5.
カツカツカツカツ……。
飾り気のない黒いコートをシンプルに着こなした彼女は振り返ることなく俺の前を歩いていく。
俺は何も言わない。
さっきから色々聞き出そうと必死に声をかけたが彼女が返すのは沈黙ばかり。
せめて名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないだろうか。
そんなことを思いながらカツカツと歩く彼女についていく。
「はぁ……」
こうやって何気ない昼間の街を歩くと昨日までのことが嘘だったように思える。
今日は久しぶりにすっきり晴れてポカポカと気持ちいいし、車の通りも少ないこの辺は心が落ち着く。
平日の昼間は夕方には街を埋め尽くす学生の姿はまだなく、買い物中の主婦の姿や子供づれ。OLやサラリーマンが街にあふれる。
これで行き先さえ分かれば本当に清清しいいい日だろう。
カツカツカツカツ……カツ。
規則正しくリズムを刻んでいた彼女の足が止まる。
「ここです」
と、着いたのはなんとも見覚えのある建物だった。
いや、でもまさか……。
色々驚くところのある俺をよそに彼女はスタスタと階段を上り始めた。
「ちょっと待てって」
慌てて俺も追いかける。
彼女は2階まで上ると足を止め、2回ほどノックをすると振り返ることなく部屋の中に入っていく。
ドアを閉められないうちに俺も中に入る。彼女の文化ではドアを閉めるのが早いみたいだから。
そうして階段を二つ飛ばしで上り、ドアに駆け込む。
そこにいたのは……
「いらっしゃい。そろそろ来る頃かと思ったよ」
やっぱり湖東って中国人みたいな名前だよなと思った。
6.
「湖東さん……、ですよね?」
「そうだけど?また記憶喪失かい?」
はっはっはと愉快に笑う湖東さん。やっぱりこの人は湖東さんだ。
「その……」
とモゴモゴと隣に居る少女を横目で見る。
「あー、彼女かい?可愛いだろう」
だめだ。頭がパニック状態。昨日までの非現実がここに来て現実と混ざり合って、何がなんだか分からなくなってきている。
「先生、それより早く……」
「あー、そうだったね。悪い悪い。」
座りなよと言ってソファーの上の書類をバサバサと片付ける。席を勧める前に片付けるべきだと思う。
手際よくお茶を入れ、湖東さんは俺達の前の椅子に座る。
俺はそれに向かい合うように置かれた二人掛けのソファーに腰を下ろす。
「それで亮伍君、記憶は戻ったかい?」
「は?」
自分が話そうとしていたことと180度違っていたためか、気の無い声が出てしまった。
「まだ何も思い出せません。そんなことより最近色々あって……それと彼女は誰ですか?」
横に座っている部屋の中でもコートを脱がない彼女を指す。
「ん?シャルロットっていう子なんだけど彼女から聞いてないの?」
「私も聞きたいことがあります。彼と先生は知り合いなんですか?」
1m四方のテーブルの上で質問が交差する。
誰がどこから答えるのか取っ掛かりがつかめなくてそのまま時間が過ぎていく。
「あはは。悪いねぇ。君達には何にも話して無かったんだっけ」
まあまあこれでも食べて、と言って干物を取り出す湖東さん。
「じゃあまず亮伍君の質問から答えようかな」
俺の方に向き直る。
ボサボサの髪をかきながら、眼鏡を直す。
「それで何が聞きたい?」
何が……。それはたくさん聞きたいことはあるけど、どちらかというと彼女に聞きたいんだが……。
それでも湖東さんに聞くならばこれしかあるまい。
「湖東さんって何者なんですか?あと彼女との関係も聞きたいんですけど」
とりあえず湖東さんの正体がつかめないことには何も質問できないのである。
「僕かい?僕は湖東宗弘……ってそういうことじゃないよね」
ははは、とお茶をすする。
「僕はコトー。コトー・クラムスコイ。コトーが名前ね」
「くらむすこい?日本人じゃないんですか?」
どう見ても見た目は日本人……じゃなくてもアジア系。クラムスコイとかそういうラ・フランスな名前は似合わない。
「うーん、いきなり難しいところを突くねぇ」
むむむと唸る湖東――コトーさん。
「クラムスコイっていうのはファミリーネームって訳じゃなくて……。なんて説明したらいいのかなぁ。ねぇ?」
助けを求めるようにシャルロットという名前の彼女に顔を向ける。
そして彼女は一息つき、
「それはたいした問題ではないと思います」
と、一蹴。
「だって」
と、彼女の意見に被せるように付け加えた。まあ俺もそんなことを聞きたいわけじゃない。
「じゃあ、それはいいです。それよりなんで偽名なんて使うんですか?」
そう、たしか彼は湖東宗弘と名乗っていたはずである。
偽名を使うということはそれなりの目的があるのではないだろうか。
「怒ってるかな?ごめんね。僕もこんな風になるとは思ってなかったんだよ」
手を合わせて謝罪のポーズを取る。
「それについては後から話すよ。君が聞きたいのは僕のことなんかじゃないだろう?」
そうだった。俺が聞きたいのは――。
「ぶっちゃけて言うと彼女も僕もちょっと変わった仕事をしてる」
「変わった仕事?」
「そうだなぁ。一番分かりやすく言うと世界の平和を守るスーパーマンかな」
親指をぐいっと突き出しスーパーマンに韻を置く。
「すいません。全然わかんないんですけど」
スーパーマンは死語だと思う。
「調律者って言ってね、平たく言えば世界のバランスを取ってるんだよ」
やっと本題っぽくなってきた。
7.
