。
「えーと、これぐらいの大きさで赤くて、頭にヘタがついてて……」
と身振り手振りを加えながらリンゴについて話す。
「うん、そうだね」
とコトーさんは満足げに頷く。
「先生、リンゴがないんですが……」
キッチンから帰って来た彼女は申し訳なさそうに呟く。
「ごめんごめん、冷蔵庫の隣のダンボールに入ってるんだった」
あははは、と頭を掻きながら「ごめん」と謝るコトーさん。
そして程なく彼女はひとつのリンゴを持ってきた。
コトーさんはそれを手に持つと、
「これはリンゴだよね?」
と、当たり前のことを言った。
「決まってるじゃないですか。どっからどう見てもリンゴですよ」
「そう、どっからどう見てもリンゴだね」
片手でくるくるとリンゴを回す。
「不思議だと思わないかい?」
「何がですか?」
「これがリンゴだって分かることがだよ」
「俺は記憶はないですけど知識はあるんですよ」
「そうじゃないんだ。まあいいや、君の理論からいくと君は過去の知識からこれがリンゴだって分かったわけだ」
「そうですね」
「じゃあこれならどう?」
プチッとリンゴのヘタを取る。
「これでもリンゴかな?」
「当たり前じゃないですか」
「そうだね。僕もそう思う」
コトーさんの話はここに来て余計に分からなくなってきた。
「君はヘタを取る前のリンゴとヘタを取った後のリンゴを両方ともリンゴと認識したね」
「え?」
「いいんだ。それが普通。でも君はヘタを取っただけだとはいえ、外見的に違うものを同じものと判断した」
「でもリンゴでしょ?」
「そうだよ。ここで行われた君の動きは、目でこのリンゴを見て、頭の中で照らし合わせたんだ。だがそれだけじゃない。君は無意識のうちに頭の中にリンゴを作ってるんだよ」
だめだ。全く分からない。きっと俺はあまり頭の回転の速い方ではないのだろう。
「君は異なる二つのリンゴを同じものだと判断した。だけど目で見た情報をそのまま頭で理解したんじゃそこに矛盾が生まれてしまう。分かるかい?違うものを同じだって判断するわけだからね。それで君の中では一つのフィルターを通すことになる」
「フィルター?」
「簡単に言えば、君は自分の中に絶対的なリンゴという絵を持っているんだ。そして君の頭はその絵しか認識できない。それで目で見たものがリンゴに似ていた場合、もしくはここにミカンがあったとしてもリンゴだって言われれば、無理矢理その絵を重ねる。そうして君はやっとリンゴだって理解できるわけ。分かったかな?」
「つまり俺が異なるものを同じものだと認識できるのはそのフィルターのお陰というわけですか?」
「うんうん、飲み込みが早い」
あまり飲み込めていないんだけど。背中を叩けばすぐにでも出てくるだろう。
「ここまでは分かったね。それじゃ次、さっき僕はシャル君にリンゴを持ってくるように頼んだね。それでここにそのリンゴがあるわけなんだけど」
彼女はまた戸棚を整理している。この十数分でこの部屋は見違えるほど綺麗になった。
「言いたいことをまとめると、僕の思い描いたリンゴと彼女が思い描いたリンゴは違うということだ。僕は『リンゴ』としか言ってないからね。たとえ僕が青リンゴを持ってきて欲しくても、彼女がリンゴといって赤いのを思い浮かべるんだったらそれは一致しないだろう?」
うん、それはそうだ。そのために修飾語がある。
「つまりそれぞれの持つフィルターは違うってことなんだ。僕のリンゴのイメージと彼女のリンゴのイメージは違うってのと同じようにね」
本当は僕もリンゴといったら赤なんだけどね、と付け加える。
「でもいくつのフィルターがあったとしてもリンゴというものは世界に一つなんだ。赤いのも青いのもリンゴなんだよ。でもそれだとおかしい。そうなってしまうと僕と彼女では話が繋がらなくなってしまう。だってフィルターが違うんだから」
つまりそれぞれが違うリンゴの絵を持つのに、リンゴというのが世界に一つなのは矛盾しているわけで、でもそれが一つじゃないとコトーさんと彼女の会話が成立しなくなるということか。
「それでも僕達がリンゴって言って繋がるのは世界とのフィルターがあるからなんだ」
「世界とのフィルター?」
「要は全てを包括するリンゴがあるってことだね。プラトンとかが言ったイデアにあたるのかな」
プラトン。大丈夫、知っている。俺は歴史には強いみたいだ。
「世界は僕のリンゴをそのイデアとなったリンゴに当てはめて、それをまた彼女に伝えるのさ。今回の場合だと僕の『リンゴ』という発言が自然と世界のフィルターを通ったことになる」
つまり翻訳みたいなものだね、とお茶をすする。
「さて、ここからがアーツの説明だよ」
と、やっと話が進んだ。
13.
