第二話 落日/Mad tea party
1.
それは簡単なことだった。
そうするしかないと知っていた。
覚悟だって決めていた。
それでも両足は影に縛られ、両腕は鉛を流し込んだかのように動かない。
そうする間に男は私から離れていく。
あの傷では満足に走ることもできないだろうに。
このまま逃げてくれればどんなにいいことだろう。
私が走っても追いつけないくらい、探しても見つからないくらい遠くに逃げてくれればいいのに。
―――そうすれば殺さなくていいのに。
2.
「…………」
何か思い出したような思い出せないような、思い出さなければいけないような気がして目が覚めた。
朝は頭が働かない。
夢の話なら構わない。思い出せようが思い出せまいが夢とはそういうものだから。
少し頭がはっきりしてきたところで体を起こす。
ポキポキと子気味いい音を立てながら体はゆっくりと動き出す。
「っ………」
まだ傷が痛む。
傷自体は塞がっているが、痛みはしばらく消えないだろう。
たしかに昨日は危なかった。
あんなに激しく叩きつけられてこれぐらいの痛みで済むなら僥倖といえよう。
そうして、そのまま昨日のことを思い出そうとする。
「ん?」
たしか昨日は気を失って……。それからどうしたんだ?
思い出せない。やっぱり朝は苦手だ。
そうしてぼんやりとしていると
「んっ、起きた?」
と、やっと見知らぬ男が部屋にいることに気づいたのだった。
3.
「あっ、なんか食べる?パンとか果物ならあるけど」
男はカーテンを開けながら甲斐甲斐しく提案する。
だめだ。まだ頭が本調子じゃない。あと5分待って欲しい。
その私の沈黙をどうとったのか
「え?もしかして朝はご飯派?俺はどっちでもいいけどさ」
と男は論点のずれたことを口にする。
強いて言うなら水が飲みたい。喉がカラカラだ。
「あの……」
「分かった!ご飯だな。たぶんコンビニに行けば売ってるだろ。インスタントだけど文句いうなよ」
やっと頭がはっきりしてきた。
そうして今にもドアから飛び出していきそうな男に向かって
「あなたは誰ですか?」
さっきから喉の辺りに突っかかっていた疑問をやっと口に出した。
「え?」
男は一瞬呆けた後、心底疑問そうに首をかしげた。
「もしかして覚えてない?俺だよ、俺!昨日の」
男は私の言葉が相当ショックだったのか必死になってアピールする。
そうか。まだ自分は寝ぼけていたらしい。そこまで言われてやっと分かった。
「昨日の……、貴方ですか」
自分の記憶に訴え掛けるかのようにつぶやく。
すると彼は満面の笑みを見せ、
「そう。俺は九堂亮伍っていうんだ。よろしく」
と、私の朝には眩し過ぎる声で言った。
4.
ショックだった。
何がショックって名前はともかく顔すら覚えてもらえてないっていうのはショックだった。
俺が簡単に自己紹介を済ました後、彼女は黙り込むようにして考え込んでしまった。
少しでも場を和ませようとした俺のハイテンションも空しく彼女が黙り込んでから5分が経とうとしている。
やはり俺のことだろうか。少なくともご飯かパンかで悩んでいるようには思えない。
こっちも聞きたいことは山ほどあるし、そろそろ何か話さねば。というところで彼女が口を開いた。
「リョーゴといいましたね」
といきなり人を呼び捨てにする彼女。俺のが年上だぞ。
「たぶん」
「たぶんっていうのはなんですか?先ほど貴方は自分でクドウリョーゴだと言ったはずですが」
「ああ、それは間違いないはずだ。うん、大丈夫」
頼りない年上。
彼女は一拍置いて、すうっと一息吸うと、
「分かりました。それでは早くお帰りください」
と、吸った息はどこえやら、意外にも静かな声でそう言った。
「はっ!?」
遅れて驚く俺。こんなんじゃどっちが年上かなんて分からない。
「聞こえませんでしたか?ここから出て帰るように言ったのです」
「帰れって?おいっ、ちょっと……」
そしてあれよあれよという間にドアの外に。
「え?……。聞きたいことがあるんだけど……」
バタン。
閉め出されてしまった。
あんな非常識な世界にいる人達だ。スムーズに会話が進むとは思わなかった。
「だけど、いきなり追い出されるとは……」
俺の計算ではお茶でも飲みながらゆっくり過ごすはずだったんだが……。彼女にはそういう来客を迎える文化がないようだ。
廊下に放り出された俺はどうしたものかと壁に寄りかかる。
+
あの夜、俺は家に帰ろうとしてあることに気づいた。
「あ……彼女……」
すっかり忘れていた。考えることが多すぎてっていうのは言い訳にならないか。
よたよたとまだ震える足を引きずって彼女の元に向かう。
「おーい、起きろー」
ぺちぺちと彼女の頬を叩く。思いのほかいい音がする。ぺちぺち。
「…………」
起きない。
出血はないが、だからと言ってここにほったらかしというわけにもいかないだろう。
家に運ぶか。
でも彼女はどこに住んでるんだ?
そこまで考えて行き詰る。
「あー!だめだ!とにかくここを離れないとな。赤毛の野郎も帰ってくるかもしれないし」
そして彼女を背負う。
軽い。銃を振り回したり、走るのが出鱈目に速かったりするけれどやっぱり歳相応の女の子なんだなと思う。
「あっ、ちょっとごめんよ」
何か手がかりになるものはないかと思い、彼女のコートのポケットを探ってみる。
右手が何か硬い金属のようなものを掴む。
「これは……」
+
そうしてこのホテルに至る。
結局、彼女はホテルのキーを持っていて、そのキーについてる飾りみたいなのにホテルの名前が彫ってあったという次第。
後は彼女を寝かして、俺も床で寝っ転がっていた。
ところが彼女は起きたら早々に俺を追い出して、ドアを閉めてしまった。
「うーん、こんなことなら何か聞いとくんだったなぁ」
唯一俺に残った手がかりは彼女なのだ。
彼女は間違いなく今回の騒ぎでは主役級。俺の持つ謎にも答えてくれるだろう。
だから俺にできるのは――
「しょうがない。あの子が出てくるまでここで粘るか」
決意を新たに再び壁にもたれかかる。決意の割にはなんともしまらない格好だ。
そして何時間でも待ってやろうと思ったその時、
「リョーゴ、ついてきなさい」
という有無を言わさぬ命令口調と共に彼女が出てきたのだった。
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