「調律者?」
聞きなれない単語に思わず聞き返す。
「うん、この辺は簡単に聞き流してくれてもいいんだけど、この世界にはチカラ……分かりやすく言うとエネルギーかな?それが満ちているんだよ」
「エネルギー?電気とかですか?」
頭に浮かんだものをそのまま口にする。
「それは人間が作り出したものだろう?そうじゃなくて元からここにあるものさ」
なんか簡単に聞き流せる内容じゃない気がする。
「元からこの世界にはあるエネルギーが満ちている。それは誰かが作ったんじゃなくて元からそこにあるものなんだ」
あまり分からないけど、こくりと頷く。
「このエネルギーは消費される。僕達が動いたり、大きな話で言えば火山が噴火したり、雨が降ったり、とにかく世界の中で動くものは全てこのエネルギーを消費してると言っていい」
「それってなくならないんですか?」
なんとなく聞いてみる。
「なくならないね。例えば僕が歩くとエネルギーが消費されるとする。でもこのエネルギーは僕が歩くことで溜まるんだ」
「動くと消費されて作られるってことですか?」
「そうだね。電気と違うのは消費されるものと作られるものが同じというところかな。それでその比率がイコールだから無くならないし増えもしない」
コトーさんは話しながら、彼女に干物を勧める。彼女は疑わしげにそれを見つめ、なかなか手を出そうとはしない。
「それって消費されてるんですか?」
消費されて同じ分だけ溜まるんだったらそれは消費とは言わない気がする。
「面白いとこに気がつくね。定義上消費されてるということになる。じゃないとエネルギーそのものを否定してしまうからね」
横目でちらっと彼女を見る。どうやら干物に手をつけるべきかどうか、まだ迷ってるようだ。
一度手を伸ばすが、すぐにひっこめ難しそうな顔をする。
「さて、それでそのエネルギーっていうのは空気と同じようなものなんだ。もっとも存在としてはそれより薄いんだけどね。触ることはできないし加工することもできない。だけどこのエネルギーには色々特徴がある」
「特徴?」
コトーさんはきっと意識して俺に聞き返させてるんだと思う。
もっともそれに気づくのはいつも聞き返した後になってからなのだが。
「濃い方から薄い方へ流れる。つまり全体を均一にしようとするんだ。」
水溶液みたいにね、と付け加える。
「でも消費と供給が一度に起きるんだったら濃さに違いなんて出るんですか?」
消費する場所が供給場所なのだ。だったら濃さに違いが出るというのはちょっとおかしい気がする。
「何も全くの同時に起きるってわけじゃないさ。ちょっとずつずれていって濃さに違いが出ることもよくある。他にもなんらかの要因で局地的に薄くなることもあるしね」
「なんですか要因って?」
「まあこのエネルギーは一種の世界の意思なんだ。世界にあるエネルギーなんだからね」
「世界の意思……?」
「だから世界に傷ついた部分とかが出てくるとそこに優先的にエネルギーを流し込むことになる」
「そうなってくると濃い部分と薄い部分が出てくるってことですか」
そうそうと笑顔で答えるコトーさん。
「そういうのが繰り返されて自然と濃い部分と薄い部分が恒常的に出てくるようになる。そうなってくるとさっき言った濃い方から薄い方へという法則にしたがって流れがでてくるんだ。長くなったけどこの濃さを一定にしようっていうのが僕達のお仕事」
どうよ、と頷きかけるコトーさん。ピアノの音を合わせるように世界のバランスを取る。故に調律者。
「それは分かったんですけど、それのどこが世界の平和を……」
「スーパーマン?」
「ああ、それです」
なんとなく口にするのが嫌だったのでコトーさんに言ってもらう。
「コトーさん達はその濃さを一定にするとか言ってましたよね。ってことは偏ったりすると何か悪いことがあるんですか?」
今までのことを自分なりにまとめて質問してみる。
コトーさんはにやっと笑うと
「そりゃあヒーローが出てくる理由は世界の平和を守るために決まってるだろう」
と恥ずかしい台詞を口にした。
8.