「さて、アーツだけど、さっきもやったように僕も使えるしDUDSも使える」
「DUDSがそれを使えるのは分かったんですけど、なんでコトーさん達も使えるんですか?」
「ああ、別にたいしたことじゃないんだ。訓練次第でできるもんだからね」
そんな適当な……。もう少し熱い波乱万丈を期待してたのに。
「それに何もできるのは僕達だけじゃないさ。普通の人間の中にもできる人はいる。それぐらい特別ってわけじゃないんだ」
「俺にもできるんですか?」
やっぱり使えた方が便利だと思う。
「うーん、どうだろうね。ある程度才能みたいのがあるから。できる人はできるし、できない人はできない。DUDSの中にだってできない奴もいる」
「個人差があるってことですか?」
「そうだね」
コトーさんと同時にお茶をすする。これが一つの区切りなんだろう。
「それじゃ、そろそろアーツの説明に入ってもいいかい?」
「あ、はい」
コトーさんは眼鏡を拭きながら話始める。
「要はさっきのリンゴの話の延長なんだ。セカイの塗り替え。それがアーツの土台だね」
と言われてもよく分からない。どうやら俺は土台からつまづいてしまったらしい。
「そのセカイの塗り替えってなんですか?」
「そうだね。それをまだ話してなかった」
拭き終えた眼鏡をかけ話を続ける。
「それじゃこのリンゴを青く変えることにしよう」
というとコトーさんは「ちゃらららららー」とお決まりの音楽を口ずさみ、ハンカチを被せる。
「はい、1,2,3!」
コトーさんの手がハンカチを勢いよく取ると、そこにはさっきまで赤かったリンゴが青く変わっていた。
「どうだい?分かったかい?」
コトーさんには悪いが、ハンカチを被せてたせいでよく分からない。そんな演出は後にして欲しい。
「今ここに起きたことをまとめてみよう。まずここに赤いリンゴがあったね」
「そうですね」
ハンカチへの不満を隠しながら相槌を打つ。
「これを青く変えるにはどうするか。まずはこのリンゴを理解する。どんなリンゴだろうなーってね」
リンゴを片手でくるくる回しながら話を続ける。
「それが終わったら、頭の中に青いリンゴを思い浮かべる。青だ青くなれ!ってね」
むむむ、と難しい顔をしながら祈るコトーさん。
「さて、ここからがちょっと複雑なんだが、僕は直接このリンゴを青くすることはできない。当然だよね?」
「さっきのセカイのチカラとか使えないんですか?」
「うーん、僕は魔法使いじゃないからね」
僕はスーパーマンだからねと呟きながら冷め始めたお茶をすする。
「だからね、さっき話したイデアがここに出てくる。セカイのフィルターね」
イデアは真理って意味だったっけ。
「それでここで理解して欲しいのは、僕のイメージしたリンゴも目の前にあるリンゴも同じイデアの端末なんだ」
「同じ……端末ですか?」
「さっきの二つ挙げた例を混ぜたものになるんだけど、このリンゴもセカイのフィルターを通してから、僕のフィルターを通って僕の頭に入ってくる。じゃあその逆はどうだい?」
「逆ってその道筋を逆に辿るってことですか?」
「そうだね。僕のイメージを僕のフィルターを通して、セカイのフィルター、つまりイデアに働きかけて対象物に僕のイメージを伝える」
「なんか実感の沸かない話ですね」
率直な感想を口にする。イデアとかとういうのは目で見えないせいか実感が薄い。
ん……?ひとつ気になったことがある。
「その過程でチカラって使わないんですか?」
そうだ。そんな非常識なことをやるんだから、エネルギーだのなんだの言っていたチカラを使いそうな気もする。
「うーん、意識しては使わないかな」
コトーさんは頭を掻きながら言った。
「僕達が使うというよりもセカイが使うんだね。そういう現象はセカイにとってイレギュラーだから、それを行うにはチカラがいる」
「それじゃコトーさん自身はなんのリスクもなく使えるんですか?」
「いやいや、リスクなんてたくさんあるさ。例えばイデアへの干渉だけど、それも一歩間違えれば自分のイメージが壊されかねない。イデアに伝えようとしたイメージは自分のフィルターと一体になっちゃってるわけだからそれを壊されたら大変なことになっちゃうね」
大変だよ、とコクコクと頷くコトーさん。
「でもそれが無ければ、あのビルとかを8階建てにするとかもできるんですか?」
と、窓の外の4,5階建てのビルを指差す。
「それはどうだろうなぁ。一応限界っていうのはあるんだよ。大きく分けて限界ってのは3つあって、個人の限界、セカイの限界、世界の限界」
ん?せかいが2回出てきたような……。
「コトーさん……」
「あっ、最初のセカイは主に作り上げる世界で、後のはこっち側。まあ3つに区別する必要もないんだけど」
と簡単に説明を加える。
「例を挙げると、個人の限界っていうのは、あのビルだったら僕はあまりよく知らない。あそこに住んでれば別だけどそこまでよく知ってるものじゃない。つまりイメージが掴みづらいってことだね。他にも変えるものの質量という点もある。あれだけ大きいと大変なんだよ。大きいし、全体が見えないし。っでこの辺りが個人の限界」
ふんふんと4割ほど理解した。
「セカイの限界っていうのは簡単。さっきのエネルギーの話だね。この周りにあのビルを変えられるほどのチカラがあるか。イデアから対象物への干渉はセカイ任せだからね。そこでチカラ不足が起こると成立しない。これがセカイの限界」
ふむふむとこれは意外と分かりやすかった。
「それで世界の限界っていうのは、いわゆる常識の限界。例えばこの街にいきなり海を持ってくるとかできないだろ?そうやってあまりにありえないことはイメージを鈍らせる。これは個人の限界にも繋がるけど、要はイメージが勝負なんだ。自分がイメージできないことは使えない。これが世界の限界」
「それってイメージできることならなんでもできるんですか?」
「想像できる全てのことは起こりうる現実であるって聞いたことないかい?一応はなんでもできることになる。でもイメージを創るっていうのはそんな簡単なことじゃないのさ。なんせ世界のもつ事実を塗り替えるんだからね」
「それって自分の中に世界を創るようなもんですか?」
「うん、いいね!君は比喩を使うのがうまいよ」
どうでもいいとこでベタ褒めする。
だから世界に負けない世界を自分の中に創らないと勝てないわけか。
「今挙げたのが基本的なことだね。本当はもっと細かく色々あるんだけど、今はこれだけでいい。それでこの三つの要素が――そうだな、立方体を思い浮かべるといい。一人が持てる体積が決まってて、あとはこの3つの掛け算でその体積に収まるようにすればいい」
「う〜んと、つまりその一番外にまた個人のキャパシティがあるわけですか」
「そうそう」
満足げにコトーさんはにっこりと笑う。
「ちなみにだけど、使えば使うほどその立方体は小さくなっていく」
「えっ?ゼロになったりするんですか?」
「一時的だけどね。あまり長時間イメージを続けたり、連続して使ったり、無理に限界――体積を超えることをしたりすると磨耗するんだよ」
よく分からないけど、無理はよくないってことだろう。それでおっけーだ。
「でもなんか実感沸かないですね」
再びそれを口にする。
「だろうね。君にとっては初めての世界だしね。まとめると、アーツに必要な技術はたくさんあるけど大きく分ければ、モノを理解すること、自分のイメージを明確に作ること、自分のフィルターをイメージに合わせること、世界のフィルターに干渉すること、かな」
「なんか難しそうですね」
「なあに、これぐらい人間は自然とやってるものだよ。例えば僕がこのリンゴを絵の具で青く塗るとするだろう?これでもそれと同じようなことが起こってる」
「えぇっ!?」
思わず声にだして驚く。なんかいきなりリアルな話だ。
「まずリンゴがどういう形かを理解して、どうやって塗りたいかをイメージする。そしてその青いリンゴを自分の持つ絶対のイメージにして、筆で青く塗る」
「でもイデアへの干渉とかないじゃないですか」
「それは筆で塗るという行為そのものがある程度近いね。結果論になっちゃうけど」
どうだい?とリンゴを赤く戻す。
「やっぱり手で塗るより、そっちのやり方のがすごいですよね」
一瞬にして赤く戻ったリンゴを見て言う。
「ん?そうかい?むしろ人間はもっと優れたことができると僕は思うけどね」
「もっと……優れたこと?」
「そうさ。例えば絵を描くってことは自分のイメージをゼロから世界に創るんだ。僕達みたいに既存のものに自分のイメージを重ねるよりずっとすごいだろ?」
音楽を作るのもそうだね、とにこにこと笑う。
「うーん、たしかに……」
でもそれは―――
「でもそれは行為としては上のランクなんだけど、活動のレベルが低いから君はあまりすごいと思わないわけだ。絵を描くぐらい誰でもできるやって思うからね」
「そうですね」
「ま、話はそれたけどだいたい理解できたかな?今のが基礎の基礎だからね」
うっ。基礎もちょっと曖昧だ。
「んじゃ、次はアーツの細かい能力について話そうか」
今俺は確信した。コトーさんは絶対話し好きだ。
すっかりぬるくなったお茶を飲み干しながらそう思った。
14.