意を決したのか彼女は小さな口を開けてアジの干物に噛り付いた。
「エネルギーが偏るとどうなるか、かい?」
「はい」
「うん、まずこのエネルギーなんだけど宗教とか風習の差から様々な呼び名がある。マナとかオドとか気とか……。僕達のとこだとチカラと一つで括ってしまうけどね。それでチカラが偏るとだね……それは当然よくない。エネルギーは多くも無く少なくも無くが一番いいんだ。ほら、粉のスポーツドリンクとかもあるでしょ?あれとかも無駄に濃いと飲みづらいでしょ」
僕は市販のより薄目なのが好きなんだ、と付け加える。
「僕達はその濃い場所をホールって言うんだけど、そういう場所では色々非現実的なことが起こる。その理由はエネルギーが溢れてるから。行き場の無いエネルギーは変化を求める。つまり消費だね。だからできるだけ消費しようと世界のルールに背いてまで消費を続ける」
彼女はいつのまにか2つ目の干物に手を伸ばす。どうやらアジの干物がお気に召したらしい。
「例えばどうなるんですか?」
「例えば時間軸があやふやになる。下手をすれば過去と未来が同時に起きるなんてこともあるくらい。時間軸とかに干渉するのはすごいエネルギーを使うからね。ただそういうのはあまり上手くない。変えるのに時間がかかるし、消費するチカラが多い分一度に起こる供給も多くて負担も大きい。だからそれはあまり優先されないんだ」
「それじゃ何を選ぶんですか?」
「簡単さ。ひとつひとつのエネルギー消費が少なくて、全体で多いものを選ぶ。これならたくさんのエネルギーを消費できて返ってくるときは分割払い」
「それってなんなんですか?」
コトーさんは一息つき、言った。
「―――人間さ」
「人間?」
それはいまいちピンとこない。人間のどこにエネルギーを使おうというのだろうか。
「これはその時々のホールの大きさに寄るから一概にはいえないんだけど、世界は人間にエネルギーを供給する場合が多い。理由はさっき言ったとおり」
「でもどうやって?」
人間は独立でエネルギーを摂取する生き物だ。それにエネルギーを流すのはコンセントのついた電化製品に電池をつけるようなものだ。いや、規模でいうと逆か。
「人間っていうのは自分でエネルギーを摂取するよね。だから世界のエネルギーを消費するためには何かしらの運動が必要になってくる。でもこれは普段も行われてることであって何もホールに限ったことじゃない。ホールではもう少し強制力を持ったことが起こる」
「強制力?本人の意思に関係なくってことですか?」
「そうとは限らないんだけどね。本人の意思が必要なこともある。まあ本人も知らず知らずということも多いのは確かだけど。君も知ってるだろ?重病患者の回復、無くなった腕が生えてきたりの世にも珍しい怪奇現象」
「それは世界の……」
「ああ。世界による強制さ。エネルギーの基本は濃いところから薄いところへ。だったら少しでも薄いところを選ぶのさ」
怪我を負った人間や、病を患った人間は他の人間より弱いということか。
「それがあの現象の原因ですか」
「そうだね。世界のエネルギーにとっちゃ人間の異常なんて屁でもない。腕でも足でも生えてくるさ」
「でもそれって悪いことなんですか?なんかラッキーな感じがしますけど」
治らないはずの傷が治るというのはたしかに常識に反しているが、一概に悪いと言えるのだろうか。
むしろ感謝すべきことではないかとさえ思う。
「当然さ。タダより高いものはないっていうだろ?」
「はい……」
どこか間の抜けた日本の慣用句を使う。
「――DUDS。それが代価だよ」
ふとあの男が脳裏に浮かんだ。
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