コトーさんが話し始めてからそろそろ1時間が経つ。
戸棚の整理をしていた彼女はいつのまにかモップを取り出して床の掃除をし始めた。
そこにはこの長話への疑問は感じられず、「いつもこうです」と言わんばかりに平然とモップをバケツに入った水に浸す。
俺の方は長く座っていたせいか腰が痛む。コトーさんは全然平気そうだが。
この無駄にふわふわなソファーは絶対姿勢が悪くなると思う。
「それじゃ、まずはお馴染みの“変化”だね」
俺がそれに馴染むのはあと10年はかかるだろうものをお馴染みとする。
「“変化”っていうのは赤いリンゴを青く変えたりすることだね」
ほいっという掛け声と共にこの数分でお馴染みになったリンゴの色変えをする。
「これはどういう仕組みかってのはさっき話したから分かるよね。僕の青くなれってイメージで塗りつぶしたってわけ」
オーケー?と首を少し横に傾げる。
「それじゃ次は“移動”かな。よく見ててよ」
というとリンゴを机の俺から右端に置く。
そして「びびでばびでぶー!」と恥ずかしい掛け声をかけるとリンゴは独りでに左端にゆっくりと移動したのだ。
「今、動きましたよね……」
「そう、これが“移動”ね」
「これはどういう仕組みなんですか?」
「ん?仕組みは全部一緒だよ。これから他にもいくつか紹介するけど根底は同じ。世界の塗り替え。ただちょっと“変化”より高度だけどね」
机の上でリンゴを往復させながら言う。
「リンゴが動くのをイメージしたんですか?」
「うーん、半分正解」
半分でも当てられるようになった辺り、俺も成長したもんだ。
「動く様子をそのままイメージして変えるのってすごい難しいのね。だから大抵、コマ送りみたいにココ、ココ、ココって通過点にリンゴがあるのをイメージして連続させるんだ」
「でもそれだとリンゴが増えませんか?」
通過点ごとにリンゴを置いてったんじゃそれにしたがって増えていく気がする。
「だから、リンゴそのものをイメージするんじゃなくて、この場合は机の上をそのままイメージする」
「机の上を?」
「そうすれば、通過点にリンゴを置くイメージをいくつか創っても、そのひとつひとつのイメージにはリンゴは一個しかないわけだから、それを連続させれば移動するっていう寸法さ」
「パラパラ漫画みたいなことですか?」
「そうそう」
よく教科書に書いたよねー、と「ははは」と笑う。
「まあ君が最初に言った動くのを創造するってのも間違いじゃない。慣れてくればそういうこともできる。パラパラ漫画高速バージョンみたいにね。なんとなく分かったかい?」
「ええ。だんだん掴めてきましたよ」
話の内容とコトーさんの性格が。
「他にも数え切れないくらいアーツはあるんだけどね。まあ元は一つなのを無理矢理分類してるってわけさ。語学を文法単元で分けるのと同じようにね」
結果の違いで分類をするってことだろう。
「アーツについてはよく分かったんですけど、それってDUDSも使ってくるんですよね」
「DUDSで使える奴は少ないと思うけどね。大抵その前にセカイに呑まれるか、extraになるから」
セカイを理解するより無くなった部分を見つける方が早いわけか。
「僕に教えられるのはこの辺りまでかな。他は追々覚えていけばいい」
と言ってコトーさんは残り少ないお茶を飲み干した。恐らく話の終わりを示すんだろう。
「それじゃ仕事ですか。だったら俺も――」
「手伝ってくれるのかい?」
「はい。やっぱりじっとしてられないですよ」
俺がそう言うとコトーさんは彼女に軽く視線を送り、
「今、僕がするべき仕事は分かってる?」
「セカイの傾きを直すためにDUDSを狩って、後は原因を探したりするんでしょ?」
「うん、よく話を聞いてたね」
そりゃそうだ。あれだけ話せば嫌でも分かる。
「シャル君……どうする?」
コトーさんはモップ掛けを終えた彼女に声を掛ける。
彼女は少し俯くと、小さく頷いた。
「うーん、彼女もいいって言うしいっか」
とコトーさんは再びお茶を注ぐ。おそらくそれは―――
「君は自分がDUDSだって気づいてる?」
長い話の再開を意味するのであった。
next
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